リックの量子世界

[題名]:リックの量子世界
[作者]:デイヴィッド・アンブローズ


 本書は我々の住む世界と良く似た世界、並行世界を扱ったSF小説です。
 このガジェットを量子論及び多重人格と絡めることで、非常に展開の読めないストーリーがスピーディに進んでいくことになります。主人公リックが体験した異常事態には、果たしてどんな結末が待っているのでしょう。

 ロンドン出身で今はアメリカに住む中年男性リチャード・ハミルトン(リック)は、小さいながらも独自性を打ち出した出版社の経営者です。彼は妻アンと幼い息子チャーリーを家族に持ち、近々第二子も生まれる予定です。幸せな家庭と順調な仕事で、リックの人生は順風満帆でした。
 そんな彼はある夜、悪夢にうなされて夜中に目が覚めてしまいます。単に夢見が悪かったせいだと思い直したリックですが、翌日は朝から立て続けに命の危険にさらされるという事態に肝を冷やすことになります。
 そして銀行家との重要な商談の最中、妙に気の乗らなかったリックは、不意に強烈な予感を覚えます――妻アンの命が危ないのだと。商談を放り出して車を飛ばした彼は、やがて予感通りアンの乗る車が事故を起こした場所へ辿り着きます。車からはチャーリーが奇跡的に無傷で救出されたものの、アンはリックの目の前で息を引き取りました。
 悲嘆にくれるリック。ところが、そこでおかしなことが起こります。アンが突然息を吹き返したのみならず、彼女は体のどこにも怪我を負っていなかったのです。それどころか、事故を起こしたのはアンではなくリックで、怪我をしたのもリックということになっていました。その上、息子のチャーリーはどこにも存在しなくなっています。
 病院に担ぎ込まれたリックは騒動を起こしますが、やがてここは自分のいた世界ではないらしいと気付きました。騒動は事故後の一時的な錯乱によるものだとし、大人しく退院を待つことにします。
 この世界では、リチャード・A・ハミルトン(同姓同名ですが、「リック」と「リチャード」で両者を区別)は不動産開発業者であり、妻は同じくアンであるものの、二人の間に子供はいませんでした。そのほかにも、似通ってはいるもののリックの世界とリチャードの世界は細かい点で相違があったのです。
 退院後、家に戻ったリックは、この信じがたい奇妙な出来事を妻だけには打ち明けることにしました。自分は異なる世界の存在であり、アンの死をきっかけに別の並行世界であるここへ紛れ込んでしまったのだと。
 しかし、これは失敗でした。精神に異常を来したとアンに思われた彼は、精神病院に入院させられ、拘束されてしまったのです。
 リックは当初、これに激しく抵抗します。しかし、盲目の精神科医エマ・J・トッドによる催眠術の治療を受け、やがてリチャードは自分が別世界の「リック」なる妄想に取り憑かれていたことを受け入れます。
 治療を終えて、愛する妻アンの下へ戻ったリチャード。けれども、それで終わりではありません。リチャードの内側にはまだリックが潜んでおり、自分をリチャードとは別個の存在だと認識することでトラブルを回避していたのです。そして、己の元いた世界へ戻るため、リチャードに干渉を試みるのですが……。

