さなぎ

[題名]:さなぎ
[作者]:ジョン・ウィンダム


 〈破滅もの〉で名高いジョン・ウィンダム氏によるポストアポカリプスSFです。また、人間の変異種・ミュータントを扱った作品でもあります。
 作品の舞台となるのは、おそらく核戦争で文明が滅んだ後の未来です。明示はされていないものの、千年余りが経過している時代のようです。
 文明崩壊後、動植物が放射性物質のせいでしばしば突然変異を起こし、人々はそれを排除しようと躍起になっています。そうした世界で生まれた少年デイヴィッドは、外見こそ普通なものの、ある特殊な能力を有していたのです。

 デイヴィッド・ストロームは、ラブラドール(カナダ東岸の半島)の一地方ワクナックの有力者ジョゼフの長男として生を受けました。
 その世界では作物や家畜、そして人間までもが時折〈偏倚〉(突然変異のこと)を起こしていました。聖書の戒律を守り、神の創造した生命のみが生きるに値すると信ずる人々は、〈つまづき〉を起こした動物・植物を処分、人間の〈偏倚者〉を〈外辺地方(フリンジ)〉へ追放して正常な生命のみを残そうと努力しています。そして父ジョゼフは、そうした者の中でも特に厳格な人間でした。
 しかし、デイヴィッドには外見上の異常はないものの、その内面には普通の人間と異なる部分があったのです。一つは、大昔に滅んだはずの高度な文明都市の夢を時々見ること。そしてもう一つは、従妹のロザリンドを初めとする幾人かの仲間達と心で会話できることでした。
 幸いにして、デイヴィッドがその能力を公にしてしまう前、理解ある姉メアリイやアクセル叔父からそれを秘密にしておくよう忠告されます。それらは排除すべき〈偏倚〉と見なされることになるからです。幼いデイヴィッドは理解しなかったものの助言を受け入れ、追放されることなく名士の長男として成長していきました。
 少年時代、デイヴィッドは人々とあまり交わらずに暮らす少女ソフィーと親しくなります。ふとしたことから彼女の足の指が普通の人より多いことを知りますが、デイヴィッドはそれをおかしなことだとは思いませんでした。
 けれども、やがてソフィーの秘密は発覚してしまうことになります。少女との別れを強いられ、かつ黙っていたことで罰を受けた彼は、次第に自分の教え込まれた教義に疑問を抱き始めるのです。
 その後、いくつかの経緯を経て今度は自分達へ疑いの目が向けられたとき――デイヴィッドは愛するロザリンドと、彼の妹でより強い能力を持つペトラを連れ、ワクナックから逃げだそうとするのですが……。

 本書の注目ガジェットは、デイヴィッドの仲間達です。
 デイヴィッドを含めワクナックに住まう少年少女数人のグループで、心だけで相互に会話可能な能力を有しています。但し、情報交換できるのは仲間内のみで、普通の人間に対しては送信も受信もできないようです。また、到達距離も限界があります。
 物語当初、デイヴィッドは実際に声を発しながらテレパシー的な会話を行っていましたが、独り言をしゃべっているように見えるところをアクセル叔父に見とがめられ、会話時も声を出さないよう忠告されます。(それまでは、誰も隠す必要があるとは思っていなかったため)
 伝達される情報は音声的ではなく視覚的のようで、音を伝えるのは困難を伴います。最初のうち彼らは互いの名前も知りません(元から知り合いだった者を除く)。名前とは異なる方法(考えの形)でお互いを識別しており、相手の名前を知る必要を感じていなかったためです。この辺りの設定がなかなか面白いですね。

 作中の世界では文明が一旦滅び、人々は中世レベルの生活を送っています。そうした中で、遺伝子変異により生まれる〈偏倚〉を取り除くという行為はかなりの負担となっているようです。
 人々の中には、かたくなに昔ながらの生物種を守ろうとする者と、ある程度の〈偏倚〉を許容しようとする者が存在し、倫理的な反目が起きています。しかしながら、実際に〈昔の人間〉がどのような姿をしていたのかという情報が失われているのは皮肉です。
 興味深いのは、本書は同じジョン・ウィンダム氏の『呪われた村』と立場が対照的である点です。
 『さなぎ』では、心で会話ができる少年を主人公に据え、大人達はただ昔ながらの人間とは異なる部分があるというだけで子供を迫害する恐ろしい存在です。
 一方『呪われた村』では、主人公は大人側の傍観者で、理解不能な異生物として描かれるのは心で会話ができる〈ミドウィッチの子供達〉です。
 かたやジュブナイル風味の〈ミュータントもの〉、かたやホラータッチの〈侵略もの〉というシチュエーションの違いはありますが、この二つは対になる作品なのかもしれませんね。集合知性的な〈ミドウィッチの子供達〉は物事をどう捉えていたのか、そしてデイヴィッド達を迫害する大人達は何を考えていたのか、といった点を考察してみるのもいいかもしれません。

