スターシップと俳句

[題名]:スターシップと俳句
[作者]:ソムトウ・スチャリトクル


 本書は架空の日本を題材とした、〈ポストアポカリプスもの〉(破滅後の世界を描くお話)の異色SFです。
 作者のスチャリトクル氏は作曲家にして小説家、タイ王家の血筋で、幼少時から父親に連れられて世界各国を移動していたという、変わった経歴を持つ方です。東京へ二年間滞在したこともあるそうで、決して日本という国をご存じない訳ではありません。
 しかしながら、本書でメインの舞台となる日本は、現実の日本人から見ても異様なほどに戯画化された、西洋文明とは異なり死を貴ぶ文化圏として描かれます。かなりブラックかつグロテスクなユーモアが散りばめられていますが、奇妙ではあるものの一種の美学が感じられる異界として楽しむことができます。

 二〇〇一年に勃発した〈千年大戦〉のため、世界は滅びを迎えつつありました。放射線による遺伝子異常で人ともつかない姿となった奇人が大勢生まれ、体が緑に変色して死に至る悪疫が蔓延っていたのです。
 世界で唯一、直接の被災を免れた日本もまた、忍び寄る破滅と無縁ではありませんでした。
 この時代の日本は、滅びゆく世界で生き延びる術を模索する生存大臣イシダ・アキロウ、誇りある死を追求する終末大臣タカハシ・ヒデオ、国民の慰めや教化を行う慰謝大臣カワグチ・カンの三頭政治により統治されていましたが、カワグチはどちらつかずの小物であり、実質的にはイシダとタカハシに支配されています。
 二人は元同級生でありながら思想的には互いに相容れない存在でした。イシダは日本的な死への愛に共感することができず、タカハシは伝統的価値観を尊重するふりをしつつも内面は俗にまみれた残忍な性格でした。
 二〇二二年の春、漁船に乗っていたイシダの娘リョーコは、海上で一頭のクジラと出会います。驚いたことに、そのクジラは高い知性を持っており、建設中のあるものに関することで、リョーコに三人の大臣を半年後のヨコハマへ連れてくるよう話しかけてきたのです。
 そして、指示に従った三人の老人がヨコハマの浜辺に赴いたとき、再びクジラが姿を現し、リョーコを通じて大臣達へ語りかけました。日本人は、かつてクジラの遺伝子改変者が陸上の霊長類の中に植え付けたチャイルドなのだと。そして今また、彼はリョーコの卵巣へ植え付けた受精卵を、イシダが計画中の多世代宇宙船で目的地まで乗せてほしいと。
 リョーコが代弁したクジラの言葉で、秘されていた二つの事実が暴かれました。一つは、衛星軌道上に破棄されたロシアのスターシップへ乗り込んで恒星タウ・ケティ(タウ・セチ)を目指すため、イシダが新火山島アイシマで秘密裏にロケットを建造していたこと。
 そしてもう一つは、クジラの子孫である日本人がクジラの虐殺を行っていた、すなわち祖先殺しの大罪を犯していたことです。
 特に後者はあまりにも不名誉なことであり、その汚名を雪ぐ手段はただ一つ――自害のみでした。クジラの話を伝え聞いた日本人からは続々と自らの命を絶つ者が現れ、またその死を手助けするためにシコク(『四国』ではなく『死の国』の意)と呼ばれる謎の施設が作られたのです。
 一方、半年の間にリョーコが見聞を広める目的で海外を旅行していたとき、ハワイのヒロで彼女と出会っていた日系二世の青年ジョッシ・ナカムラは、祖母の死を後にハワイを離れ、知恵遅れの弟ディディと共に日本を目指すことにしました。彼は日本人の血を引きながら日本文化を理解しない人間で、祖母が大切にしていた貴重なテンモク茶碗(彼にとってはガラクタ)を対価に、滅びゆくヒロを捨てて文明の残された地である日本へ向かう権利を手に入れます。
 ジョッシは知らないことでしたが、言葉を話さず発育不良の弟ディディは、決して白痴などではありませんでした。ディディは人の姿をしていながらクジラの心を持つ先祖返りで、異質な精神を持ちながらも彼なりの思いで兄を守ろうとしていたのです。
 ナカムラ兄弟が日本に辿り着き、再びリョーコと巡り合ったとき、物語はクライマックスを迎えます。

 本書の注目ガジェットは、作中の日本人とその文化です。
 物語世界におけるクジラは、極めて高い知能を有しながらも人間とは異質の存在で、エネルギー粒子のダンスを読み取り、不完全なものを愛し、死を歓びとする生き物です。クジラにとって人類は、ものを考えないけれど偉大な道具の作り手となりうる可能性を秘めた生物で、その誘導ための干渉としてクジラが生み出し人類と交雑させたものの子孫が日本人であり、その文化はクジラのそれを受け継いでいる、ということになります。
 作中の日本は日ごろから禅を信奉し、俳句を詠み、名誉ある死を美徳とする人々だらけの、いわゆる「勘違い日本」的な異界です。スチャリトクル氏は日本に滞在経験があるわけですから、当然ながら現代日本がそんな場所ではないことはご承知のはずですが、あえてマンガ的な誇張を行うことで異質な文化圏を演出している模様です。

 作中では、そもそも死を信奉する日本文化が異生物たるクジラからもたらされた非人類的な価値観であり、良識的なイシダはそれを良しとせず、自害を尊いものと口にするタカハシは実際には自害しない、リョーコは当初抱いていた死へのあこがれに疑問を抱くようになり、日系二世のジョッシは最初から拒絶、後半の日本人自殺ブームはブラックなコメディとして描かれる、といった感じにフルボッコ状態です(笑)
 日本人の一人としてはいささかその理解に苦情を入れたくなるところではありますが(^^;)、一方で、自分が名誉のために腹を掻っ捌くかと問われれば、多分そんなことは恐ろしくてできません。身近な人間が切腹で名誉ある死を選んだとしても、それを美談と捉えることすら無理です。
 まあ、それは私が武士ではないからなのでしょうけど、大多数の現代日本人もおそらくは同様だと思われます。にも拘わらず、未だにフィクション(特に時代劇)で自害が美徳と描かれる矛盾をスチャリトクル氏は揶揄されたのかもしれません。

 なお、興味深い部分として、終盤で会話のやり取り中に詠まれる一対の句があります。

    赤トンボ 羽根をとったら!
    ……トウガラシ

 と、それに対する

    トウガラシ 羽根をつけたら!
    ……赤トンボ

 です。
 実はこの部分、元ネタがあります。俳人の宝井其角と、その師である松尾芭蕉のやり取りだと言われているものです。(多分、あのねのね@『赤とんぼの唄』ではありません(^^;))
 原典に当たれていないため詳細不明なのですけど、少なくともスチャリトクル氏はそのことをご存じだったはずですね。
 この点を見ても、氏の日本文化への理解は決して浅いとは言えないでしょう。

 日本の文化が茶化されているために、日本を題材とするSFでありながら、日本人にとってあまり耳当たりの良い物語とは言い難い部分があります。
 ただ、本作を「自らの拠って立つ文化的価値観が覆させられることへのセンス・オブ・ワンダー」と捉えるなら、物語を最も楽しめるのは実は日本人ではないかとも感じます。それがスチャリトクル氏の意図したところではなかったとしても(^^;)

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