捜査

[題名]:捜査
[作者]:スタニスワフ・レム


 巨匠スタニスワフ・レム氏の、古典的な推理ものの体裁を取ったメタミステリー小説です。
 ストーリーとしては、ロンドンで起きた奇怪な死体消失事件の謎を警部補が追いかけるもので、展開にはいわゆるSF(あるいはホラー)的な要素はほとんどありません(作中人物が半ば冗談で「異星人の仕業」とする場面もありますが(^^;))。作風としてはカフカエスク(フランツ・カフカ氏の作品のように不条理で不気味な様式)とも評されます。
 しかしながら、本作はレム作品の重要なテーマとなる「科学的手法そのものに対する疑念」が主題となっており、名作『ソラリスの陽のもとに』などにおける「異星知的生命体との決定的なディスコミュニケーション」という構図をを読み解く上でも、重要な位置付けのお話と言えるのではないでしょうか。

 雪に閉ざされた冬のロンドン――そこでは奇妙なことが起きていました。共同墓地などの死体置場から死体が消失するという、手段どころか動機すら不明な事件が続発していたのです。
 主任警部シェパードに集められた打ち合わせで、捜査に当たっていたファークォート警部は、消失事件に先立って「死体が動かされる」という、事件とも言えないような出来事が起きていたことを報告しました。死体が棺桶の中で寝返りを打ったようにうつぶせになっていたり、棺桶の外へ運び出されていたりしたのです。
 その後起きた死体消失事件では、多くの場合誰でも侵入可能な場所に死体が置かれており、いずれの事件も人のいない夜間に行われたと推察されます。ところが、グレゴリイ警部補が捜査を担当した事件の一つでは、医科大学の解剖室が事実上の密室状態でした。また、どの事件においても侵入者の痕跡は一切残されていません。
 その上、統計学者のシス博士は、最初の事件から時間が経つにつれ後の事件の地点が遠ざかっていること、そして二つの事件の時間的間隔と現場の距離が、平均気温と極めて高い相関関係があることを示します。
 しかし、その相関関係は意味不明でした。そもそも、実験目的などで死体を合法的に手に入れることは容易である上に、その前の「死体置場で死体を少しだけ移動させる」に至っては誰の得にもなりません。
 打ち合わせ後、シェパードの自宅に呼び出されたグレゴリイは、この事件を担当するよう命じられます。その場での話し合いでグレゴリイは、この事件が「死体が自発的に動き出すこと」を装うため、意図的に時間・距離を平均気温に合わせて実行した精神異常者の仕業なのではないか、という示唆を受けるのでした。
 けれども、そもそも犯人の手がかりすら存在しないため、捜査は全く進展しません。
 そうした中、新たな死体消失“未遂”事件が発生します。巡視を行っていた警官が何かに驚き、拳銃を手に持ったまま車道へ飛び出してトラックにはねられたのです。死体は死体置場の窓の外に残された状態で、はねられた警官は意識不明のため何が起きたのかは依然として不明でした。
 疑心暗鬼に陥ったグレゴリイは、身内であるシスこそが、統計学を用いて警察を翻弄している犯人なのではないかと疑念を抱き始めるのですが……。

 主人公のグレゴリイ警部補はまだ経験の浅い刑事で、少々思い込みが激しく近視眼的です。下宿先の家主の部屋から毎夜聞こえる謎の騒音に苛立ち、音の正体が気になって仕方がない神経質な側面もあります。捜査の過程で車をわざとぶつけるなど、警察官としてはどうなのかと感じる部分はあるものの(笑)、総合的には真相を追求しようと努力する真面目な刑事ですね。
 一方、対比的に描かれるシェパード主任警部はより大局的な視点に立ち、拙速なグレゴリイをたしなめます。とは言うものの、シェパード自身は死体消失事件を解決可能だと思っておらず、新米のグレゴリイに事件を丸投げしている辺りに彼の諦観が表れているようにも読めます。
 統計学者シスはアウトサイダー気質の男で、統計分析により得られたデータを刑事達に提示するものの、そこから何が読み取れるのかという点には一切関心を払いません。協調性がなく、知人からもあまり好かれていないようです。
 主要なキャラクタは上記の三人ですが、もう一人の興味深い人物としてシスの知人のベストセラー作家アーマー・ブラックがいます。このキャラクタのスタンスは明快で、第三者の立場から事件を「超自然的なものが原因」と決めつけてしまっています。ブラックの立ち位置は、おそらく読者目線なのではなかろうかと個人的に感じています。

 謎の事件を追う刑事、という推理小説的なストーリー展開ではありますが、最終的に読者に対して真実は明かされません(あまりミステリー・ファン向きではないですね(^^;))。「論理により謎を解き明かす」という推理小説を否定する、アンチ・ミステリーなのかもしれません。
 グレゴリイは警察の常套手段を用いて事件に当たりますが、自ら謎を解明することはできません。最終的に、瑕疵はあるあるものの相関関係を満たすことが可能な、それなりに納得のいく説が提示され、それを受け入れることになります。が、彼自身それに納得しているわけではなさそうです。
 面白いのは、読者に対しても同じような仕掛けがなされていることです。レム氏は読者に対し、暗示的に「この事件の裏には『死者の復活』という超常現象がある」と誘導してきます(レム氏はSF作家さんですし(^^;))。けれども、終盤のほどほどに納得がいく説明で、必ずしも超常現象を前提としない答えもありうることが示されます。
 結局、事件の真相はなんだったのか、そもそも真相などというものが存在したのか、それすら明かされずに物語は終わりを迎えます。体系立てた知識に基づく論理というものが、果たして私達が信じ込んでいるほど盤石なものなのかを問いかける異色作です。

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