人類皆殺し

[題名]:人類皆殺し
[作者]:トーマス・M・ディッシュ


 本書はニュー・ウェーブ世代のSF作家トーマス・M・ディッシュ氏による、救いのない人類の破滅を描いた作品です。
 SFにおけるニュー・ウェーブとは、一九六〇年代にSFの文学性を模索したムーブメントで、それまでのSFの殻を破ることを狙っていました。例えば、一九五〇年代の破滅テーマSFはしばしば〈心地よい破滅〉と呼ばれており、人類滅亡に瀕していながら皆紳士的に振る舞い、そこそこ幸せそうに描かれるという様式が定着していたわけです(^^;) 『人類皆殺し』はそうした潮流に逆らう方向性を目指したものですね。
 本作はSF黄金時代の滅亡テーマ、特にジョン・ウィンダム氏の作品に類似した異星物侵略をバックボーンに据えつつも、ドロドロで醜悪な人間模様が織り成されることになります。じわじわと死に追いやられつつある中にありながら、人々は団結よりも反目しあい、自らの首を絞めていくのです。

 一九七二年、地球上に突如として現れた、謎の《植物》。それは瞬く間に繁茂し、巨大な樹木となって野山を埋め尽くしていきました。その圧倒的な生命力の前に、他の草花や木々は生存競争に敗れ、死に絶えていきます。そしてまた、それらの植物を糧とする生き物達も。
 《植物》による環境破壊と並行して、都市部では正体不明の機械が街を、そして人々を焼き払い始めます。それこそは、《植物》を播種した異星侵略者の機械であり、その目的は地球を《植物》の農場とすることだったのです。人々はその暴力に抗う術を持たず、やがて都市は崩壊してしまいました。
 そして物語は一九七九年の米ミネソタ州北部、シュピーリア湖北岸の小さな村タッセルから始まります。村のリーダーであるアンダースンは、頑迷で宗教的観念に凝り固まっているものの、強いリーダーシップを有する老人でした。彼は二人の息子バディ及びニールと共に、《植物》の侵略を防ぐべく日々奮闘しています。しかし、兄バディはかつて村を出ながらも都会消滅と共に戻ってきたインテリで、アンダースンにとっては信用ならない存在、弟ニールは農夫ですが粗暴で愚鈍と、後継者問題に頭を悩ませていました。
 二百四十八人からなるタッセルの住人は、《植物》の樹液を抜き取りとうもろこし畑に撒くというアンダースンの発案で、かろうじて《植物》の侵攻を食い止めていました。けれども、様々なアクシデントを経るうちに彼らの生活は次第次第に苦しくなっていきます。
 ある日、アンダースンらは村を襲って食料を奪おうとしていた略奪者達を捕らえます。元鉱山技師の男ジェレマイア・オーヴィルと看護婦の老女アリス・ネメロフの二人のみが、その技能を買って村人へと迎え入れられ、残りの略奪者は処刑されてしまいました。
 オーヴィルは紳士的で如才なく、賢く謙虚、かつ巧みな話術を持っており、たちまちタッセルの中で中心的な存在となります。特に知的な会話に飢えていたバディ、そしてアンダースンの娘で年若い少女ブロッサムの二人は、オーヴィルに心酔することになりました。ですが、オーヴィルの心の内にあったのは村へ溶け込むことではなく、恋人を殺したアンダースンへの復讐だったのです。
 徐々に綻びつつも、なんとかコミュニティーを維持していたタッセルですが、その平穏は遂にやってきた侵略者の機械により一瞬にして打ち砕かれます。村を追われた彼らは、《植物》の中が空洞であることを偶然発見し、そこへ逃げ込むのですが……。