 本書の注目ガジェットは、多世界解釈です。
 私達の身近な世界において、様々な物体の運動はほぼニュートン力学で説明することができます。ところが、天体などの巨視的スケール、あるいは分子や原子、素粒子のような微視的スケールでは、ニュートン力学に当てはまらない、我々の眼からすると奇妙な振る舞いが見られるようになります。
 特に後者、量子力学の世界では、日常視点からでは正気を疑ってしまうような不思議なことが起きます。中でも物議を醸すのは、観測問題と呼ばれるものです。大雑把かついい加減に説明すると(^^;)、「非常に小さな粒子は、観測されていないときは常に波として振る舞い、観測されたときは常に粒として振舞う」というものですね。例えば、電子銃から発射された電子一つは、的に命中するまでの途中経路は位置・運動量が不確定な波としてしか表せないのに、命中したときは必ず粒として検出されるのです。(全く正確ではありませんので、きちんと理解したい方は専門書を読むことをお勧めします)
 この「『観測したとき』と『観測されないとき』で粒子の振る舞いが異なる」という謎に関して、現在主流のスタンスは「観測された瞬間、波が粒に収縮する」というもので、コペンハーゲン解釈と呼ばれます。しかしながらコペンハーゲン解釈では、「観測とは何か」/「何故収縮が起こるのか」といった疑問には一切踏み込みません。(それらは現時点での物理学の範囲外)
 一方、これに対して物理学者ヒュー・エヴェレット氏が提唱(当時は学生)したのは「収縮は起こらず、宇宙全てが波の重ね合わせとして存在する」というものです(事象を観測する私達人間も含めて)。ここから導かれるのは、無数に分岐していく様々な可能性の世界群であり、私達の知る世界はその中の一つに過ぎないというものです。これを多世界解釈("many-worlds interpretation")と呼びます。(この多世界解釈はSFガジェットである並行世界と折り合いが良いことから、しばしば〈パラレルワールドもの〉の作品で使われています)
 一見するとコペンハーゲン解釈にある「波動の収縮」を排除したエレガントなスタンスに見えますけど、実のところ多世界解釈には同等の問題点が付き纏います。すなわち、「何故世界は分岐しているのか」/「私達の世界は無数の世界群の中からどうやって選ばれたのか」といった点です(「宇宙とはそうしたもので、理由はない」とすることはできますが、それはコペンハーゲン解釈でも同じ(^^;))。両解釈はあくまで「観測問題を人間が受け止めるためのもの」に過ぎず、量子力学の裏側にあるものを示す理論ではないようです。
 本書作中では、この多世界解釈をSF的設定のパラレルワールドに絡め、「あり得たかもしれない別の可能性の世界」へ自分の精神が紛れ込んでしまったのではないか、とリックは推測しています。しかしながら、ここにはもう一つの「解釈」が潜んでいます。

 そのもう一つの解釈とは、実はリックが並行世界の住人などではなく、リチャードの精神疾患により生まれた存在に過ぎないのではないかというものです。
 物語序盤(事故直後)では、リックとリチャードの区別は付いておらず、自分を両方の世界の記憶を有する一人の人間だと認識しています。精神科医達はこの状態を、統合失調症による妄想だと診断します。
 エマの治療後、リチャードとリックは一つの肉体に宿る二つの人格へと明確に分離します。主導権はリチャードが握っていますが、(眠っている間のことも含め)彼が見聞きすること全てをリックは観察することができます。この状態、傍目からは解離性同一性障害(いわゆる多重人格)と区別がつきません。(解離性障害はトラウマから目をそらすために心の統合が失われてしまうもののようですが、そのきっかけとなりうるものも物語中に登場)
 リックはリチャードに対し、自分が架空の存在ではないことを証明するため、二重スリット実験を行ってみせます。これは量子力学の観測問題を視覚化する非常に重要かつ簡単な実験であり、不動産業者で科学に興味のないリチャードが知りえないはずの知識というわけです。さて、これは果たしてリックが並行世界の住人であることの証明と言えるでしょうか。
 私達読者の世界が、一人称主人公のリックではなく、リチャードの世界であることも意味深ですね。リックの世界ではマリリン・モンローが存命だったり、ロナルド・レーガンが大統領にならず売れない俳優のまま人生を終えています。
 なお、一つ面白いエピソードとして、リチャードが精神科医から聞いたある患者の症例があります。その患者は科学者で、自分が宇宙帝国の皇帝だと信じ込んでおり、別の惑星の言語や歴史まで緻密に作り上げていた、というものです。この設定、なんとなくエドモンド・ハミルトン氏のスペースオペラ『スター・キング』を思わせるものがありますね。こちらの主人公ジョン・ゴードン君(科学者ではなく保険屋)にも自分が精神を病んでいるのではないかと疑う場面があるのですが、これがパロディなのか単なる偶然の一致なのかは不明です(^^;)

 序盤はシリアスながらもどこかユーモラスな部分もあるのですが、ストーリーが佳境に至ると内容はかなり深刻さを増していきます。終盤のショッキングな出来事、そして凝った幕引きと、最後まで目が離せない物語ですね。
 本書の原題は"The Man Who Turned Into Himself"。直訳すると『自分自身になった男』辺りですが、果たしてこれは「リックがリチャードになった」ことを意味するのでしょうか。それとも「リチャードがリックになった」のでしょうか。

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