ストーカー

[題名]:ストーカー
[作者]:A&B・ストルガツキー


 本作は旧ソビエト時代のロシアにおけるSF作家、アルカジイ&ボリス・ストルガツキー兄弟による異文明接触SFです。
 日本語翻訳タイトル『ストーカー』は、タルコフスキー監督によって本書が映画化されたときの題名ですね。小説の原題は、直訳すると『路傍のピクニック』となるようです。一見すると楽しそうな印象を受けますが、実はかなり厭世的な意味合いを含んだ言葉であることが作中で明かされます。
 人類のものではない文明との接触を中核としながらも、本作で描写されるのは異文明の担い手である生命体ではなく、その遺物です。人間の理解を拒絶する異様さは、思わず背筋が寒くなるほどですね。
 異星生物の『来訪』によって地球の上に生じた〈ゾーン〉は、大いなる恐怖の対象であり、そして宝の在処でもありました。そこにある財宝を求めて〈ゾーン〉へと危険を顧みず侵入する者を、人々はこう呼びます――ストーカーと。

 二十世紀のある日、地球上の六ヶ所の地点に異常な出来事が発生します。後に〈来訪〉と呼ばれるその事件は多数の死傷者を出し、それら地区の環境を一変させました。その後、異変が起きたエリアは〈来訪ゾーン〉と名付けられることになります。
 〈ゾーン〉の形状から、各地点はいずれも地球と白鳥座α星デネブを結ぶ線上のどこかから来たものによって引き起こされたのだろうということが判明します。しかし、それ以上のことは分かりません。何が来たのか、そして何をしようとしたのかも。
 〈来訪〉後、〈ゾーン〉は人の住める場所ではなくなってしまいました。そこは地球上でありながら、数々の異様なものが人の命を奪う異世界と成り果てています。けれども同時にそこには、不可解かつ有用な財宝も隠されていたのです。
 〈ゾーン〉を封鎖する当局の手をかいくぐり、危険を冒して財宝を手にしようとする者は、ストーカーと呼ばれています。彼等はおぞましい〈ゾーン〉の罠を回避しつつ数々のアイテムを入手し、それを闇ルートで換金する、密猟者のような存在です。
 物語はベテランのストーカーであるレドリック・シュハルトを中心に回っていきます。シュハルトは裏稼業であるストーカーから足を洗うため、〈ゾーン〉に接して設立された国際地球外文化研究所の正式な助手として生計を立てようとしていました。しかし、それは結局果たせません。彼はストーカーという在り方から抜け出せなくなっていたのでした。
 金のため、名誉のため、科学の発展のため、家族のため、そしてそれ以上の何かのため――ストーカー達は自らの命を掛け金として〈ゾーン〉へと潜入するのです。

 本書の注目ガジェットは、〈来訪ゾーン〉です。
 〈来訪者〉の遺した爪痕とされる〈ゾーン〉は、作中で人間の理解を徹底的に拒む存在として描かれます。そこにある事象も、物理法則も、そして存在理由も、何もかもが異質かつ不可解です。
 〈ゾーン〉は非常に危険な領域で、ストーカーでさえその多くが命を落とすことになります。重力異常〈蚊の禿〉、触れたもの全てをドロドロに溶かしてしまう〈魔女のジェリー〉等々……。それらによって命を落としたストーカーの遺骸は放置され、後にそこを訪れる別のストーカーへ警告を発するマーカーとなります。
 〈ゾーン〉の中には、無限に動力を生み出す永久電池・〈適量〉のように役立つものが数多く存在します。それを求めてストーカーは〈ゾーン〉へと分け入る訳ですが、実際のところそうしたアイテムが何のために作られたものなのかは誰も知りません。

 作品のトーンは全体的に陰鬱で、少なからず社会批判を含んでいます。それが本書の書かれた時代背景によるものなのかはともかく、映画版『ストーカー』では反体制的だという理由からか幾度となく製作に妨害が入ったようです。(映画自体は、ストルガツキー兄弟の思い描いたストーリーとは異なるようですけど)
 そうした社会的側面を抜きに本書をSFとして見た場合、やはり〈来訪者〉がもたらしたものの表現方法が秀逸ですね。とにかく非人間的・非日常的な存在として描かれるそれら、特に〈ゾーン〉は、理解できないことが恐怖へと結びついています。〈ゾーン〉は危険ですが、おそらく悪意によるものではなく、人がそれを理解できないのです。この恐ろしさこそがまさにセンス・オブ・ワンダーですね。
 ストーカー達はアウトローであり、いずれも基本的には犯罪者です。主人公シュハルトはストイックで冷静な男ですが、彼もまた立派な人間とは到底言えません。けれども、だからこそ余計に、異質な〈ゾーン〉との対比によって彼等の人としての生き方が浮き彫りにされているのではないでしょうか。

この記事へのコメント

  • X^2

    かなり昔に一度読んでいたのですが、今回改めて入手して読み返してみました。第一章の「ゾーン」の描写が、チェルノブイリ原発周辺の立ち入り禁止区域のそれに重なり、作者はそれを予言していたのではとすら感じました。
    原題の「路傍のピクニック」という言葉が登場するワレンチンとヌーナンとの酒場での会話が、ある意味この作品の主題を示していると思いますが、レムの一連の作品と同様に、西側のSFとは異なる独特の「未知感」とでもいうべきものが描かれているように思います。
    2009年09月27日 21:10
  • Manuke

    人間の理解を拒むだけでなく、どこか畏怖を感じさせられます。
    未知の存在に対するスタンスが西側(と言うかアメリカ?)SFとは若干異なるのは、やはり社会背景が影響しているんでしょうか。
    2009年09月27日 22:55
  • ちゅう

    はじめまして。

    よいサイトを見つけました(^^) 興味の方向が同じ感じなので、どの評を読ませていただいても、しっくりきます。

    『ストーカー』でこんなことがありました。いわゆるストーカーが社会問題になってきたある日。

    とあるショッピングモールの本屋さんの、そのストーカー問題の書籍コーナーで、あろうことか、ストルガツキー兄弟の『ストーカー』が平積みになっていたのです。よほどの本屋さんでもあるかなきかの作品なのに、山のような平積み。

    この本屋さんのスタッフは確信犯と思いました。
    2011年10月28日 19:45
  • Manuke

    いらっしゃいませー。
    同好の士にそうおっしゃっていただけて、嬉しい限りです。週一ペースではありますが、コンスタントに更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

    > 『ストーカー』でこんなことがありました。いわゆるストーカーが社会問題になってきたある日。

    確かに、ある時期から唐突に「ストーカー」という単語が一般に定着しましたよね。
    (私は本書で単語を知った口です)
    勘違いでこの本を買ってしまった人が満足してくれていたらいいのですが……(^^;)
    2011年10月29日 00:01
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ストーカー (A&B ストルガツキー :ハヤカワ文庫)
Excerpt:  原題は、"Piknik na obochine" (路傍のピクニック)で、ストーカーという邦題はタルコフスキーによる映画化のタイトルですが、現在ではもっぱら別の意味を想像してしまうので、原題の直訳に..
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Tracked: 2009-09-28 20:11