山椒魚戦争

[題名]:山椒魚戦争
[作者]:カレル・チャペック


 本書『山椒魚戦争』は、チェコの作家カレル・チャペック氏による、風刺小説の側面が強い異生物SFです。
 チャペック氏と言えば、戯曲『R.U.R.』にてロボットという単語を発明し、SF界に人工知性体という重要なガジェットを提供された方です。『R.U.R.』はそのロボットが人類に反乱を起こすという内容でしたが、本書で人間に反旗を翻すことになるのは両生類の山椒魚です。
 しかしながら、その「反旗」は山椒魚の敵対行動とは言い難い、むしろ人間の行動に起因するものです(それを言えば『R.U.R.』もそうなのですが(^^;))。人間社会を痛烈に皮肉った、かなりメッセージ性の強い作品になっています。
 初出は一九三五年、ナチス・ドイツによるチェコスロバキアの占領・分割の三年ほど前に当たります。このことから、本書登場の知性ある山椒魚はナチス・ドイツを暗示しているのだ、と解釈する向きもあるようですね。ただ、私個人としては、チャペック氏はそうした具体的な民族・集団を戯画化したのではなく、より高い目線からの社会批判を行ったのではないか、と感じています。

 東南アジアで真珠貝の新たな採取場を探していたJ・ヴァン・トフ船長。しかし、周辺の真珠は既に取り尽くされてしまっていました。
 そうしたおり、ヴァン・トフはスマトラの少し西にある小島タナ・マサにて、魔の入り江(デヴィル・ベイ)の存在を知ります。そこには海の魔物がいて、現地人はそこに決して近寄らないと言う話でした。
 一笑に付したヴァン・トフが真珠採取夫を伴って魔の入り江へ向かうと、果たしてそこには謎の生物が生息していました。それは人間の子供ぐらいのサイズの、海の中を二足歩行で歩く山椒魚で、驚くべきことに人と会話可能なほど賢かったのです。
 山椒魚を手なずけ、ナイフと物々交換で真珠を採取させることに成功したヴァン・トフは、山椒魚達をタパ・ボーイと呼んで可愛がります。けれども、天敵であるサメの撃退方法をヴァン・トフに教わった山椒魚達は、その結果旺盛な繁殖力で人口過密に陥ってしまいました。
 故郷のチェコへ戻ったヴァン・トフは、幼なじみで資産家となったG・H・ボンディに面会し、協力を要請します。真珠採取の見返りとして、山椒魚を別の島へ運ばせて欲しいと。ボンディは愛想良く頷きつつも、ヴァン・トフの言葉をこれっぽっちも信じてはいませんでしたが、ちょうど彼は東洋へ向けて市場開拓を行おうとしていたところでした。妄言じみているもののヴァン・トフが正直かつ事情通と見抜いたボンディは、船をまかせる代わりに山椒魚の移送を承諾します。
 その後、ヴァン・トフ船長の努力により、山椒魚の生息範囲は人知れず広がっていきました。そしてついに、映画界大御所の馬鹿息子と友人達により、山椒魚の存在は白日の下にさらされます。彼らが高い知能を持っていることが判明するのも、時間の問題でした。
 かくして、山椒魚を海中労働力と見なし美味い汁を吸おうと、世界中がてんやわんやの大騒ぎに巻き込まれます――その狂想曲が人類を滅びへ誘っているのだと、気付こうとしないままに。

 本書の注目ガジェットは、知性ある山椒魚アンドリアス・ショイフツェリ("Andrias scheuchzeri")です。
 この学名は、架空ではなく実在の絶滅種に与えられたものです。「アンドリアス」はオオサンショウウオ属を(日本のオオサンショウウオはアンドリアス・ジャポニカス)、「ショイフツェリ」は発見者のJ・J・ショイフツァー氏を表しています。発見当初はノアの洪水以前の化石人間と誤解されたようで、それがチャペック氏の発想の元となった訳ですね。
 背の高さは百二十センチメートルほど、陸上に上がることもできますが基本的には海中で生活しています。但し、あまり深い海では生きられないようです。
 興味深いのは、雄の山椒魚の遺伝子は子供に全く受け継がれず、雌の産卵を促すだけの存在に過ぎないと設定されている点です。雌による単為生殖もしくは無性生殖で増えるという一見突飛な設定ですが、実は魚のギンブナ等が概ねこのような生殖方法(他種の精子により擬似受精)を行っています(ギンブナ自体はほとんどの個体が雌ですけど)。自然界は不思議に満ちていますね。
 知能はかなり高く、中には学者としてその論文が認められる者も登場します。しかしながら、精神面ではかなり人間と異なるようで、非常に没個性で均質、芸術や宗教を必要としません。また、特殊な生殖方法の影響により、雌は個人主義的で文化に興味を示さず、逆に雄は集団主義的で技術嗜好とされています。
 作中では人間達のせいでかなり酷い目に遭わされていますけれど、山椒魚側はこれに対しほとんど不満を表明しません。とりあえず繁殖さえできれば、個体レベルの苦痛は特に重大な関心事ではないのでしょうか。
 なお、物語の終盤では、ドイツでデア・ノルトモルフ(北方山椒魚)なる優れた新種の誕生が報告されています。が、これはナチス・ドイツが自国を賛美する目的で使っており(その噂だけで隣国が踊らされます)、本当に生まれたのかどうか定かではありません。
 書かれた時代が時代だけに、山椒魚という生物はしばしばナチス・ドイツ、あるいは共産主義体制を皮肉ったものだと解釈されているようです。また、抑圧と搾取が黒人奴隷の歴史の繰り返し(作中でも言及あり)であることから「山椒魚=黒人」説、果ては日本人説までもが存在します。
 もっとも、私としてはどれも今一つピンと来ないですね。山椒魚達は全くと言っていいほど自発的な行動を起こさず、人間側の行動に反応するだけの受動的存在だからです(実は反乱ですら……)。山椒魚は何者でもない、ただ人間を映し出すための鏡なのではないでしょうか。注目すべきは鏡そのものではなくそこに映し出されたもの、資本主義・全体主義・社会主義全てをひっくるめた、欲深で浅慮な人間達の狂宴の方であるように感じられるのです。

 物語は、山椒魚発見と世界に広がるまでの『第一部:アンドリアス・ショイフツェリ』、ボンディの山椒魚シンジケートが山椒魚を労働力として商品化したことで人間文明と深く関わるようになる『第二部:文明の階段を登る』、そして山椒魚が人間に反乱を起こす『第三部:山椒魚戦争』の三部構成です。文章はかなり雑多な形態が混ざっており、一般的な小説の文章のみならず伝聞形式・新聞記事の断片・論文といったものが渾然一体となっています。この雑然とした感じが独特の面白さを醸し出していますね。
 特に酷い(褒め言葉)のが最終章『作者が自問自答する』で、「作者」と「作者の内なる心」が対話形式で物語の結末を決めるという、メタフィクション的な人を食った内容です。風変わりな形態から、この章を作者からの重要なメッセージだと受け止める方が多いようですけど、個人的には物語にオチを付けるためだけの、文字通り「取って付けた」部分なのではないかと睨んでいます。:-)

 さて、チャペック氏が序文で本書を「未来の事態についての憶測ではなく、現代の世界」と自己申告している以上こうした読み方は邪道なのですが、SFレビュー的には現実に人類が他の知的生命と接触したとき、特に相手の立場が下だった場合のことを想像しないではいられません。
 願わくば、本書のような状況にはなってほしくないものですが……。

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