神鯨

[題名]:神鯨
[作者]:T・J・バス


 人間の活動により海が死に絶えてしまった遥か未来における、風変わりな海洋SFです。
 本書の特徴は、様々な価値観を持つ登場人物達から多面的に物語が描かれる辺りでしょうか。現代人とは異なる目線が複数作られ、それらが互いに関わりあうことで独特の世界を生み出しているのが面白い点ですね。
 作品の背景として、T・J・バス氏オリジナルの未来史が用いられているようで、序盤ではやや用語の説明が不足している感があります。けれども、設定がしっかり作りこまれていることでストーリーに一本筋が通っており、架空の未来を大いに堪能することができます。

 現代よりやや未来の時代にて、ある青年ラリー・ディーバーが無謀な行動のせいで事故に遭い、下半身切断というハンデを負うことになりました。知能を持つ下半身マネキン(アンドロイド)を装着することで日常生活に支障はないものの、自分が生殖能力を失ったことに傷付き、ラリーはそれを再び手に入れたいと望むようになります。
 そんな彼に対し医師が提示したのは、〈サスペンション〉(冷凍睡眠)を使って治療方法の開発される未来まで眠りに就くことでした。ラリーは深く考えずにそれを受け入れ、冷凍されることになります。
 二百年後、ラリーが目覚めると、彼の望み通り下半身を再生する技術が完成していました。この時代では人口増加と環境破壊のため地球環境は荒廃しており、近隣の恒星プロキオンへの移民を行うために、古く強靱なラリーの遺伝子が必要とされていたのです。ラリーは下半身を再生する見返りとして、宇宙船によるプロキオン移民への参加を持ちかけられます。
 ところが、下半身を再生させる方法とは、成長させたラリーのクローンから必要な部位を奪うというものだったのです(奪われたクローンは死亡)。この時代では臓器移植用クローンは人間とは認められず、動物同然の扱いを受けています。けれども、ラリーにはそれを受け入れることができませんでした。プロキオンへは自分の移植用クローンを向かわせ、ラリーは再び〈サスペンション〉に入って更なる未来を待つことにします。
 月日は流れ――人口爆発の結果、地上からも海からも動植物がほぼ姿を消していました。脆弱化した三兆人もの人間を擁する〈ハイブ〉(蜂窩状地下都市)は、不足する食料その他をまかなうためにコンピュータの支配下に置かれ、人々は全体主義的で不自由な生活を送っていました。一方、海では原始レベルの生活に戻った水棲人が、〈ハイブ〉の菜園から食料を掠め取っては細々と暮らしています。
 そして北極地方の砂州では、巨大なサイボーグ漁船ロークァル・マルが死に瀕していました。主に見捨てられ、採取すべき海の幸もないロークァルは、仕えるべき人間を求めて配下の小型ロボット〈鋼鉄の三葉虫〉に最後のエネルギーを託します。
 余裕のなくなった〈ハイブ〉で目覚めさせられ、食料にされそうになりながらも逃げ延びた、上半身だけの半人間ラリー・ディーバー。同様に奇形として〈ハイブ〉に殺されかかるも生き長らえた、異相の巨漢ビッグ・ハー。そして自らの神ロークァルに使命を託された〈三葉虫〉が出会うとき、物語は動き出します。

 本書の注目ガジェットは、サイボーグ漁船ロークァル・マルです。
 ロークァル・マルはシロナガスクジラの脳が組み込まれた、全長百八十メートル、船幅四十五メートルあまりの超巨大なサイボーグです(三人称は「彼女」なので元々は雌クジラ?)。甲板にはクレーンが八本装備されており、船体の倍の長さにまで伸ばすことができます。(原作でも日本語版でも、表紙イラストではクジラの姿で描かれていますが、作中の描写から考えると実はあまり似てないのかも(^^;))
 ロークァルは海中のプランクトンを採取し、食料を生産することを目的として建造されたハーベスター(収穫機)です。エネルギー源は海中の重水素とのことなので、おそらくは体内に核融合炉があるのでしょう。収容可能な乗員は一万人、船内に様々な設備を有するため寄港することなく長期にわたって活動可能のようです。
 コンピュータで強化された高い知能を持つロークァルですが、あくまで人間の僕として作られたものであり、人が乗船していないと寂しさのあまり死んでしまいます。巨大な船ながらも、人間の指示を待ち続ける姿は何とも健気な印象ですね。

