人間以上

[題名]:人間以上
[作者]:シオドア・スタージョン


 シオドア・スタージョン氏は、幻想的なSFの書き手として知られる作家さんです。氏の作品は少々癖が強く、読み手によっては全く受け付けなかったり、逆に絶賛されたりするようです。
 本作『人間以上』はミュータント・テーマを扱った作品ですが、そのタッチはやはり独特です。登場人物はどこかしら病的な部分を持っていますし、話の持っていき方が納得できないと感じる方も多いようです(ストーリー自体が分からないのでは決してなく)。評論家泣かせですね(^^;)
 けれども、本作で描かれるホモ・ゲシュタルトのあり方は、異質であるが故によりいっそう読者の胸の内に強烈な印象を残すことでしょう。本書は人でありながら人を超えた存在、ホモ・ゲシュタルトの誕生と成長の物語です。

 物語はまず、白痴と呼ばれる青年(後にローンと名乗る)から始まります。彼は周囲をほとんど認識せず、自我も持ちません。動物同然の存在として生きているのです。しかし、青年は彼自身も自覚しない一つの能力を持っていました。他者の心を読み取り、そして従える力――テレパシー能力です。
 更に、テレキネシスで物体を遠隔操作できる生意気な少女、テレポーテーションで遠くまで移動可能な双子の幼児、そして発育不良ながらコンピュータ以上の驚異的頭脳を持つ(そして意思を持たない)赤ん坊が登場します。彼等はいずれも身の回りの人々から厄介者扱いされ、社会からつまはじきにされているのです。
 しかし、彼等が一堂に会したとき、それまでとは異なることが起きます。一人では社会に適応できない各人が、一つの集団の頭脳となり、手足となり、体となり、そして心となったのです。彼等は新たな一つの有機体として存在を始めます。

 本作の注目ガジェットは、ホモ・ゲシュタルト(集団人)です。本書で扱われるホモ・ゲシュタルトは、個人の意識を保ったまま同時に集団としても一つの生物と見なせるという、緩やかな結びつきを行っています。外見上は単なるコミュニティのようにも見えますが、それ以上の存在です。
 彼等は各々一部突出した能力を持つものの、一人の人間としてはバランスを欠いています。それがホモ・ゲシュタルトとして結びついたとき、全ての長所を兼ね備えた超人となるわけですね。
 ホモ・ゲシュタルトは複数人から成り立つ知性体であるため、その要素となっている人間は代替可能です(我々人間を構成する細胞が代替わりするように)。つまり、総体としては事実上不死なのです。しかしながら、同じ理由が危うさにも繋がっているという側面も持つようです。

 この作品に登場する人物の多くが、内外に何かしらの異常性をはらんでいます。青年ローンを始めとするホモ・ゲシュタルトの構成者は言うに及ばず、彼等の周辺に存在する人々もそうです。自らの娘達を全ての害悪から遠ざけようという妄執に駆られた男。そして、父親の影響で邪なものを嫌悪し恐れる姉と、一切の汚れを知らない妹、等々。
 そうしたこともあって、ストーリーは時として陰鬱な印象を与えます。
 もっとも、視点の異なる三つの章で組み上げられた物語は、非常にスマートなSFらしい結末を迎えます(少し奇麗過ぎるかも?)。このため、読後の後味は良好です。

 シオドア・スタージョン氏と言うと、有名なのが『スタージョンの法則』です。「SFの90%はクズである。ただし、あらゆるものの90%はクズである」という、シニカルながら否定できない、ウィットに富んだ名言ですね(^^;) 元々はとあるSF大会において、参加者と氏のやりとりから生まれたのだとか。
 もっとも、ある作品がクズであるか否かは読み手によるわけで、絶賛と非難を同時に浴びることも珍しくないですよね。そこを考えてみると、この法則は「無作為に手にした作品が読み手にとってクズである確率は90%」と示唆しているようにも受け取れます。含蓄のある言葉です(笑)
 さて、スタージョン氏ご自身の作品はどちらに分類されることになるのでしょう? 私にとって、本書はもちろん10%の方です。

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