脳波

[題名]:脳波
[作者]:ポール・アンダースン


 『脳波』は、中堅SF作家ポール・アンダースン氏の出世作です。
 アンダースン氏の作品は大きな特徴(派手さだとか、科学的正確さだとか)がないために、どちらかと言うと目立たない作家さんという印象があります。しかし、良い意味でオーソドックスな作品は、いずれも安心して読むことができますね。
 本書で扱われているのは、知能の向上というシチュエーションの一点張りです。パニック物としての側面を併せ持ちつつ、あくまで丁寧にこの事件に遭遇した人々が描かれています。
 ある日突然、世界中の人々の知能が飛躍的に増大するという大事件が巻き起こります。人々はその混乱に翻弄されつつ、それぞれ高まった知能と折り合いをつけるべく模索をするのです。

 ニューヨーク在住の物理学者ピーター・コリンズはある朝、数週間頭を悩ませていた問題の解決方法を思いつきます。意気揚々と研究所へ出勤しようとした彼ですが、隣人で労働組合幹部のフェリックス・マンデルボームもまた、コリンズと時を同じくして仕事上の問題の改善案を思いついたと言うのです。コリンズは関心を抱きますが、そのぐらいの偶然は十分あり得ることです。
 しかし、事態はそれだけに留まりませんでした。研究所に到着すると、コリンズの助手達も彼と同様に解決方法を思いついていたのです。そればかりか、研究所の至る所で同じようなことが起こっていました。普段頭を使うこともないエレベーター・ボーイすら、自分の人生について思い悩み始めています。
 もはや偶然では済まされません。研究所の面々が調べてみると、今まで不変と思われていた電磁現象の定数が僅かながら変化していることが判明しました。その影響を受けて、人々の知能が増加していたのです。
 同じことは世界中で起こっていました。農村部に住む精神薄弱の青年アーチー・ブロックは、自分が世話をしている家畜が突如として賢く、そして手がつけられなくなったことに驚きます。豚は檻の戸をこじ開けて逃げ出し、馬は結びつけられた鋤をへし折ってしまうのです。そして、ブロック自身もまた今までより利口になっていることに気付くのでした。
 この異常事態は数日が経過しても収まる気配を見せず、それどころか知能は更に向上していきます。超高度な知性を獲得した普通の人々は、果たして何を思うのでしょうか。

 本作の注目ガジェットは、知能向上というシチュエーションです。
 電磁現象の変化によって神経細胞の反応速度が高まり、その結果として生物の知能が向上するという原理のようです。この現象はごく微小なものであり、神経細胞や電子計算機のような精密なもの以外は影響を受けません。
 作中の説明では、この物理定数の変化は恒星系規模で起こったものだとされています。正確には、従来が物理定数が変化して知能低下する『力の場』の中にいた状態で、太陽系がそこから抜け出して元に戻ったことが事態の始まりになります。
 ただ、この辺りの設定はあまり重要ではありませんね。あくまでSFとしてのご都合的屁理屈ですから(^^;)
 実際に本書で中心となるのは、このシチュエーションにより引き起こされる心理的・社会的・文明的変化の方でしょう。

 物語はコリンズ、マンデルボーム、ブロックの三人を核として綴られていきます。
 コリンズの役割は主に、事態の科学的側面と、妻シーラとの関わりという個人的視点の二つです。コリンズは物理学者ですから知能の向上という事件にも冷静に対処できますが、シーラはそうは行かず苦悩することになります。
 一方マンデルボーム視点では、ニューヨークという都市を舞台とした社会の動きが描かれます。知能の高さが倫理の高さと必ずしも結びつかない部分が、何とも言えず皮肉的です。
 ブロックの視点からは動物などの行動が描写されます。また、彼が人間社会からやや離れた場所に位置することから、より大きなレベルでの変化を感じ取ることができますね。
 本書は驚きや派手さとは無縁ですが、非常に丁寧に書かれた作品です。「もし突然、世界中の人々の知性が高まったら……」というIFの世界を描いた、とてもSFらしいお話だと言えるでしょう。

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