 自分たちを処分しようとする〈ハイブ〉から脱出したラリーとハーは、海上で〈鋼鉄の三葉虫〉と出会い、水棲人の仲間に迎え入れられます。その後、復活したロークァル・マルを巡り、〈ハイブ〉と水棲人は対立することになります。人口こそ多いもののひ弱で短命な者ばかりの〈ハイブ〉は、古代人であるラリーの遺伝子を元に戦士アーノルドを誕生させ、水棲人に対抗します。
 意味深なのは、主要キャラクタであるビッグ・ハーとアーノルド(複数作られますが、主役級となるのは最初に生まれた大アーノルド)が、いずれもラリー・ディーバーのクローンである点です。この設定がエピローグで鮮やかに活かされているのはお見事ですね。
 他にも重要人物として、〈ハイブ〉側の老人ドラムとオードが登場します。元音楽家だった二人は余剰人員とされかかるものの、ラリー達との関わりを通じて次第に高い地位へと上り詰めていくことになります。
 食人や胎児の処分など、少々悪趣味なシーンがあちこちに登場するのですが、不思議と暗いイメージはありません。現代的な視点からはグロテスクな物事をキャラクタ達があっけらかんと受け止めているからこそ、異質な文化を持った未来を強く感じさせてくれると言えるのではないでしょうか。

この記事へのコメント

  • >異質な文化を持った未来を強く感じさせてくれる
    しかしロークァルマルの船体には、「ろうくぁる丸」と描かれているのであった。
    2011年02月12日 02:10
  • Manuke

    あはは、上手いです。
    漁船ですからねー。確かに「丸」はしっくり来るような気がします(^^;)
    上の文字も漢字を無理矢理当てはめるとしたら「浪狩丸」とかでしょうか。作中の状況を見るに、「労苦有丸」だったり(笑)
    2011年02月13日 00:18
  • nyam

    読んでみると、けっこうグロい話で驚きました。

    こういった資源枯渇社会を生き抜くには、どうしたらいいのか考えてしまいます。
    人口が少ないなら、海で暮らすのがいいのですが・・・。

    やっぱり「サイレントグリーン」でしょうか。



    2011年02月13日 08:37
  • Manuke

    カニバリズムを作中で否定的に描かないのはなかなかショッキングですねー。

    資源が枯渇した後は人口爆発を食い止めざるを得ない訳で、結局のところ、いつかの時点で人間は「人口が増加しない社会」を作り上げなければいけないんだろうと思います。
    それをすべきなのは、まさに「今」なのかもしれません。
    2011年02月15日 00:41
  • X^2

    ずっと昔に読んだ時には、「ロークァル・マル」が「ロークァル丸」だとは思っていなかったです。ポリネシアの海の神様の名前とか、そういった系統なんだろうと想像していました。カタカナ表記になっていた所を見ると、案外翻訳者も気がついてなかったのかも。それはアンドロメダに出てくる「ユーレカ・マル」も同様で、どこかのサイトで漢字記述を見るまでは判りませんでした。スタートレックの「コバヤシマル」はすぐ判ったんですけどね。
    2011年06月05日 14:21
  • Manuke

    あっ、これネタじゃなくて本当に「丸」だったんですね。私は今知りました(^^;)
    (2011-02-12にコメントしてくださった方、ネタだと思っちゃってごめんなさい)
    なるほど、"Rorqual"がナガスクジラなので、「長須鯨丸」って辺りですか。そのまんまの名前のような……(笑)
    こういう「作中でさりげなく使われる日本語」というのは案外見逃されているのかもしれませんねー。
    2011年06月07日 01:55
  • 中村泰宏

    古本屋で見つけた文庫初版(1978)を読みました。
    直訳英語で読みにくく差別用語満載でしたが、私はとても気に入りました。内容的には、すばらしいと思ったブレードランナーの先をいってますね。
    2012年10月03日 12:09
  • Manuke

    社会構造もモラルも現代とはかなり違うのに、あまり暗い感じがしないのが面白いですね。
    ラリーの成長や物語の幕引き方もあって、読後感が良いのも好印象です。
    2012年10月04日 00:35

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