地底旅行

[題名]:地底旅行
[作者]:ジュール・ヴェルヌ


 SF的な物語というものは必ずしも科学技術の発達した時代に限ったものではなく、神話・寓話の中にもそのテイストを見て取ることができます(何をもって「SF的」とするかは異論のあるところですが(^^;))。ギリシア神話におけるイカロスのお話は良く例に挙げられるものですし、日本の『竹取物語』や『浦島太郎』等もSF風に解釈されることがしばしばありますね。いつ始まったかという定義は無意味でしょう。
 その一方、近代SFに限って言えばその始まりは比較的明確です。お二人のSF始祖、ジュール・ヴェルヌ氏とH・G・ウェルズ氏がこのジャンルを開拓されたという定義を取るならば。
 処女長編小説である冒険譚『気球に乗って五週間』の大ヒットを受けて、ジュール・ヴェルヌ氏が手がけた第二作『地底旅行』が本書です。このお話もまた冒険小説の体裁を保ちつつ、その内容は科学的な考察と空想によってバックボーンが構成された、紛れもなくSFに分類される物語です。
 本作のヒットにより、ヴェルヌ氏は名実共に著名作家の仲間入りを果たすことになります。つまり、同時に近代SFはここから始まったと言えるのではないでしょうか。
 古書の間に挟まっていた紙切れの暗号文を解読し、地球の中心へと至る道の存在を知ったリンデンブロック教授。彼は気乗りしない甥アクセルと猟師ハンスを旅の供とし、アイスランドの火山から地底を目指すのです。

 ヨハネウム学院教授で鉱物学者のオットー・リンデンブロックは、学者肌で短気、自分勝手で独断専行な人物でした。同居人で甥のアクセルは叔父のことを、家族としては愛し学者としては尊敬するものの、少々扱い辛い人物と考えています。
 そんなリンデンブロックがある日、買ってきた古書の間からルーン文字の書かれた羊皮紙を発見します。彼はそれが十六世紀の錬金術師アルネ・サクヌッセンムの書き残した暗号文であることを突き止め、何が書かれているのかを解読しようとします。
 ところが、これは非常に難航することになります。食事も摂らず一心不乱に解読を続ける家長リンデンブロックのせいで、アクセルもお手伝いの女性も断食を強いられてしまうのです(^^;)
 ある偶然から解読に成功したアクセルは、その内容を明かすことに不安を覚えつつも解読方法をリンデンブロックに教えます。その複号された平文はこうです。
『大胆な旅人よ、七月一日以前にスカルタリスの影がやさしく落ちるスネッフェルスのヨクルの噴火口におりよ。そうすれば地球の中心に到達できよう。これはわたしが実践ずみのことである』
 リンデンブロック教授は大喜びし、アイスランドの火山スネッフェルスから地球の中心へ通じる穴があるに違いないと、地底探検を行う準備を始めます。もちろん、アクセルを引き連れて。
 アクセルとしては火口に潜るなど御免被りたいところでしたが、リンデンブロックは彼の考えなど意に介しません。しかも、教授の養女にしてアクセルの愛する女性グラウベンまでもが、ぜひ探検に向かうべきだと言い出す始末です。四面楚歌のアクセル君に、選択の余地はありませんでした(笑)
 荷物をまとめてアイスランドへ渡ったリンデンブロックとアクセルは、寡黙で頼もしい猟師のハンスを案内人に雇い、スネッフェルス山の火口から地底深くへの探検を開始します。そこには、驚くべき光景が待ち受けていたのです。

 本作の注目ガジェットは、地底の大空洞です。
 地底へ潜る際、およそ三十メートル下がる毎に地熱は摂氏一度づつ上昇することが知られています。従って、地球の中心は鉄をも溶かすほどの超高温になっていることが推測されるわけですね。
 しかし、リンデンブロック教授はそれがあくまで仮説に過ぎないとし、地球内部はそれほど高温でないと考えています。そして、その説を裏付けるためにアイスランド火山から地下へ潜り、大空洞を発見します。
 大空洞は地下百三十キロメートルにあり、天井までの高さが数千メートルという超巨大な空間です。そして、そこには塩水で満たされた文字通りの《地中海》、リンデンブロック海が存在します。(他にも色々と重要なポイントはありますが、ネタバレになってしまうため伏せさせて頂きます)
 余談になりますが、この《地中海》の駄洒落はフランス語でも日本語でも(おそらく英語でも)、同じように通用するみたいですね。:-)
 但し本書の大空洞は、バロウズ氏の小説『地底世界ペルシダー』等で扱われる、いわゆる地球空洞説とは異なるものです。地球空洞説とは地球の内部がほぼがらんどうで、内側にへばりつくように生物が生息しているという、やや荒唐無稽かつ力学的にも誤った説です。一方、『地底旅行』の大空洞は単に地中深くにある広大な空間というだけであり、万有引力を無視する存在ではありません。
 もちろん、『ペルシダー』的に無茶な設定もそれはそれで面白いのですが(^^;)、本書ではあくまで軸足を現代科学に置いているのがポイントです。実際、アクセル君はリンデンブロック教授の地球冷却説を信じていませんし、地球中心に至る道の存在自体を疑っています。
 空想を広げて物語世界を構築しながらも、科学的な物の見方を失わずに最後まで貫くこと――この絶妙なバランスこそが本書の肝です。それはファンタジーや怪奇小説との決別であり、SFへの第一歩と見ることができるでしょう。

 最初の近代SF小説という歴史的価値を抜きしても、本書は冒険小説として十二分に面白い作品です。
 大変に身勝手な学者ながらもどこか憎めないリンデンブロック教授、探検そのものに及び腰で嫌々ながら連れて行かれてしまう一人称主人公アクセル、いざというときに頼りになる何物にも動じないハンスと、三者三様の取り合わせが面白いですね。このトリオが行う探検は、時にユーモラスなエピソード、時に手に汗握る緊迫した展開と、息もつかせぬ勢いで進んでいきます。
 また、ドイツからデンマークを経由してアイスランドへ渡航、そしてスネッフェルス山へ至る小旅行も、それぞれの土地の印象が感じられて興味深い部分です。

 ジュール・ヴェルヌ氏は『気球に乗って五週間』の後に未来予測小説『二十世紀のパリ』を執筆されていますが、出版社から「暗くて荒唐無稽」だとして没にされてしまったとのことです。これ自体は今から見れば残念なことですけど、逆にそうした事情がなければ、本書『地底旅行』が今あるような形にはならなかったようにも思われます。
 娯楽的な面白さの部分はともかく、本作に登場する物事が荒唐無稽になり過ぎないよう配慮されているのは、没になった『二十世紀のパリ』の反省点なのかもしれません。だとすれば、それはすなわちSFのジャンル成立に大きく関る部分です。
 現代の地球物理学的観点からは、大空洞のような構造は否定されてしまうことでしょう(マントル中に存在することになりますし)。しかし、もう少し小さな規模であれば今でも通用するかもしれない、空想ながらも説得力のあるお話です。発表当時であれば、なおさら信憑性が高く感じられただろうことは間違いないところです。
 つまり、科学で裏打ちされたホラ話はとても面白い、と人々はこの作品によって気付かされたわけですね(^^;) そして、それこそがSFの出発点なのです。
 本作は冒険小説でありながらそれまでとは異なる面白さを確立した、黎明期SFの記念碑的な傑作と言えるでしょう。

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