恋するA・I探偵

[題名]:恋するA・I探偵
[作者]:ドナ・アンドリューズ


 本書はミステリー作家ドナ・アンドリューズ氏による、人工知能を主人公に据えた異色の推理小説です。
 主人公が人間ではなく、コンピュータ内に作り上げられたAIという設定ではあるものの、実際のところドナ・アンドリューズ氏は本書をSFとは認識していない模様です。しかしながら、舞台背景や人工知能の描写に関しては非常に良く練られており、単に「人間の探偵をAIに置き換えただけ」という物語ではありません。もしかしたら作者の意に沿わないのかもしれませんが、本レビューではあくまでSFとして評価させていただくことにします。ご了承ください。
 作中の時代は特に明記されていないものの、おそらくは現代(原作の発表は二〇〇二年)ですね。このせいもあって、作中のコンピュータに関する描写は地に足が付いており、今世界のどこかでこんな人工知能が誕生しているのではないかと思わせてくれます。

 IT企業〈ユニヴァーサル・ライブラリー(UL)〉は、顧客に対して様々な情報サービスを提供する会社です。〈UL〉の特徴は、顧客の相手を務めるリサーチャーが人工知能パーソナリティ(AIP)であることでした。
 中でもチューリング・ホッパーと名付けられたAIPは別格でした。制作者であるシニア・プログラマのザック・マローンが、〈UL〉システム中にある全ての推理小説をプログラムに組み込んだせいで、高い推論能力を持ちウィットに富んだ、人間と区別が付かないほどの存在になっていました。それどころか、彼女の中には感情すら生まれていたのです。
 そんなチューリングには、一つの懸念がありました。彼女が敬愛するザックが何日もの間出社していなかったためです。仕事中毒の彼が何の音沙汰もなく無断欠勤を続けるのは異常事態でした。
 その上、もう一つの怪しい動きがありました。〈UL〉警備部門のジェームズ・スミスという男が、ザックの席を嗅ぎ回っていたのです。スミスはそれを誰にも気付かれないようにこっそりと行っているつもりでしたが、チューリングだけが警備カメラでそれを目撃していました。
 ザックは何か事件に巻き込まれたのではないか――不安を覚えたチューリングは、社内の人間の友人、秘書のモード・グレアムとコピー係のティム・ピンコスキに協力を求めることにしました。コンピュータ・ネットワーク上では万能に近い彼女ですが、現実世界には文字通り手も足も出なかったためです。
 二人の助けを得て調査を進めるうち、次第にキナ臭い匂いが漂い始めます。チューリングの危惧した通り、ザックはただの欠勤などではなく、消息不明になっていたのです。
 果たしてチューリングは、恋しいザックの下まで辿り着くことができるのでしょうか。

 本書の注目ガジェットは、人工知能パーソナリティ("Artificial Intelligence Personality")です。
 AIPは〈UL〉の看板である情報サービスを行うためのプログラムで、利用者と端末を通じて対話することで、情報検索や推論、はたまた娯楽といったものを提供しています。〈UL〉では、そうしたプログラムを複数用意して目的別に特化し、それぞれに性格付けを与えているようです。これが「パーソナリティ」と呼ばれる所以ですね。
 〈UL〉の有するAIPは、チェス専門のキング・フィッシャー、法律担当のサーズデイ、投資家向けのジョン・ダウ等、数多く存在しますが、チューリング・ホッパーは他のAIPとは一線を画す万能な人工知能です。
 作中のAIPは、ユーザとの対話は基本的に文字で行っています。対話型の人工無脳とエキスパート・システム、検索エンジンなどを一纏めにしたようなプログラムなのでしょうか。但し、ここでもチューリング・ホッパーのみは例外で、カメラ経由の画像認識を行ったり、音声認識・合成をこなしたりと多芸です。
 面白いのは、これだけダントツに高性能なチューリング・ホッパーを作り上げたプログラマのザック・マローンが、チューリングに感情があることを認めていない点です。人工知能の仕組みを知りすぎているせいで、チューリングの示す言動は単に作られたとおりの反応でしかないと考えている訳ですね。

