海底二万里

[題名]:海底二万里
[作者]:ジュール・ヴェルヌ


 SFの父と称される人物に、H・G・ウェルズ氏とジュール・ヴェルヌ氏のお二人がいらっしゃいます。もちろん、それ以前にも空想的・科学的な物語は存在した訳ですけれども、このお二方が近代SFというジャンルの形成に与えた影響は計り知れません。
 このうちヴェルヌ氏の紡がれた物語は、ウェルズ氏と比較すると科学的な側面が強いものとなっています。科学考証を重視するハードSFというジャンルが確立するのは一九五〇年代ですが、ヴェルヌ氏は九十年前にそれに類する作品を書かれているわけです。
 本書『海底二万里』は、ジュール・ヴェルヌ氏の代表作と言える海洋冒険SF小説です。架空のお話でありながら、徹底的に書き込まれたディテールにより思わず信じ込まされてしまうようなリアリティのあるお話に仕上がっています。
 とあるきっかけで謎の潜水艦に乗り込むことになったアロナックス教授ら三人。ネモ船長の率いる〈ノーチラス〉号の中で、彼等は神秘的な海底旅行を目にすることになるのです。

 時は一八六六年、欧米では不思議なニュースが物議を醸していました。百メートルほどもある謎の物体が海上で目撃されるという事件が多発していたのです。
 巨大なクジラか、はたまた人工物なのか――真相が判明しないまま、更にニュースはエスカレートしていきます。一隻の船がこの物体と衝突し、あわや沈没という事態に陥ったためです。
 パリ博物館のピエール・アロナックス教授は意見を求められ、この物体が今まで誰も見たこともないほど巨大なイッカク(長い牙を持つことで有名なクジラですね)ではないかとコメントします。
 その正体が何にせよ、航海の邪魔になる危険な《怪物》を放置しておく訳にはいきません。アメリカのフリゲート艦〈エイブラハム・リンカン〉号が怪物退治に向かうことになり、アロナックス教授とその召使いコンセイユ、そしてクジラ獲りの名人ネッド・ランドがその旅に同行することになりました。
 長い探索の末、〈エイブラハム・リンカン〉号は太平洋上でその《怪物》を発見することに成功します。ところが追跡劇の最中、《怪物》に追突された衝撃で教授達三人は海に投げ出されてしまいました。
 海の藻くずと消える寸前で《怪物》の背中に漂着し、彼等は事なきを得ます。そして教授達は知るのです――それがクジラなどではなく、鋼鉄でできた潜水艦であることを。
 甲板に人がいることに気付いた潜水艦の乗員は三人を中に招き入れました。そしてネモ船長と名乗る人物が、秘密を知られた以上は二度と陸に戻ることを許さないと彼等に告げるのです。
 驚異のテクノロジーで建造された超高性能潜水艦〈ノーチラス〉号の、実に二万リーグに及ぶ不思議で感動的な海底旅行がここに幕を開けます。

 本作の注目ガジェットは、潜水艦〈ノーチラス〉号です。
 船体は全長七十メートル、直径八メートルの円筒状で、両端は円錐形をなしています。船殻は二重構造となっており、船の上部にはガラス張りになった操舵室、左右には上昇・下降用の可動翼が取り付けられています。
 〈ノーチラス〉号はナトリウムと水銀による電池が積み込まれ、推進力や照明、暖房等は全て電気によりまかなわれています。蓄えられた電力は膨大で、何ヶ月もの間補給なしで海面下を航行可能です。
 読み進めていくほどに、この架空の潜水艦が現実のそれ、特に原子力潜水艦に酷似していることに驚かされます。執筆当時の十九世紀半ばには人力の潜水艇こそ存在しましたが、このような独立して深海に潜航可能なものは影も形もありません。ヴェルヌ氏は想像力を駆使し、未来を先読みした〈ノーチラス〉号を生み出されたわけですね。
 もちろん、現実の潜水艦とは異なる部分もあります。その最も大きな違いは、周囲の認識をソナーではなく視覚によって行うことでしょうか。ソナーの実用化は二十世紀以降ですから、ヴェルヌ氏が思い当たらなくても無理はありません。
 しかし、この相違点は逆に本書の物語性を増している部分でもあります。ガラス越しにアロナックス教授とコンセイユが海底の様々な神秘を目の当たりにする様は、お話を大いに盛り上げてくれます。

 一人称による主人公はアロナックス教授ですが、真の意味での主役はやはりネモ船長でしょうね。
 ネモ船長(ラテン語で「誰でもない」の意)は陸上の生活を捨てて海底に生きることを選んだ世捨て人です。〈ノーチラス〉号の設計者であり、同時に乗組員を率いるリーダーでもあります。
 間違っても善人ではありませんし、時として残忍な行動を取ります。しかし、紳士的で気高く勇敢、そして高い知性と幅広い教養を持つ面も見逃せません。多面的で複雑な部分が魅力的な人物です。
 真面目な博物学者アロナックス教授とともに、ネモ船長率いる〈ノーチラス〉号による海底の旅に出てみてください。そこには美しく雄大な世界が待っています。

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