時間外世界

[題名]:時間外世界
[作者]:ラリイ・ニーヴン


 本書『時間外世界』は、詳細な科学知識と壮大なアイディアで私達を楽しませてくれるラリイ・ニーヴン氏の描く、遠未来SF小説です。
 ニーヴン氏と言えば、その代表作は『リングワールド』を始めとする一連の〈ノウンスペース・シリーズ〉ですが、本書はそれには属さない単独の作品です。(『インテグラル・ツリー』とは世界設定を共有しているようですけど、直接の繋がりはなさそう)
 癌に冒され、未来の治療に望みを託して自らを冷凍したコーベルは、二百年後に思いもよらぬ復活を果たします。彼は二十二世紀の地球社会に屈服することを拒絶し、往復七万光年の途方もない旅へと逃亡を図るのでした。

 一九七〇年代、ジェローム・コーベルという名の男が癌により死に瀕していました。彼は未来において癌の治療方法が確立されることに期待し、自分自身の死体を冷凍保存することに決めます。
 そして時は流れて二一九〇年、コーベルは意識を取り戻します。しかし、それはコーベルが考えていたように癌の治療方法が見つかったからではありませんでした。
 二十二世紀の社会において、重大犯罪を犯した一人の男が人格を抹消されるという刑罰を受けていました。そしてその男の空っぽになった脳に移植されたのがコーベルの記憶だったのです。オリジナルであるコーベルの死体は処分され、もはや存在しません。
 ショックを受けるコーベルですが、検査官ピアースは彼に選択を迫ります。宇宙船のパイロットになるか、再び人格を抹消して別の人間の記憶を植え付けるかを。コーベルは生き延びることを選び、あちこちの星々に地球生命の種をばらまく繁種ラムシップのパイロットとしての訓練を受けることになりました。
 ところが実際に宇宙へ出発した際、コーベルはラムシップを乗り逃げします。宇宙船を一G加速させ続ければ、ウラシマ効果によって二十一年で銀河中心核まで往復可能だと踏んだためでした。
 しかし実際のところ、それは諸問題のために当初コーベルが考えていたよりも遥かに長い旅となります。帰還を果たしたときには船内では二百年が経ち、彼はすっかり老人と化していました。そして船外では、実に三百万年もの時間が経過していたのです。
 コーベルが目にしたのは、あまりに変わり果てた太陽系の姿でした。もはやそれが本当に故郷であるのかすら見分けがつかない程に。

 本作の注目ガジェットは、RNA注射による学習です。
 作中では、人間の記憶は記憶RNAと呼ばれるものの中に収められているとされています。このため、あらかじめ学習すべき内容を記録したRNAを体に注射すれば、労せずしてたちまち新しい物事を学ぶことができます。受験生あたりには喉から手が出る程欲しくなるアイテムですね。:-)
 但し、RNA注射によってもたらされるのは記憶だけでなく、意識下の態度(愛国心とか)等も含まれます。実のところ、主人公コーベルが記憶を消された犯罪者の中に復活したのもこの方法です。注射しただけで人格すら書き換えられてしまう可能性があるわけですから、手放しで喜べる技術とは言えません。
 このRNAが記憶を担うという部分ですが、ニーヴン氏のオリジナルではありません。かつて(一九六〇年ごろ?)は現実の科学において論じられた説のようです。もっとも、現在ではRNAが記憶の主体という考えは否定されています。残念ながら注射による学習は当面実現しそうにないため、地道に勉強することにしましょう(^^;)

 本書の登場人物として、コーベルの他に二人の重要な者がいます。
 一人(?)は、コーベルが乗り逃げした繁種ラムシップ〈ドン・ファン〉号のコンピュータ、ピアッサです。彼はコーベルが船を乗り逃げしたときに検査官ピアースが嫌がらせとしてコンピュータに送りつけた、ピアース自身の人格コピーです(笑) 人間臭いくせに判断力がなかったりする一風変わったキャラクタで、コーベルとのやり取りが楽しいですね。
 もう一人は、コーベルが帰還した三百万年後の世界で出会う老婆、ミレリイ=ライラ・ジーラシスタールです。彼女はコーベルと異なる手段で三百万年後に到達した、彼に近い時代の人間なのですが、ある目的のためにコーベルを奴隷のように使役しようと企みます。底意地が悪く魔女のごとき容貌ですが、不思議と魅力がある人物です。
 主人公は別の人格を植え付けられた老人で、ヒロイン(?)と目されるミレリイ=ライラは意地悪婆さん(^^;)、遥か未来の世界は異様なまでに変貌――と、設定だけを取ると陰鬱な感じに聞こえるかもしれませんが、実際のところ物語はかなりあっけらかんとした印象です。ここはニーヴン氏の持ち味ですね。
 時間にして三百万年、空間にして数万光年という壮大な広がりを舞台に持つ本書ですが、肩肘を張らずに楽しめる良作エンターテイメントでもあります。

この記事へのコメント

  • Kimball

    うえーん、小生、まだ、ニーヴン先生の
    作品を一遍も読んでいませんでした。
    Manukeさまのこの記事を読んで
    俄然読んでみたくなりました。
    ありがとうございます!!
    --------
    今年のノーベル医学・生理学賞が、なんか、
    RNAなんたらかんたら:-)でしたね?
    「記憶」まではいかないですが、なんか、
    なにかを変更できる?\(^o^)/みたいな...
    あは、もういっかいググって確認して
    おかなくては。\(^o^)/
    2006年10月28日 10:01
  • Manuke

    ニーヴン作品はあまり暗い展開にならないところが楽しいです。
    本作は結構凄い状況になってますが(^^;)、コーベルはポジティブですし。
    ノーベル賞のは、確かRNA干渉でしたね。従来だと特定の遺伝子の機能を阻害させるためにはDNAを破壊しなければいけなかったのが、この方法だとRNAを注入することで比較的簡単に行えるとか。
    本書のように記憶をいじるようなことは無理のようですけど、生化学ではかなり画期的な発見だったようですね。ノーベル賞では希なほど早い受賞なのも頷けます。
    2006年10月29日 02:37

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