 本書の注目ガジェットは、《植物》("the plants")です。
 《植物》は全高百八十メートルにも達する巨大な樹木状の異星植物です。葉は掲示板サイズ(数メートル?)で決して落葉せず、幹は大木となった後も緑のままです。
 数年程度で巨木へと成長し、周囲の栄養・水・日光を独占してしまうために他の地球植物は全て枯れてしまいます。動物も、《植物》の樹皮をかじることができるうさぎと、いくつかの昆虫を除いて絶滅への道を辿り、生き残ったものも結局は侵略者の機械によって駆除されてしまうようです。
 《植物》の幹の内側は空洞になっており、かなり地下深いところまで潜っていくことができます。地下には甘い物質を詰め込んだ果実(球根)が埋まっており、これが侵略者が《植物》を栽培する目的ですね。
 植物による世界侵略というと、ジョン・ウィンダム氏の『トリフィド時代』を連想してしまいますが、あちらの食人歩行植物トリフィドとは違い、本作の《植物》は直接人間に危害を加えることはありません。ただ強い成長力で自然を蝕んだ結果として、人間の依存する環境を破壊してしまうだけなのです。

 作中では各キャラクタがそれぞれの思惑を持って行動していますけれども、その多くが裏目に出ることになります。
 主人公格と言えるオーヴィルは、アンダースン老人に屈辱と絶望を味わわせるために理想的な人間を演じますが、自ら手を下すことにこだわるあまりアンダースンその他を救うヒーローの役目を担ってしまうのは皮肉です。一方、自分を旧約聖書のノアにダブらせ、《植物》を神の試練と考えるアンダースンは、その信念とは裏腹の現実を突きつけられてしまいます。
 登場人物の中で最も愚かな言動を見せるのが、アンダースンの次男ニールです。身体的に劣った兄バディを侮蔑しつつも自らの教養・知性のなさにコンプレックスを持ち、オーヴィルに嫉妬し、さらには妹のブロッサムに劣情を抱き、次第に狂っていきます。
 こうしたキャラクタ達の行動が交錯することで、滅亡への過程が悪夢のように醜悪な色を帯びています。SF黄金時代の〈心地よい破滅〉作品では、しばしば人々が諦観を抱いて滅びを受け入れつつ、最後まで理性的であろうとしますが、本作の醜い生き様の方がむしろより人間らしいのかもしれません。(かなり鬱展開ですけど(^^;))

 しかしながら、こうした人間同士の不和による破滅の上に、異星の侵略者にもたらされる無慈悲な破滅が覆いかぶさり、作品世界により透明感のある絶望をもたらしています。結局のところ、仮にタッセルの人々が団結していたとしても、その死を免れることはできないのです。
 侵略者の視点らしき一節が序盤に少しだけあるものの、その姿も文明も明らかにされることはありません。明白な理由の提示なく、敬意どころか注意すら払われることもなく、ただ理不尽に滅ぼされていく人類――この徹底した救いのなさは、ある意味清々しいとさえ感じられるほどです。矮小化される人類という構図にセンス・オブ・ワンダーが光る、破滅テーマSFです。

この記事へのコメント

  • nyam

     こんにちは。「銀河辺境」シリーズは読んでないもので、見ないようにしていました。
     この作品はすごいタイトルの割りに、たんたんと話が進行するので、唖然とした記憶があります。私としてはウィンダム「トリフィドの日」の方が好みです。
     しかし、両方とも侵略者は植物なんですね。ベジタリアンこそが正しき人類の尖兵かも。
     
    2011年12月06日 20:52
  • Manuke

    そうなんですよねー。
    シリーズもののレビューは、ネタバレが入る以上「読んだ人向け」になってしまうんじゃないかというジレンマが……。
    若干悩みつつも、気にせず書いちゃってますけど(^^;)

    本作は人物描写が醜悪なので、読んでいる間はかなり不愉快な気分になりますね。
    ただ、結末の救われなさは、そういうドロドロした内容すら「駆除対象害虫の生態」程度に貶めてしまい、読後感は意外にもすっきりした印象でした。
    ただ、この時点で既に人間視点じゃなくなっていますから、それもどうかという気もします(笑)
    2011年12月07日 00:11

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