楽園炎上

[題名]:楽園炎上
[作者]:ロバート・チャールズ・ウィルスン


 地球を取り囲む謎の生命圏が人類社会を脅かす、サスペンスタッチの侵略SFです。
 本書における歴史は、我々の知る歴史とは若干異なっており、第一次世界大戦後辺りから大きく分岐するようです。第二次世界大戦は起きず、世界情勢は比較的安定しています。
 また、地球を包む電波層の存在により、衛星中継の必要なく長距離の電波送信が可能になっています。これを利用して、私達の歴史よりも早い時点で世界規模のラジオ・テレビ送信が始まっている模様です。
 一方で、上記二つの理由から、ロケットの開発は遅れに遅れ、花火以上のものは作られていません。(作中世界でのSFには登場する模様(^^;))
 しかしながら、これらは意図的に引き起こされたものだった、というのが本書のバックボーンになります。
 ほとんどの人々は知りません――電波層が生命体であり、それが世界情勢を大きく歪めていることを。それだけではなく、人を模した何かが人間社会に紛れ込んでいることを。

 一八九〇年代に、ある奇妙なものが発見されます。遥か上空に地球をすっぽり包むように存在し、全ての無線信号を増幅して地球全体へ拡散するというものでした。科学者達はそれを電波層("radiosphere"、電離層とは別物)と名付けます。電波層の正体は謎のままでしたが、この特性を利用することで無線送信技術は飛躍的に向上し、人々は広域ラジオ・テレビ放送の恩恵にあずかりました。
 ところが、一部の科学者が奇妙なことに気づきます。電波層を経由して受信された放送内容が、送信したものと食い違っていたのです。放送された番組における、戦争や対立を煽る言葉が削られよりマイルドな表現にされたことで、世界情勢が穏やかになるという作用をもたらしていました。
 その空想じみた秘密を知る人々は、連絡協議会という学術的秘密結社を形成し、細々と電波層に関する情報交換を行っていました。電波層は生命体で、ハイパーコロニーを形成して知性を獲得しているらしいこと。そしてそれが、人類の社会を平和に導いているらしいことを……。
 けれども、ハイパーコロニーが比較的無害な存在であるとの予想は間違っていました。外見上は人間と区別の付かない、しかし体内に濃緑色の液体が詰まった怪物・シミュラクラが現れ、連絡協議会員を虐殺したのです。メンバーとその家族は散り散りになり、それぞれが隠遁生活を余儀なくされることになりました。そして、大勢の人間が殺されたにも拘わらず、情報インフラを掌握しているハイパーコロニーにより、その事件は握りつぶされてしまったのです。

 そして二〇一四年に物語は始まります。
 七年前の事件で両親を失った少女キャシー・アイヴァースンは、弟のトーマスと共に伯母ネリッサに養われていました。
 ネリッサ不在のある晩キャシーは、彼女の住むアパートへ向かってきた男が車に撥ねられ、緑の液体を流して死ぬところを目撃します。再びシミュラクラが連絡協議会関係者を殺害し始めたのだとキャシーは判断し、トーマスを連れて家を抜け出します。そして、同じく協議会の家族である青年レオ・ベックと少女ベス・ヴァンスと共に、ニューヨークを脱出しレオの父ウェルナーの住むイリノイ州を目指しました。
 一方、ネリッサの夫で別居中のイーサン・アイヴァースンの下にも、シミュラクラが姿を現していました。しかし、ウィンストン・ベイリスを名乗るそのシミュラクラは、驚くべきことをイーサンに告げます。自分達はハイパーコロニーではあるものの、連絡協議会員を殺害したのとは異なるグループなのだ、と。
 果たして、それは何を意味するのでしょうか。そして、キャシー達の逃避行の先に待つものは――。

 本書の注目ガジェットは、ハイパーコロニーとシミュラクラです。
 超高度群体(ハイパーコロニー:"hypercolony")は、それ自体は知性を持たない小球体が無数に集まり、情報のやりとりを行うことで総体として知性を獲得しているようです(作中では白蟻に例えられます)。ただ、人間の自我に相当するものはないらしく、人類に対しては善意も悪意もありません。
 恒星系内で繁殖した後、別の恒星を目指すというサイクルを繰り返しているのですが、ハイパーコロニーの構成要素である小球体は、どうやら増殖手段を備えていないようです。繁殖には惑星上の知的生命体が持つテクノロジーが必要で、ライフサイクル的にはウイルスに近い存在です(知的生命体に寄生し、自分の子孫を作らせる)。そのため人類が戦争を起こさないよう干渉したり、潜在的な敵(連絡協議会)の芽を摘んだりしています。
 偽装人間(シミュラクラ、単数形:"simulacrum"、複数形:"simulacra")は、ハイパーコロニーが作り出した端末で、外見上は人間と全く変わりがありません。言葉を話し、喜怒哀楽を見せることもできますが、実際には感情を持たない操り人形でしかありません。この「人間と区別がつかない」という部分が、物語後半で重い意味を持つことになります。
 ウィルスン氏の代表作〈スピン三部作〉には、恒星間に広がる自己増殖機械ネットワーク・仮定体が登場しますけど、作品上の繋がりはないものの本書のハイパーコロニーもこれに近い存在と言えるでしょうか。ただし、惑星上の知的生命を保護しようとする仮定体とは異なり、ハイパーコロニーは知性体の都合など気にかけず、一方的に利用するだけです。タチが悪いですね(^^;)

 作品としては(特に〈スピン三部作〉と比べて(笑))度肝を抜くような展開はそれほどありません。視点は主にキャシー/イーサン/ネリッサが担い、卑近な目線で壊れゆく日常が描かれます。ジャック・フィニイ氏の『盗まれた街』に似た、オーソドックスな侵略SFと言えるかもしれませんね。
 作中でのハイパーコロニー/シミュラクラの行動はかなり悪辣に見えますけど、実は彼ら自身は人類文明にさほど注意を払ってはいない模様です。連絡協議会がハイパーコロニーを解明しようとしなければ、何事もなく事態は過ぎ去り、いずれハイパーコロニーも消滅していただろうと思われるのが、なんとも皮肉です。
 その他、〈スピン三部作〉と共通する背景設定として、「惑星上に生まれた知的生命体(人類含む)は、暴力的衝動が抑制できず自滅する」というものがあります(〈スピン三部作〉では仮定体が、『楽園炎上』ではハイパーコロニーが人類文明に干渉して存続させる)。この部分はウィルスン氏のテーマなのかもしれません。
 現実の世界情勢を振り返ってみると、果たしてそれは絵空事と言えるでしょうか。私達の文明は、次の千年紀を乗り越えられるでしょうか。甚だ心もとないと言わざるを得ませんね(^^;)

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