アルジャーノンに花束を

[題名]:アルジャーノンに花束を
[作者]:ダニエル・キイス


 本書は、知的障碍を持つ青年に対して行われた知能向上手術が彼にもたらす物事を描いた名作SFです。
 お話の特徴として、全ての文章が一人称による経過報告で綴られている点が挙げられるでしょう。最初は非常に拙い書き方だった報告書が、次第に語彙が増え、洗練された文章へと変遷していく様は、主人公チャーリイの感じた変化を私達に体験させてくれます。無味乾燥な語感の「経過報告」に彼の体験した喜びや悲しみが凝縮されており、読者を強い感動へと導く手腕は見事と言う他ありません。
 幼児並みの知能しか持たないチャーリイ・ゴードンは、実験的手術を受けたことにより飛躍的にその知的能力を増大させます。けれどもその結果、チャーリイはそれまで分からなかった人々の闇の部分を知ることになるのです。そして……。

 間もなく三十三歳になろうとしている青年チャーリイ・ゴードンは、肉体的には健康でしたが、フェニルケトン症のためにその知能は幼児程度に留まったままでした。
 彼はパン屋で雑用をして働きながら、ビークマン学校精薄組にてアリス・キニアン先生の下で教育を受けていました。チャーリイの向学心は強く、その甲斐あってか簡単な読み書きができるまでになっています。
 そして、その熱心さがニーマー教授とストラウス博士の目に留まります。彼等はネズミの知性を高めることに成功しており、次に人間を対象とした実験を行いたいと考えていたためです。事実、その成果であるハツカネズミのアルジャーノンは、迷路ゲームでチャーリイにやすやすと勝ってしまう程でした。
 チャーリイには詳しいことは分かりませんでしたが、パン屋で働く仲間達の話を理解できるようになりたいと考えており、頭を良くしてくれるという教授達の申し出を受け入れます。
 手術が成功し、チャーリイの知能は始め緩やかに、その後目覚ましく発達を遂げます。彼は今まで自分が知覚していなかった様々な物事を理解できるようになるのです。
 しかし、それは全てが素晴らしいことばかりではありませんでした。今まで仲間達が自分の名を呼んで笑い声を上げていたのは、チャーリイが好きだったからではなく、彼を嘲笑っていたのだと気付いてしまったのです。更には、同僚の釣り銭窃盗の片棒を担がされていたことにも。
 またチャーリイは、アリス・キニアンが美しく魅力的な女性であることに気付き、彼女に恋をします。けれども彼の情緒は知能ほど急速には発達せず、チャーリイは苦悩することになるのです。
 問題はそれだけではありませんでした。チャーリイの知的レベルは更に上昇し続け、キニアンを追い抜き、遂にはニーマー教授やストラウス博士を上回る超天才の域に達してしまいます。チャーリイにとって人々は、かつての立場を入れ替えた哀れみを覚える相手となってしまったのです。
 にも関らず、ニーマー教授達はチャーリイを実験動物扱いし、自分が彼を人間にしたのだという態度を改めませんでした。知性が高まる前も人間だったと認識しているチャーリイは憤慨し、研究発表の場からアルジャーノンを連れて逃亡します。
 チャーリイはニューヨークのアパートを住処とし、しばらくの間身を隠すことにしました。しかし、そうする間に、彼と同じ手術を受けたアルジャーノンが凶暴化と退行の兆候を見せ始めます。
 高い知性を持つ今のチャーリイには、その意味するところが分かっていたのです。

 本書の注目ガジェットは、チャーリイ・ゴードンに施された知能向上手術です。
 あまり詳細な説明はないのですが、断片的に語られる内容から類推すると、体外で培養した脳細胞の移植及び脳蛋白の生成が中心となっているようです。また、チャーリイの場合はフェニルケトン症であるために、脳内にある欠陥酵素を無毒化し損傷部分を取り除くことも行われています。
 この手術の理論を構築したのがニーマー教授で、ストラウス博士は技術的な貢献をしています。つまり二人が共同で成し遂げたものなのですが、ニーマー教授は自分の理論こそが重要だと主張し、ストラウス博士はそれが不満のようです。
 自分の知能を高めてくれた賢人達が、実は泥臭い手柄の奪い合いをしていたのだと知ったチャーリイの失望はいかばかりだったでしょうか。

 この『アルジャーノンに花束を』で私が個人的に興味深く感じるのは、知能の急激な変化によって浮き彫りにされる「人間性」というものへの問いかけです。
 私達の身の回りにおいても、知能が低下するという事態は決して縁遠いものではありません。老衰や事故、病気によってそうした状況になることもあるわけです。しかし逆に、知能上昇という事態は(子供から大人への時間をかけた成長を除いて)まず起こらないと言えるでしょう。小説内の状況が現実に当て嵌まるか定かではありませんが、考えるきっかけを提供してくれるのは確かですね。
 本作の主人公チャーリイ・ゴードンは高い知能を獲得した後、かつての自分が人間扱いされていなかったことを知ります。けれども、変化が劇的なものであろうともチャーリイにとってかつての自分は今の自分と連続しており、確かに人間だったことを知っているわけです。両親や同僚、そしてニーマー教授らが自分を動物のように考えていたことを知り、チャーリイは傷つきます。更に、彼自身が知的障碍を持つ少年に対して嘲りの念を抱いてしまったことで、自己嫌悪を招くことにもなります。
 一方、かつてのチャーリイは知能こそ低かったものの、人当たりのいい優しい青年でした。しかし、知能が増大するに従い、彼は他者を見下し辛辣な言葉を投げつける性格へ変貌してしまいます。これには彼が傷ついたことも影響しているのですが、そのせいで周囲の人々はチャーリイが人間的な優しさを失ってしまったと感じます。
 結局のところ人が「人間らしい」という言葉の中に求めているのは、相手が自分とどれだけ近い存在なのかということに過ぎないのかもしれませんね。知性の面で両極端に変化してしまったチャーリイは、そのどちらにおいても孤独を強いられてしまうのです。

 本書は純粋にドラマとしても優れており、それがSF作品の枠を超えて多くの人に愛される理由ですね。チャーリイ・ゴードンの体験する物事は非常に密度が高く、読者の心へ強く訴えかけてきます。特に最後の文章は涙なしには読めないほどです。
 時代を超えて存在する、一読の価値のある名作だと言えるでしょう。

この記事へのコメント

  • ぷり

    はじめまして
    「アルジャーノンに花束を」は名作だと思います。
    読み終えて本を閉じたら、表紙(だったかな)の花束が目に入って…なんともいえない気持ちになったのを覚えています。
    2007年11月19日 01:47
  • Manuke

    はーい、初めまして。
    心に強い余韻を残す作品ですよね。最初に本書を読み終えたときは、しばし呆然として何も手に付きませんでした。
    私が持っているのはハヤカワのハードカバー版ですが、やはり表紙にバラの花束が描かれていました。そこに込められた意味を知ると、表紙を見ただけで涙腺が刺激されちゃいます(^^;)
    2007年11月20日 00:37

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