神々自身

[題名]:神々自身
[作者]:アイザック・アシモフ


 本書は、我々の知る宇宙とは異なる物理法則を持つ世界との接触を描いたSF小説です。アイザック・アシモフ氏と言えば〈銀河帝国もの〉や〈ロボットもの〉のシリーズが代表作ですけれど、本書はそのいずれにも属さない独立した長編になります。
 また、この作品の特徴として異生物の存在があります。アシモフ氏の諸作中、短編には地球外生物の登場するお話がいくつかあるものの、長編にはほとんどありません(知性ある登場人物の多くは人間もしくはロボット)。本作にはアシモフ作品では珍しい、奇妙かつ魅力的な異生物・パラ人が登場し、彼等の生態を楽しむことができます。
 存在しないはずの同位体プルトニウム186の発見は、パラ宇宙との物質交換により無限にエネルギーを生み出すエレクトロン・ポンプへと発展しました。しかし、エレクトロン・ポンプが地球を破滅に導くかもしれないとの予測がなされても、人々はそれを受け入れようとしなかったのです。

 放射化学者フレデリック・ハラムが偶然により発見した、安定に存在し得ないはずの物質プルトニウム186。それは、平行宇宙(パラユニバース)に棲息するパラ人が地球へ送り込んできたものでした。ハラムはパラ人との断片的なやり取りに従い、パラ宇宙と我々の宇宙の間で電子・陽電子を交換する装置エレクトロン・ポンプを作り上げることに成功します。
 公害を生じず無尽蔵にエネルギーを生み出すエレクトロン・ポンプは熱烈に歓迎され、地球の産業はそれに依存するようになりました。ハラムはかなりの俗物で(^^;)、自らを『エレクトロン・ポンプの父』と位置づけ、その栄誉を独占してしまうのです。
 若き物理学者ピーター・ラモントは、エレクトロン・ポンプの発明者がハラムではなく異世界のパラ人だと口にしたことで弾圧され、パラ理論家としてのキャリアを潰されてしまいました。ラモントは憎しみに駆られ、未だコミュニケーションが確立できないパラ人とコンタクトを取ろうとするのですが、この最中に彼はあることに気付きます。エレクトロン・ポンプをこのまま稼働させ続ければ、いずれ太陽がスーパーノヴァ化してしまうかもしれないと。しかし、ハラムを始め皆がラモントの言うことを信じようとしません。

 そして同時期、パラ宇宙でも問題が進行していました。
 その世界には、三つの性別を持つ半ば気体状の生物・軟属と、より硬い性質の体からなる硬属が存在しました。しかし、彼等の太陽は次第に冷え、十分なエネルギーを得られない軟属は個体数を減らしつつあったのです。
 軟属の一人デュアは、感情的な性別・感性子でありながら知的で好奇心が強いという風変わりな存在でした。彼女は三つ組のパートナーであるオディーン及びトリットと、ある行き違いにより反目してしまいます。デュアは硬属が進めていた、別の宇宙からエネルギーを取り出そうとする計画を阻止しようとするのですが……。

 本書の注目ガジェットは、我々の知る宇宙とは異なるパラ宇宙と、その住人であるパラ人です。
 我々の知る宇宙では、陽子九十四/中性子九十二からなるプルトニウム186は、中性子が少なすぎるため安定して存在することができません(例えば、原子力電池に使われるプルトニウム238は中性子が百四十四個)。ところが、この同位体はパラ宇宙では安定しています。これは、パラ宇宙での「強い相互作用(核力)」が我々の宇宙より百倍ほど強力であるため、とされています。この物理定数の違いによって、パラ宇宙では核融合が起きやすくなっており、我々の宇宙よりずっと小さな太陽が存在できるのです。
 そうした太陽の周りを回る惑星の一つに、太陽光を直接エネルギー源とする半ばガス状の軟属と、もっと密度の高い物質からなる硬属が存在しています。惑星上には、この二種族以外には生命体は存在しないようです。
 軟属には理性子・親性子・感性子の三つの性別があり、それぞれ知的・親性的・感情的といった傾向を持っています。理性子と親性子は『彼』、感性子のみ『彼女』と呼称され、感性子は地球生物での女性に相当する役割を担っているもようです。(三人称代名詞の性別が二つしかないから、かも(^^;))
 非常に面白いのは、パラ宇宙の設定は「プルトニウム186が実在しうるとしたら」という発想が出発点となっていることです。一つのアイディアを論理的に膨らませて小説を作り上げてしまう、いかにもアシモフ氏らしい手法ですね。

 本書の題名『神々自身』は、ドイツの劇作家フリードリッヒ・シラー氏の作品『ジャンヌ・ダルク』の一節、「愚昧を敵としては、神々自身の闘いもむなしい」から取られたようです。また、この言葉は三分割され、『愚昧を敵としては……』/『……神々自身の……』/『……闘いもむなしい?』というように章の表題としても使われています(最後が疑問形なのがミソ)。
 実際には、本書はまさにこの「愚昧との戦い」がテーマです。アイザック・アシモフ氏はサイエンス・ライターとして数多くの科学エッセイを手がけられた方ですので、「愚昧との戦い」とは、アシモフ氏ご自身の生き方でもあったのかもしれませんね。
 また、物語を読み進めると、実はもう一つの意味が込められていることにも気付かれるでしょう。最後に明かされるこの隠し球には、思わず唸らされてしまうこと請け合いです。

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