大西洋横断トンネル、万歳!

[題名]:大西洋横断トンネル、万歳!
[作者]:ハリイ・ハリスン


 ハリイ・ハリスン氏による、〈歴史IFもの〉です。
 ハリスン氏は多才な方で、ユーモアSF、ハードボイルド等の作品を手掛けられていますが、本書では過去の出来事で現実とは異なる歴史を辿ることになった世界を描き出してくれます。
 分岐点となったのは、十三世紀のイベリア半島で起きた「ナバス・ド・トロサ(ナバス・デ・トロサ)の戦い」で、この戦いで本来勝利するはずだったキリスト教勢力が敗北したため、イベリア半島はイスラム圏のまま二十世紀を迎えることになります。その余波としてフランス革命は起きず、ドイツは複数の国に分裂したまま、更にはアメリカは独立戦争に敗れて未だイギリスの植民地です。そして、それらの要因が絡み合った結果、作品世界では第一次・第二次世界大戦が起きておらず、イギリス・ヴィクトリア朝の比較的穏やかな社会が続いたままです。
 そうした中、イギリス-アメリカ間を列車で結ぶための、大西洋横断トンネル建設計画が持ち上がり、主人公がそのトップとして奮闘する、というのがメインストーリーです。
 この本書、どうもそれほど注目されていないようなのですが、私個人としては、ハリスン作品中でも一二を争うほど秀逸な物語なのではないかと密かに思っています(^^;)(詳細は後述)

 一九七〇年代、大西洋横断トンネルの建設現場で技師として働く青年がいました。彼の名はオーガスチン(ガス)・ワシントン大尉。かつてアメリカ独立戦争を引き起こし、敗北して反逆者として処刑されたジョージ・ワシントンの子孫です。彼は特にイギリス本国でその出自を見下されることはあったものの、持ち前の才能と努力で高い地位を獲得していました。
 そんなガスが、重役会に呼び出されて告げられたのは、彼を大西洋横断トンネル会社のリーダーに抜擢するというものでした。会社は資金繰りに苦慮しており、植民地アメリカの出身である彼をリーダーに据えることで、アメリカ内からの融資を促そうという狙いがあったのです。
 しかしながら、これに怒り心頭なのが、トンネル計画発案者かつガスの婚約者アイリスの父サー・イザンバードでした。彼にとっては、子飼いの技師に自分の手柄を横取りされることに等しかったのです。サー・イザンバードはガス・ワシントンのトップ就任を渋々認めたものの、自分の娘アイリスとガスの婚約はなかったものにする、と一方的に告げました。
 意気消沈しつつも、ガス・ワシントンはトンネル施工へ取り組むことになります。何らかの組織が送り込んだ暗殺者、工期短縮要求、妨害工作、そして事故……。それらの問題を果敢に乗り越え、ガスは自らの有能さを証明していきます。それが同時に、サー・イザンバードを更に立腹させることを知りながら。
 果たして、超巨大事業・大西洋横断トンネルは無事完成するのでしょうか。そして、ガス・ワシントンがアイリスの手を取る日は来るのでしょうか。

 本書の注目ガジェットは、大西洋横断トンネルと深海列車です。
 トンネルは、当初の計画ではスリップ・カスティング工法("slip casting technique"、手掘りシールド工法に近い?)で掘り進められていましたが、遅々として進まないことから、トンネル区分を地上で建造して順次海底に沈める、いわゆる沈埋工法へと変更されることになります。
 また、その中を走る列車も途中で改良が施されます。元々、トンネルは深海底に置かれるため、数百気圧もの圧力に耐えねばなりません。それならいっそ、トンネル内を一気圧ではなくゼロ気圧にしてしまおう、とガス君は決定します(笑) いわゆる真空チューブトレインですね。
 深海列車は磁気浮上式のリニアモーターカーで、空気抵抗がないことから最大時速二〇〇〇マイル(≒時速三二〇〇キロメートル)という、とんでもない速度でトンネル内を疾走することになります。我らが新幹線の十倍以上の速さです。海底トンネルへ進入する出入り口にば、列車を全て収める巨大なエアロックがあり、そこで減圧・加圧を行います。
 ただし、よくある未来想像図や某マリンエクスプレスとは異なり、トンネルの外壁は透明でないため、海底の景色を眺めることはできないようです。まあ、どのみち真っ暗で何も見えないでしょうから、仕方がないですね(^^;)