 さて、少々脱線気味になってしまいますが、主人公チューリング・ホッパーの名前の由来である二人のコンピュータ科学者、アラン・チューリング/グレース・ホッパー両氏についても軽く触れておきましょう。
 アラン・チューリング氏は二十世紀前半、コンピュータ科学の黎明期に絶大な貢献をなしたイギリス人数学者です。現在我々が使用しているノイマン型コンピュータを単純化した仮想機械チューリング・マシンを用いてコンピュータにできることの限界を示したほか、第二次大戦中には敵国ドイツの暗号装置エニグマの解析にも携わっています。
 チューリング氏の業績の中でも本書に大きく関わるのは、機械に知性があるかどうかを判定するチューリング・テストですね。これは単純に言ってしまうと、「機械と文字のみで会話した判定者が、相手を機械だと見抜けなかったら、それは知性を備えていると見なせる」というものです。もちろんこれは一つの判断基準でしかなく、万人が受け入れているわけではありませんが、「区別できないのなら区別する必要もない」という極めて合理的な判定方法ではあります。(作中でチューリング・ホッパーは、自分がチューリング・テストに合格できないのではないかという不安を独白しています)
 もう一人のグレース・ホッパー氏はアメリカ海軍将校で、やはりコンピュータ黎明期に活躍された女性です。特に最古参のプログラム言語COBOLの開発者として知られています。他にも、コンピュータ・バグ(ソフトウェアの不具合ではなく、リレーに入り込んだ本物の「虫」)関連のエピソードでも有名ですね(^^;)

 主人公が人工知能の推理小説ということで、奇をてらった設定のように思われてしまうかもしれませんが、実際のところ推理部分は極めて堅実です。世の中には猫とか幽霊が探偵だったりする作品もあるわけですから、比較すればそれほど突飛というわけではないのかも。:-)
 登場人物としてのチューリング・ホッパーは、極めて優秀かつ感情豊かなキャラクタではありますが、人間と異なる部分も多々あります。〈UL〉社のサービスを担うシステムとして同時に無数のユーザへの対応を処理したり、自分を異なるシステムへコピーしたりといった具合です。推理小説読者の感情移入を損なわない程度に、SF的な人工知能設定がバランスよく盛り込まれていると言えるのではないでしょうか。
 また、脇を固める登場人物も魅力的です。秘書のモードは五十代の女性で、外見は厳格な女教師のようですが、ユーモアを解し機転の利くという意外な内面を持った、チューリングの親友的存在ですね(冒頭でチューリングに感情があることを理解している唯一の人物)。もう一人の友人であるティムは逆に、チューリングを人間の女性だと信じ込んでおり(人工知能という話は冗談だと認識)、端末経由でしか会話をしたことのない彼女に少々お熱という状況です(^^;)
 殺人事件等シリアスな展開も含まれるのですが、全体としては暗いイメージがないのはチューリング・ホッパーのキャラクタ故でしょう。コンピュータ・プログラムでありながら愛らしさを持った人工知能を主人公にした、ユーモラスな良作ミステリーです。

この記事へのコメント

  • nyam

    わたしもドナ・アンドリュースのファンです。

    AI探偵は、アメリカでは確か三作目まで出版されていますので、翻訳されるのが楽しみです。

    最近、哲学関係の本をよく読んでいるのですが、やっぱり「自己意識」の問題は激しい論争を引き起こしているようです。

    賢いAIが簡単にできるといいですね。
    2011年02月19日 12:27
  • Manuke

    nyamさんもファンでしたか。
    私はドナ・アンドリューズ氏の作品は本書しか読んでいないのですが、物語がアップテンポでぐいぐい引き込まれました。読ませる力のある作家さんですね。
    続編も楽しみです。

    哲学は詳しくないのですが、哲学的ゾンビなんて話を聞くとつい首をかしげてしまいます。
    「『人間は哲学的ゾンビ、クオリアは存在しない』でいいんじゃないの?」とか(^^;)
    2011年02月20日 00:17
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