シミュラクラ

[題名]:シミュラクラ
[作者]:フィリップ・K・ディック


 鬼才P・K・ディック氏の作品では、しばしば「本物と偽物」という構図が登場します。一見すると本物と見分けのつかない存在が現実を侵食していくというもので、例えば名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では人間そっくりのアンドロイドがこの役割を果たします。
 本書の題名『シミュラクラ』は、「肖像・似姿・模造品」などという意味の単語("simulacra":複数形、単数形は"simulacrum")で、直接的には作中に登場する人造生物を指します。まさに「本物と偽物」の役割ですね。もっとも、内容からすると、もっと広範囲の「まがい物」を表しているようにも感じられます。

 二十一世紀半ば、世界はいくつかの超大国に分かれ、対立していました。
 かつてのアメリカ合衆国は、西ドイツを五十三番目の州に迎え、全体主義国家である米欧合衆国(USEA)となっています。人民は秘密を知る特権階級Ge(ゲハイムニス)と労働者階級Be(ベフェールトレーガー)に分けられていて、Beは無知のままに置かれたままです。
 USEAを率いる大統領はデル・アルテ("der Alte":ドイツ語で"the Old Man"の意味)と呼ばれ、四年ごとに選挙で選ばれることになっていますが、実権はファーストレディであるニコル・チボドウが握っていました。ニコルは二十歳ほどにしか見えない若く美しい女性ですが、デル・アルテの入れ替わりとは無関係にファーストレディの座に就いていて、USEAを支配しています。
 しかし、実はそれすら欺瞞でした。歴代のデル・アルテは五十年も前から人造人間シミュラクラであり、人々に見せる姿はシミュラクラが指示通りに演技しただけのものだったのです。
 USEA中枢は時間移行機、フォン・レシンガー装置を有しており、過去や未来を覗き見ることが可能でした。イスラエル首相エミル・スタークはレポートに基づき、ドイツ第三帝国の元帥ヘルマン・ゲーリングをフォン・レシンガー装置で現代に呼び寄せ、民族浄化で犠牲になるユダヤ人の命を救うようニコルに働きかけてきます。
 これまで第三帝国への干渉がことごとく妨害されてきたこと、かつゲーリングという奸物を相手にすることへの不安から、ニコルはこの計画に気乗りしません。けれども、それを拒絶することは困難でした。何故なら、ニコルの持つ絶対権力もまたまやかしだったからです。
 心を病んだ念動力者のピアニスト、リヒャルト・コングロシアン。精神分析医を非合法化するマクファーソン法で職を失おうとしているエゴン・シューパーブ博士。フォン・レシンガー装置を使って暗躍する、ネオ・ナチ組織『ヨブの子ら』の指導者ベルトルド・ゴルツ。デル・アルテの秘密を盾に権力を欲する、シミュラクラ製造会社カルプ・u・ゾーネン・ヴェルク社。火星植民者を非合法に募るルーニー・ルーク。大共同体集合住宅エイブラハム・リンカーンで暮らす、何も知らされずに抑圧される庶民達。そして、放射性物質の影響で遺伝子に異常をきたした人々チュパー……。
 様々な人々の思惑を飲み込み、USEAによる人民支配は綻びを見せ始めていました。

 本書の注目ガジェットは、シミュラクラです。
 もっとも、作中でシミュラクラの内部的な説明はほぼありません。人間そっくりに作られた機械で、遠隔制御による操作だけでなく、ある程度自律的に行動し会話する能力を有しています。しかしながら、人間のような精神を持ち合わせているわけではないようで、シミュラクラとの会話は所有者のひとり問答に過ぎないとされています。
 また、火星生物パプーラのシミュラクラも存在し、元となった生物と同じ精神感応力を持っています(何故機械がそんな能力を持っているのか、作中では説明なし)。パプーラのシミュラクラはその能力を活用して、お客に購買意欲を無理やり植え付けるという使われ方をしています(笑)

 ディストピア小説『一九八四年』を思わせる全体主義国家USEAの人々が多面的に描かれていき、作品の主軸がどこにあるのか見極めが難しいお話です(^^;) と言うか、特にどれがメインという訳ではないのかもしれません。
 一応、大枠として、欺瞞に満ちた全体主義国家の崩壊という要素があります。ファーストレディのニコルを中心とし、最も他の要素と絡んでくる部分ですね。
 その一方で、タイムマシンであるフォン・レシンガー装置が引き金となってホモ・サピエンスの時代が終焉を迎えるという、いかにもSFらしい要素も見逃せません。『ヨブの子ら』指導者ゴルツの行動は読後振り返っても謎が多いのですが、彼はこれを食い止めようとしていたようにも感じられます。
 念動力者コングロシアンの顛末も、特に後半になって彼の狂気が現実を侵食していく様はグロテスクで、ディック氏らしい展開と言えるでしょう。
 また、これは推測なのですが、火星生物パプーラのシミュラクラにも何かあるような気がしてなりません。仮に、単なる機械ではなく元の生命体を反映したものだとすると、「火星生物による地球人支配」的な要素が入ってくると思われます。
 これらに加えて、ハエのように飛び回る広告だとか、ガニメデ生命を組み込んだ録音装置(単に音声を再生するだけでなく、何故か応答もする(笑))だとか、ケレン味たっぷりのガジェットが相当に散りばめられています。

 このように、内容が詰め込みすぎの感が無きにしも非ずで、物語として見ると少々破綻気味ではあります(^^;) ただ、後半のドライブ感はかなりもので、思わずお話に引き込まれてしまいますね。
 名作ではないかもしれませんが、ワイドスクリーン・バロックのテイストを併せ持った、一種異様な魅力のある作品です。

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