迷宮惑星トイ

[題名]:迷宮惑星トイ
[作者]:E・C・タブ


 〈デュマレスト・サーガ〉第三巻です。
 今回デュマレストが辿り着くのは、株主という支配階級の存在する惑星トイ。到着早々、デュマレスト君がトラブルに巻き込まれてしまうのはお約束ですね(^^;)
 そしてまたもや、そこにはサイクランの魔手が及ぼうとしていたのです。

 全ての住人が株主として惑星を統治するという政治形態を持った、惑星トイ。けれども、建国時の理念は忘れ去られ、今では株を持たない平民に対し株主が貴族階級として君臨している状況でした。中でも最多の株を有する〈トイマスター〉グレゴ・グロッシェンは、暴虐な振る舞いで恐れられつつ、過半数の株を得て真のトイ支配者となることを画策しています。
 そんなトイに置かれた巨大コンピュータ、〈ライブラリー〉の存在を聞きつけたデュマレストは、そこに地球の手がかりがあるのではないかと考え、下等船客としてトイを訪れます。ところが、デュマレストが発着場を出ようとしたとき、近衛兵が彼を捕えて特等旅費二回分の金を支払うよう要求してきました。もちろん、デュマレストにそんなお金はありません(笑)
 近衛兵は、牢に入るか、戦争ゲームへの参加かの選択を突きつけ、デュマレストはやむなく後者を選びます。それは株主達の余興で、株主にとっては遊びでも、参加者にとっては本物の戦争でした。デュマレストはトイマスター軍に参加するものの、彼の側は大敗を喫してしまいます。敗残兵は皆殺しと定められていますが、デュマレストは持ち前のタフさで残党狩りに逆襲し、共に戦った兵レッグレインと一緒に闘技場を脱出しました。
 一方、〈トイマスター〉グロッシェンの強権を危惧する株主レオン・ハールは社会構造の変革を希望しますが、〈紡績商協会〉の面々は「猫の首に鈴」のごとく動こうとしません。レオンと、彼の恋人であるグロッシェンの妹クァラは、グロッシェンの仕掛けた罠に絡め捕られようとしていました。そしてその背後には、グロッシェンを操るサイバー・クリールの影があったのです。
 レオン達とデュマレストの運命は、配当祭の開催されるトイマスター宮殿で交錯することになります。

 本書の注目ガジェットは、下等旅行(ロウ)です。
 〈デュマレスト・サーガ〉の世界では、宇宙船での旅行には特等・中等・下等の三種類があります。このうち下等は、冷凍睡眠により貨物扱いで恒星間を旅行するものです。
 本来、冷凍睡眠での輸送は動物を対象としたもののようなのですが、お金のない渡り者はしばしばこの手法を取っています。運ばれている最中は肉体が九〇パーセント死んだ状態で、長い船旅も意識することはありません。代謝が完全に停止しているわけではないらしく、下等旅行を終えると旅行者は冬眠明けの熊のごとく痩せ衰えた状態になってしまいます。
 ただし、下等の死亡率は一五パーセントというとんでもない高さです。五回繰り返すと死亡率が五〇パーセントを超えてしまう勘定ですね。
 もっとも、死亡率は冷凍睡眠に入る前の栄養状態に左右される模様です。デュマレストの「食べられるときに食べておく」という信条は、特にここから来ているのでしょう。決して食い意地が張っているわけではありません(^^;)

 デュマレストが訪れる星は毎回異なりますが、その先々で出会う星間巨大組織が二つあります。一つはデュマレストの宿敵サイクラン、そしてもう一つが宇宙友愛教会("Church of Universal Brotherhood")です。
 宇宙友愛教会は「神の恩寵なかりせば、われもまたかくならん("but for the grace of God, go I"、元は英聖職者ジョン・ブラッドフォード氏の言葉のようです)」との信念のもと、弱者を救済することを第一義とする宗教団体です。貧しい者や病気の者に施しを与えることが優先されるため、高位の者ですらボロを纏っていますが、僧達は皆高度な知的・精神的訓練を受けた高潔な人々とされています。権力はありませんけど、影響力は小さくない組織です。
 教会には浄福灯と呼ばれる特殊な装置が置かれています。懺悔の際にこの光を浴びると心が穏やかになり、同時に殺人への禁忌を植えつけられます。浄福灯を浴びた後には無料で濃縮ウエハースが配られるため、食糧欲しさに偽りの懺悔を行う者が少なくないようですが、友愛教会の僧達は殺人が抑制されるのならそれでも良いと考えています。
 デュマレストは概して宇宙友愛教会に好意的で、喜捨をする場面も多いのですけど、彼自身は貧しくとも濃縮ウエハースの配給にあずかることはありません。これは、殺人への禁忌がデュマレストの生き様と相いれないからですね。一方、宇宙友愛教会側もデュマレストを助けることがあるものの、その生き方に賛同するわけでもなさそうです。
 目的のために個人の利益を切り捨てた禁欲的な集団、という点では極めてサイクランと似た印象なのですが、両者は互いを嫌っています。サイバーにとっては友愛など捨てるべき無駄な感情ですし、教会の僧にとっては弱者を顧みないサイクランのやり口は容認できないということですね。反目しつつも、互いの勢力を認めて共存しているのがなかなか興味深いところです。

この記事へのコメント

  • アグモン

    タイトルの世界観設定が遊戯王的だと思う
    題名の舞台設定が遊戯王風だと思う
    主題の宇宙観設定が遊戯王感覚だと思う
    2015年01月14日 23:44
  • Manuke

    ごめんなさい、『遊戯王』はよく知りません(^^;)
    設定に通じるところがあるんでしょうか?
    未チェックでしたが、ちょっと興味がわいてきました。
    2015年01月16日 21:43

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