虚空の遺産

[題名]:虚空の遺産
[作者]:エドモンド・ハミルトン


 スペースオペラの名手エドモンド・ハミルトン氏の、やや異色な宇宙SFです。
 本作は、月で発見された太古の遺跡から知識を得て、現代地球人が星間宇宙へと乗り出すという、いかにもな宇宙活劇のスタイルを取っています。しかしながら、設定から想像されるような爽快感はなく、厭世的な重苦しさに満ちた作品に仕上がっており、むしろアンチ・スペースオペラといった印象です。
 ただ、元々ハミルトン作品では、しばしばヒーロー性を揶揄するような側面があり、それは代表作〈キャプテン・フューチャー・シリーズ〉にも見受けられます。ですから、本作もまたハミルトン氏らしいお話と言えるのかもしれません。

 三十代の言語学者ロバート・フェアリーは、スミソニアン学術協会から言語学研究のため招聘され、ワシントンへ向かいました。
 ところが、飛行機から降りた途端、あれよあれよという間にジェット戦闘機へ乗せられ、ニューメキシコのモロー基地へ連れてこられてしまいます。モロー基地はアメリカの月計画を担う拠点であり、言語学とは何の関係もなさそうなのですが、彼に加え同じく言語学者三人が理由も知らされず集められていたのです。
 月計画の責任者ニルス・クリスンセンと、彼のアシスタントを務める元空軍大佐グレン・デウィットは、月面のガッサンディ基地で三万年前の遺跡が発見されたのだと彼らに打ち明けます。状況からヒューマノイドと推測されるも、姿形の分からない知的生命体がかつてそこにいたのであり、その高度な技術の存在をソビエトに知られる前に解明したいと言うのです。
 文書、機械に記された説明、録音された音声といった手がかりこそあるものの、全く得体の知れない種族の言語を翻訳するなど無茶であり、当然のことながら言語学者チームは暗礁に乗り上げます。しかし、プロジェクトを推し進めるデウィットは彼らの苦情など意に介しません。
 そんなとき、フェアリーは謎の言語と古代シュメール語との類似に気付きます。馬鹿げた思い付きに感じるそれを自分だけで調査していたのですが、ある晩、停電と共にフェアリーの研究ノートが盗まれるという事件が起きました。それがソビエト側のスパイの仕業だと主張するデウィットは、一刻の猶予もならないと言語学者を焚き付け、フェアリーの思い付きに沿って研究を進めさせたのです。
 驚いたことに、フェアリーの推測は偶然の符合ではなく、実際に月にいた種族ヴァンリンが人類の祖先であったこと、そして謎の敵に滅ぼされたことが判明します。翻訳が進展した結果、ヴァンリンの宇宙船駆動装置を復元するに至りました。
 計画を進めてきた自分こそが指揮官となってヴァンリンの故郷であるアルタイルに探検隊を送るよう主張したデウィットですが、彼の独善的な性格が上層部から危惧され、クリスンセンが指揮官となることが決定されました。デウィットはそれに不満を募らせていきます。
 一方、フェアリーは別惑星への探検など御免被りたいところでしたが、自分しか通訳の適任者がいないこと、そして翻訳過程で幾度も聞いたヴァンリン女性歌手の歌声に魅了されていたことにより、渋々ながら探検隊への同行を決心します。
 建造された新型宇宙船で地球を飛び立った一行。大きなトラブルもなく、彼らはアルタイル第三惑星リンへ降り立ったのですが……。

 本書の注目ガジェットは、ヴァンリンです。
 ヴァンリンはアルタイルの第三惑星リンで誕生したヒューマノイドで、約三万年前に宇宙へ進出し、あちこちの恒星系へ植民地を築いていた模様です。そのうちの一つが太陽系で、地球人類は彼らの子孫に当たります。(なので、人類は地球の他生命体と血縁関係がないことに……(^^;))
 作中では、月面の「湿りの海」にあるガッサンディ月面基地付近で、破壊された古代の軍事基地として発見されます。(ちなみにですが、ガッサンディ・クレーターは実在し、アポロ計画で着陸候補に挙げられたものの、実際の着陸は行われていません)
 この「古代人類が銀河へ進出し、多数の惑星に植民したのち、一旦滅んだ」という設定は、ハミルトン作品にしばしば登場します(〈キャプテン・フューチャー〉とか、〈スターウルフ〉とか)。スペースオペラの定番である「宇宙のどこへ行っても地球人そっくりの異星人がいる」というご都合主義を正当化するためのものと思われますが(笑)、本書ではその「一旦滅んだ」という部分に着目し、滅んだ理由を焦点として物語が紡がれているようです。
 設定としては、J・P・ホーガン氏の代表的作品『星を継ぐもの』との類似も興味深い点です(執筆はこちらが先)。本書は月面で三万年前の軍事基地を発見、『星を継ぐもの』は月面で五万年前の遺体を発見という違いはあるものの、学者である主人公が何も知らされないまま連れてこられ、太古の昔に存在した高度文明の謎を解明しようと苦心する様はかなり似ています。
 ただ、本書の言語学究明は序盤のみで、その後は惑星リンへ軸足を移すのに対し、『星を継ぐもの』は第一作が丸々科学的究明に割かれているのは大きな違いです。また、楽天的な〈ガニメアン三部作〉世界に対し、本書はペシミスティックな作風で、印象も異なります。序盤は類似しながらも、方向性の違いで全く異なる物語に仕上がっているのは面白いですね。

 本書の主人公ロバート・フェアリーはヒーロー向きの性格ではなく、やや臆病かつ慎重な、ごく普通の男性です。
 一方、物語のもう一人の主人公と言えるグレン・デウィットは、まさにヒーロー的なバイタリティ溢れる人物ですけれども、フェアリーの視点からは独善的で無鉄砲な男として描かれます。
 実際、スペースオペラのヒーローにこの人ありと言えるキャプテン・フューチャー=カーティス・ニュートンは、優れた能力と行動力を持つ一方で、社会に溶け込めないアウトローであることも物語中で強調されています。デウィットは、いわば「好意を抱いていない一般人から見たキャプテン・フューチャー」なのかもしれません。
 もっとも、カーティス君の場合、彼を諫めることができるフューチャーメンという仲間達がいるわけですが、デウィットには信頼できる仲間がおらず、ほとんどの人間からも信頼されていないという孤立状態です。これが二人を分ける一番大きな要素と言えるでしょう。
 物語終盤では、ヴァンリン文明を滅ぼした謎の種族ローンとの対峙が待っています。もし、その場にいたのがフェアリーではなくデウィットだったとしたら、違う結末を迎えたのでしょうか。
 スペースオペラを裏返すことで、人類の在り方を批判的な視点で見つめ直す、なかなかに味わい深い作品です。

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