夏への扉

[題名]:夏への扉
[作者]:ロバート・A・ハインライン


 本書『夏への扉』は、ミスターSFことハインライン氏の諸作中でも特に人気の高い作品です。SFというジャンル全体で捉えても、これほど広く長く支持されてきた小説はそう多くはないはずです。
 何故本作が多くの読者に愛されるのか――色々と理由はありますが、最も端的に言ってしまえば、それは「『夏への扉』という物語が面白いから」という点に尽きるのではないでしょうか(身も蓋もないですね(^^;))。
 お話の根幹は、不当な行為によって虐げられた男性が自らの手でそれを覆す、いわゆる復讐劇です。それも、暴力や陰惨な要素を含まないスマートなSF的方法で。いささかご都合主義的な部分のあることは否めませんけど、この単純明快な痛快さが人気の高さに寄与していることは間違いないでしょう。
 婚約者と親友に裏切られ、冷凍睡眠で三十年先の未来へ追いやられてしまったダニエル。しかし彼はそこで、説明のできない矛盾を見ることになるのです。

 一九七〇年、発明家ダニエル・ブーン・デイヴィスは愛猫のピートとともに酒場で飲んだくれていました。
 彼は家庭用の自動機械、文化女中器(ハイヤード・ガール)や窓ふきウィリイを発明したことで、親友のマイルズ・ジェントリイと共に始めた会社を大成功させていました。さらにタイピスト兼会計係として雇った美しい女性ベル・ダーキンと婚約したことで、ダニエルは人生の春を謳歌していたのです――数週間前までは。
 しかし、ベルはダニエルが考えていたような女性ではありませんでした。彼女はマイルズを籠絡し、二人で結託してダニエルの手から一切合切を取り上げてしまったのです。
 この時代では、新たに冷凍睡眠(コールドスリープ)という産業が興りつつありました。自棄になったダニエルは、自分とピートを冷凍睡眠させて嫌なことからおさらばしようと思いつきます。しかし、寸前で未来へ逃げることを思いとどまり、二人と直接対決することにしたのです。
 ところが、それは失敗でした。ベルはあろうことかダニエルに薬物を打って言いなりにし、ちょうどいい厄介払いだと考えて冷凍睡眠場へと送り込んでしまいます。
 ダニエルが次に目覚めるとそこは二〇〇〇年、三十年後の世界でした。何もかもを失った彼は当然怒りを覚えますが、全てはもはや過去のことです。ダニエルはあきらめ、見知らぬ未来で生きていくことに決めます。
 けれども、事はそれで終わりではなかったのです。彼は未来世界で、自分が次に作ろうとしていた発明品にそっくりのものが三十年前に発明されていたこと知ります。ダニエルは親近感を覚え、その発明者の名を調べますが、出てきた名前は――D・B・デイヴィス。
 ダニエルは困惑します。自分は記憶喪失にでもかかっているのか、それとも……。

 本書の注目ガジェットは、冷凍睡眠です。
 冷凍睡眠とは、要するに人工的な冬眠のことですね。人体を極度に冷却して新陳代謝を一時停止させることを目的とする処置です。『夏への扉』では、体温低下は摂氏四度までですので、実際には人体を凍らせているわけではなさそうですが。(でも、作中には『冷凍サバ』等の比喩あり)
 冷凍睡眠によって眠っている間、対象者は老化せず意識もありません。従って、当人にとっては実質的に未来への時間旅行に等しくなります。但し無論のこと、この時間旅行は未来への一方通行で、過去へ戻ることはできません。
 物語中では、この技術は軍事目的で開発されたようです。兵士をあらかじめ冷凍睡眠させておけば、場所を取らないし、食料その他の補給も不要、そして兵が必要になった時点で解凍すればOKと、言うことなしですから(兵士にはたまったものじゃないですけど(^^;))。
 また、民間の冷凍睡眠場は保険会社によって運営されており、睡眠者は財産を信託預金するのが通例のようです。冷凍睡眠者は一眠りするだけで財産を手にすることができる――というのが保険会社の売り文句ですが、無論のこと投資に失敗して一文無しという可能性もあるわけです。

 ダニエルはハインライン氏の主人公に多い個人主義者タイプで、他人に任せることを潔しとしない傾向を持っています。また、行動力もかなりのものです。
 ただ、腕っ節より頭脳で勝負するタチですし、あっさりと婚約者に騙されて酒に溺れる辺りにナイーブさが見られます。自分だけでなんでもやりたがる部分は職人気質と捉えた方が良いかもしれませんね。天才発明家ではありますが気取ったところのない、愛すべき主人公と言えるでしょう。
 作品の方向性は、ハインライン氏の他作品と比べると若干軟派な感がなきにしもあらず、その部分で評価が分かれることもあるようです。しかし、物語の面白さはさすがストーリーテラーと呼ばれるだけのことはあります。本作はSFファンのみに留まらず、多くの人に勧めることのできる名作です。

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