渇きの海

[題名]:渇きの海
[作者]:アーサー・C・クラーク


 本作品は、月世界における遭難事故とその救助作業を描いた物語です。ディザスター・ノベル(いわゆる「パニックもの」)に類するお話ですね。
 作品の舞台となるのは、水ではなく塵で満たされた〈渇きの海〉。これ自体はクラーク氏の創作ですが、緻密な設定と正確な科学考証により驚く程の現実感を読者に味わわせてくれます。御三家でも特に科学的正確性に重きを置かれる氏の面目躍如といったところでしょう。
 〈渇きの海〉の上を航行する遊覧船〈セレーネ〉号は、突如発生した地滑りにより塵の中へ埋没してしまいます。〈セレーネ〉号に乗り合わせた者達を次々と襲う危機、そして彼等を救うべく努力する人々の前に立ちはだかる苦難。果たして彼等は無事救出されるのでしょうか。

 月面に発見された〈渇きの海〉は、非常に微細な塵をたたえた奇妙な海でした。〈霧の湾〉の一角を占める、『海』と言うにはいささか小さめの場所ですが、それは月面観光の目玉として観光客を魅了していたのです。
 塵の上を航行可能な砂上遊航船〈セレーネ〉号は、船長のパット・ハリス、ガイドのスー・ウィルキンズ、そして二十名の乗客を乗せて神秘の海を遊覧していました。ところがその途中、誰も予見していなかった地滑りのため、〈セレーネ〉号はまるでアリジゴクの罠にかかったかのように塵の中へ飲み込まれてしまいます。流動性の高い塵はすぐざまさざ波一つ残さず凪いでしまい、〈渇きの海〉の表面には船が埋没した痕跡は何一つ残されていません。
 幸いにして、〈セレーネ〉号は破損することなく水平を保ったまま塵に埋もれていました。しかし、船内に備蓄された酸素は一週間分のみで、それまでに救助されなければ全員死亡してしまいます。
 一方、〈セレーネ〉号の遭難はほどなく察知され、捜索隊が編成されました。けれども彼等は、〈セレーネ〉号の遭難場所を〈渇きの海〉の上ではなく、周辺の瓦礫の下だと誤認してしまうのです。崩落した岩の下敷きになっていれば乗客の生命は絶望的ですから、捜索活動自体に打ち切りの決定が下されてしまいます。
 そして、時を同じくして〈セレーネ〉号には新たな危機が迫りつつあったのです。

 本書の注目ガジェットは、〈渇きの海〉です。
 〈霧の湾〉の一部を成す直径百キロメートルの窪地に、流動性の高い塵が降り積もった場所とされています。
 この塵は液体ではありませんが、非常に粒子が細かいために液体のような性質を持っているようです。地球上ではそうした細かい塵は空気の流れに飛ばされてしまいますが、大気のない月面上ではそのようなことは起こりません。設定の妙ですね。
 この〈渇きの海〉の上を航行可能なのは、物語の中心となる〈セレーネ〉号、そして二人乗りのダスト・スキーのみです。〈セレーネ〉号は橇に乗ったバスのような形状で、内部は機密状態が保たれています。一方、ダスト・スキーはスノー・モービル風に座席が剥き出しになっており、搭乗には宇宙服が欠かせません。
 この〈渇きの海〉自体は先に述べた通りクラーク氏の創作であり、アポロ計画が実行される前に想像で編み出された舞台です。しかし、アポロ計画によって実際の月面にもレゴリスと呼ばれる塵が多量に存在することが現在では分かっています。残念ながら〈渇きの海〉の塵ほど流動性のある物質ではないようですが、このレゴリスに宇宙飛行士の方々は苦しめられたとか。興味深い存在です。

 迫真のリアリティを伴った緊迫感のあるストーリーですが、一部を除いて登場人物がやや理性的過ぎる感があります(そうでない人もいますけど(^^;))。クラーク氏の作品には全般的にそうした傾向がありますが、危機的な状況下における人間ドラマという側面を持つ本書では、この部分は多少マイナスなのかもしれません。
 もっとも、次々と襲いかかる困難に対して人々が団結し、それを乗り越えようとする様には強く心を動かされますね。文字通り手に汗握る、傑作小説です。

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