この記事へのコメント

  • X^2

    もしかすると子供のころに読んだ事があるのかもしれませんが、記憶が相当に曖昧になっています。デイヴィッドたちの脱出行に、「ある程度の〈偏倚〉を許容する」有力者が飼っていた「巨大馬」を利用していませんでしたか?
    2010年10月16日 00:35
  • Manuke

    はい。X^2さんのご記憶通り、巨馬(おおうま)が出てきます。所有者はロザリンドの父親、デイヴィッドから見ると母方の叔父に当たる人物です。
    デイヴィッドとロザリンドの二人は親同士がいがみ合う、『ロミオとジュリエット』的な関係だったようです。あまり大きく取り上げられてはいませんけど(^^;)
    2010年10月17日 00:17
  • むしぱん

    この小説、面白かったです。ウィンダムは『トリフィド』しか読んでなかったのですが、古本屋で『呪われた村』を100円で買えたので読んでみたら面白く、続いてこの『さなぎ』も読んでみました。

    少年少女たちのテレパシーネットワークというガジェットは、竹宮惠子マンガの元かなあと思われる楽しさでした。最年少の小さな女の子が最も強力なテレパシーを発信できたり、遠い遠いところからかすかに聞こえてくる謎の女性のテレパシー。出だしに登場する少女ソフィーなど、数々の仕掛けや伏線が張られていて、これぞ娯楽ジュブナイル風SFという感じで大変楽しめました。

    なんとなく将来ロザリンドの尻に敷かれそうなデイヴィッドですが、二人の関係の描写が淡泊で、もうちょっと楽しい二人のエピソードがあっていいのにとも思いました。

    Manukeさんが指摘されてる、『呪われた村』と『さなぎ』はテレパシーに関して互いに反対の視点から描写されてるというのはなるほどです。ウィンダムは前者を書いた時に、子供たちが心を通じあわせているそのガジェットの詳細を表現したくなり、やがて後者を書いたのかもですね。

    さらに・・・、このような自然発生的な超人もののお話は、仲間を探し集めていく傾向がありますね。本書や『オッドジョン』『人間以上』『アトムの子ら』などなど。(国内だと矢野徹『折紙宇宙船の伝説』、小隅黎『超人間プラスX』など)
    一方、マッドサイエンティストなどによって生み出された超人は、自分に似たような仲間が他にいるはずがないから、孤独に耐え忍んでいくしかない。ワイリーの『闘士』、シェリー『フランケン』(これは超人?笑)、アメコミの『ハルク』(これは自分で改造してしまいましたが)など。同じ超人ものでも集団ものと孤立奮闘ものに分かれるなと思いましたが、他にもパターンはあるかもですね。
    すみません。長くなりましたが自身にとってちょっと発見(あたりまえ?笑)だったので書かせていただきました。
    2019年08月12日 20:13
  • Manuke

    > 少年少女たちのテレパシーネットワークというガジェットは、竹宮惠子マンガの元かなあと思われる楽しさでした。

    なるほど……。
    おっしゃる通り、竹宮マンガでイメージしやすいです(^^;)

    > Manukeさんが指摘されてる、『呪われた村』と『さなぎ』はテレパシーに関して互いに反対の視点から描写されてるというのはなるほどです。ウィンダムは前者を書いた時に、子供たちが心を通じあわせているそのガジェットの詳細を表現したくなり、やがて後者を書いたのかもですね。

    発表年では『さなぎ』の方が先のようです。
    ただ、二年違いですから、執筆時期は重なっていたかもしれませんね。

    > さらに・・・、このような自然発生的な超人もののお話は、仲間を探し集めていく傾向がありますね。本書や『オッドジョン』『人間以上』『アトムの子ら』などなど。

    ああ、確かに。
    自己と同等の存在を求めるだろうという想像から来ているんでしょうね。
    人工的な超人の場合、しばしば「同等の存在」を作り出そうとしてうまくいかないというエピソードが登場しますし。(それこそ『フランケンシュタイン』とか)
    2019年08月17日 00:13

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