 本書は〈歴史改変もの〉であるため、現実世界とは技術の発達具合が異なります。蒸気自動車が道路を走っているかと思えば、線路の列車の動力は原子力、コンピューターは機械式のブラベッジ・エンジン("Brabbage engine"、バベッジ氏の解析機関の流れをくむ?)と、いわゆるスチームパンクに近いです。
 ただし、ジャンルとしてのスチームパンクが確立するのは一九八〇年代以降なのに対し、本作の初出は一九七二年ですから、ハリスン氏は時代を先取りしていたと言えるでしょう。
 また、作中に登場する、ブラベッジ・エンジンとロケットの専門家クラーク大尉は、アーサー・C・クラーク氏その人だったりと、実在の人物が若干立場を変えて登場しているのも〈歴史IF〉の醍醐味ですね。

  §

 レビューはここまでとし、ここからは妄想含みの考察です(^^;) かなりのネタバレになってしまいますから、内容を知りたくない方はここで中断されることをお勧めします。
 本書を読まれた際に気付かれる方も多いでしょうが、作中には黒人がほとんど登場しません。植民地アメリカ人の人種に言及する箇所でも、インディアンはあっても黒人は言及されないのです。これはどういうことでしょうか。
 ここで、現実の歴史(作中でアルファ2世界と呼ばれます。分岐した架空の歴史はアルファ1世界)を振り返ってみましょう。大西洋奴隷貿易を大規模に先導したのはポルトガルで、スペインがそれに続きます。この両国は、キリスト教勢力がイスラム圏からイベリア半島を奪還した、レコンキスタによって成立したもので、その経緯から非キリスト教圏への差別意識が強かったとか。
 しかしながら、アルファ1世界においては、イベリア半島はイスラム圏のままであり、ポルトガルとスペインは存在していません。
 加えて、ジョージ・ワシントンが反乱に失敗したことも関わってきます。アルファ2世界において、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアン(ネイティブ・アメリカン)を蔑視し、絶滅させるよう過酷な攻撃を行ったことで知られます。アルファ1世界では彼が処刑されたことにより、絶滅政策自体が実施されなかったものと思われます。長らく白人からの抑圧に苦しんだようですけど、労働力の担い手として植民地アメリカの人口の一角を占めています。
 すなわちアルファ1世界は、黒人奴隷がアメリカへ大量移入されなかった世界なのです。売り手となるはずのポルトガルとスペインが存在しないことで、新世界へ植民者(黒人奴隷)を大量に送り込むこともなく、プランテーションの労働力となるインディアンがいることで買い手もない、ということだと思われます。
 それほど歴史的に重視されていない「ナバス・デ・トロサの戦い」が世界の分岐点・アルファ交点に選ばれたのも、おそらくはこのためなのではないかと。この戦いでのキリスト教勢力の敗北から、ドミノ倒し的に三角貿易の消滅へと繋げる様は、さすがとしか言いようがありません。〈歴史IFもの〉の真骨頂と言っても過言ではないと感じています。

 もちろん、スチームパンク風の奇妙な世界観や、いかにもSFらしい大西洋横断トンネルの敷設、そして「お前なんぞに娘はやれん」と鼻息荒い(笑)サー・イザンバードとガス君の確執と、見どころは他にもたくさんあります。それでいて雑多な印象がなく、すっきり筋が通っているのも見事ですね。
 非常に贅沢な要素を盛り込みながら、エンターテインメント性もしっかり確保した、〈歴史IFもの〉の名作です。

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