楽園の泉

[題名]:楽園の泉
[作者]:アーサー・C・クラーク


 本書は緻密な科学考証によって裏打ちされた、大変に優れたハードSFです。巨匠クラーク氏の最高傑作と言っても決して過言ではないでしょう。
 本作で描かれる中心となるのは宇宙エレベータです。この超巨大な建造物は、地球の赤道からはるか四万キロメートルの高さまでそびえ立つ、しかし文字通りのエレベータなのです。
 宇宙エレベータというものを思いついたのはクラーク氏ではありません。一九六〇年にソビエトのアルツターノフ氏が、そしてその後も複数の人々が同じアイディアを独立に発表しています。しかし、最もこのアイディアを世に広めたのは『楽園の泉』と、そしてほぼ同時期に出た『星ぼしに架ける橋』という二編のSFだと思われます。
 ひたすらに宇宙エレベータを建造することを追い求める一人の男の物語――本書はただそれだけのお話です。けれどもそこには、切ないまでの輝きがあります。天才技術者モーガンが物語の舞台から去るとき、読者の胸にはきっと熱いものがこみ上げてくることでしょう。

 お話の舞台は二十二世紀、インド洋赤道に浮かぶ島国タプロバニーです。そこに住む引退した政治家ラジャシンハの元へ、五十一歳になる技術者ヴァニーヴァー・モーガンが訪れてきます。モーガンはジブラルタル海峡を横断する巨大な橋を建設した高名な技術者で、ラジャシンハは彼の意図を図りかねます。
 実はモーガンは、タプロバニーへ宇宙エレベータを建造することを構想していました。エレベータを設置するのに世界で最も適した場所こそが、タプロバニーの霊峰スリカンダ山頂だったのです。けれども、同時にそこはスリカンダ寺院の存在する場所でもありました。
 ラジャシンハに渡りを付けてもらい、モーガンはスリカンダ寺院の僧侶達と話し合いの場を持ちます。スリカンダ山の所有権は寺院にあり、彼らの同意がどうしても必要だったからです。しかし、僧侶側は霊山への宇宙エレベータ建設に首肯しません。そんなものが作られてしまったら聖地の威厳などあったものではありませんから、当然ですね(^^;)
 果たして寺院との交渉はどうなるのでしょう。そして、モーガンの抱いた壮大な夢は実現するのでしょうか。

 本書の注目ガジェットは、何と言っても宇宙エレベータですね。宇宙塔などとも呼ばれる、超大規模な構造物です。
 この宇宙エレベータがあれば、宇宙へ行くのはとても簡単になります。巨大ではありますが普通のエレベータと基本的に同じですから。また、下りは回生ブレーキで発電しながら降りてこられますから、上りに必要なエネルギーの多くはそれでまかなえるため大変お得です。
 作品中ではこの宇宙エレベータに関する技術的説明が山盛りされており、実に読み応えがあります。建造方法、素材、運営中の問題点、火星に建設する際の利点と欠点、等々。また、巻末にはクラーク氏手ずからによる解説があり、本書は宇宙エレベータの宣伝広告としても実にうってつけです(^^;)
 地球の直径の数倍に達する長大なエレベータ――思い浮かべるだけで陶然としてくるほどに壮大なガジェットです。そしてまた、それは決して絵空事とは言い切れません。この大事業に挑むモーガンならずとも、宇宙エレベータの魅力に取り付かれること請け合いです。

 本書にまつわるエピソードのひとつに、チャールズ・シェフィールド氏作『星ぼしに架ける橋』との関わりがあります。この『楽園の泉』と『星ぼしに架ける橋』はほぼ同時期に世に出たのですが、どちらも同じ宇宙エレベータを題材にしたお話だったのです。さらに、作中の固有名詞もいくつか似通っていました。
 しかしながら、双方とも相手の盗作ではありません。実際に読んでみると分かりますが、この二つは宇宙エレベータを題材に持ってきてはいるものの、全く異なる位置づけの作品なのです。本書はエレベータ建設こそがメインのストーリーですが、『星ぼしに架ける橋』は建設の裏で進行するミステリータッチの物語が主です。どちらも違うベクトルでの面白さを備えています。
 それにしても、偶然とは言えこうして宇宙エレベータを描く緻密な小説を二つも読むことができるのは、SFファンとしては幸運なことではないでしょうか。

 なお、本書に登場するタプロバニーは架空の島ですが、これはスリランカがモデルになっています(タプロバニーはスリランカの古い呼び名らしいです)。この辺り、スリランカ大好きなクラーク氏の茶目っ気が感じられて楽しいですね(^^;)
 また、古代の王様カーリダーサ(作中の名前。実在の対応する人物は、狂気の王カーシャパ)に関する逸話や異星からの無人探査機スターグライダー等、サブエピソードも味わい深いですね。全体に流れる上品な雰囲気と相まって、本書を超一級のSF作品に昇華していると言えるでしょう。

この記事へのコメント

  • むしぱん

    「楽園の泉」は当時SFマガジンでは「クラーク最後の小説」と銘打たれて連載され、「そうかあ、これが最後かあ」と感慨深げに読みましたが、その後も2010年とか出て、「なーんだ、でもよかった」みたいな気持でした。
    この小説は「男の意地を貫き通す」ところが好きです。「海底牧場」も似た感じのテーマかなあと。
    2010年11月20日 21:20
  • Manuke

    そんな話もありましたね(^^;)
    クライマックスのモーガンの姿を脳裏に浮かべると、思わず涙が……。数多いクラーク氏の諸作中でも、一番好きな作品です。
    2010年11月21日 01:05
  • むしぱん

    NHKコズミックフロントで、大林組が2050年までに宇宙エレベーターを建造する目標であることをやってました。完成すれば一人80万円で軌道に昇れるとのこと。あと36年。生きてるうちに完成したら是非乗ってみたいものです。

    当初の軌道エレベーターというネーミングが好きでしたが、宇宙エレベーターに統一されつつあるのでしょうかね。
    2014年09月19日 22:43
  • Manuke

    いかに欠損のないケーブルを作れるかが一つの課題ですね。

    個人的には私も軌道エレベータの方が馴染んでますけど、英語だと大抵"space elevator"のような気がします。
    ツィオルコフスキー氏の軌道塔と混ざった用語なのかな?
    2014年09月21日 00:59
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