白鹿亭綺譚

[題名]:白鹿亭綺譚
[作者]:アーサー・C・クラーク


 ハードSFの大家である巨匠クラーク氏の作品は、どちらかと言えば真面目で高尚なものだという印象が強いかと思われます。実際、氏の長編にそうした硬い傾向があるのも事実でしょう。
 しかしながら、それが全てではありません。奇想天外なアイディアや気の利いたウィットで読者を楽しませてくれる作品もクラーク氏は書かれています。
 本書『白鹿亭綺譚』は、氏の著作中でもとりわけユーモアに富んだ短編連作です。お話の内容は、要するに酒場での「ほら話」ですね。
 ブリティシュ・パブ〈白鹿亭〉で行われる、作家・科学者・その他諸々の人達による毎水曜日の夜の集い。中でもハリー・パーヴィスが開陳する科学的大ボラを、常連達は眉に唾を付けつつ大いに楽しむのです。

◎みなさんお静かに

 ハリー・パーヴィス初登場のお話です。
 ある常連客の一人が亭内で大声を出したとき、別の一人が「奴をだまらせる手があればな」と呟きました。
 パーヴィスはその言葉を受けて、青年ルーパート・フェントンが発明した消音装置、フェントン・サイレンサーの逸話を皆に語り始めたのです。
 それは音波の干渉現象を利用し、周囲の音を完全に消してしまうという謎装置の物語でした。

◎ビッグ・ゲーム・ハント

 この短編だけは、他と異なりパーヴィスの語ったお話ではありません。
 〈白鹿亭〉に現れた一見さんのヒンケルバーグ教授は、「LPレコードを七十八回転でまわしたように」喋りまくって、パーヴィスのお株をすっかり奪ってしまいます。
 教授が語ったのは、グリネル博士が生み出した神経誘導法に関する物語でした。動物の神経組織に流れる電流を記録し、そして再生することにより、生物の行動をコントロールしてしまうというものです。
 そこに現れたのが、アマゾン川探検や南極探検やらの派手なことが好きなジャクソン博士。ジャクソンはグリネルの発明を知ると、それを使ってある大掛かりなことを思いつくのですが……。

◎特許出願中

 前回『ビッグ・ゲーム・ハント』でヒンケルバーグ教授に美味しいところを持っていかれたのが悔しかったのか(^^;)、パーヴィスは同じ神経組織と電流のネタで一席ぶちます。
 フランスの実験生理学者ジュリアン教授は、人間の神経に流れる電流を記録し、そして再生することにより、五感全てを再体験することのできる装置を作り上げたのです。
 教授の助手だったジョルジュは、この装置が金になることを見抜きました。ジョルジュは教授に黙って装置を外へ持ち出した後、ある人物の記録を取ることにします。

◎軍拡競争

 今回、パーヴィスは友人を〈白鹿亭〉へ連れてきます。
 友人の名はソリイ・ブランバーグ、ハリウッドで映画撮影に関わっていた人物です。しかし、そこで起きてしまったことのせいでアメリカにいられなくなり、イギリスに渡ってきたと言うのです。
 ブランバーグが巻き込まれた事の顛末を、彼に成り代わってパーヴィスが皆に説明を始めます(いつものごとく(笑))。それは子供向けの特撮SFテレビ番組、キャプテン・ズーム・シリーズの小道具である光線銃に関することでした。

◎臨界量

 パーヴィスがかつてイングランド南部の原子力研究所に務めていたころの逸話です。
 研究所近くの酒場で、パーヴィスと仲間の科学者がたむろしていました。そのとき、ブレーキの壊れたトラックが坂を下っていき、溝にはまって横倒しになるのを彼等は窓から目撃します。
 積み荷の木箱は放り出され、壊れてしまいました。そして、運転手がトラックから這いずり出てきたかと思うと、大慌てで一目散に逃げ出したのです。
 酒場の中を不吉な静寂が満たします。もし、そのトラックが運んでいた荷物が彼等の想像する通りのものだったとしたら……。

◎究極の旋律

 常連の一人が最近流行中のヒット曲を口ずさんだところからお話は始まります。パーヴィスが言うには、そうした耳にこびりついて離れないメロディーには何らかの共通性がある、とのことでした。
 脳研究を専門とする生理学者ギルバート・リスターは、特定の旋律が人間の心に強い印象を与えるのは、それが頭脳の基本的なリズムと合致するからなのだと考えました。そして数多くの楽曲を分析した結果、根源的かつ究極のメロディーが存在するに違いないとの確信に至るのです。

◎反戦主義者

 ある晩、〈白鹿亭〉に電子式のゲームが持ち込まれます。常連客達はその器械に挑戦してみるものの、誰一人として勝つことができません。
 パーヴィスもまたゲームに誘われますが、彼は挑戦する代わりにアメリカであった電子計算機にまつわる話を始めるのです。それは米軍が計画した、戦局を分析して戦略を決定するためのコンピュータに関する物語です。
 非常に困ったことに、計画の責任者に選ばれたスミス将軍は箸にも棒にもかからない愚物でした。将軍にやいのやいのとくちばしを突っ込まれた開発者のミルクトースト博士は、次第にスミス将軍に対して憎悪を深めていくことになります。
 やがて、分析用大型コンピュータは完成します。スミス将軍はペンタゴンからお偉いさん達を招き、コンピュータのお披露目をしようとするのですが……。

◎隣の人は何する人ぞ

 パーヴィスが唯一出会ったことのあるというマッド・サイエンティストのお話です。
 彼がビキニ環礁の近隣で、ある探知装置を(某国の核融合実験を監視するために)設置しようとしていたとき、無人と思われていたある大きな環礁に人が住んでいることを発見します。
 そこにいたのは、日本人生物学者のタカト教授でした。教授は環礁に棲息している白ありを研究していたのです。
 パーヴィスは教授と親しくなり、その研究の一端を拝見することになります。タカト教授の研究とは、ささやかで真面目ながらも、世界征服に関する驚くべき内容だったのでした。

◎とにかく呑んべは

 パーヴィスが戦時中、ある裁判で専門家として証言したという逸話です。
 パーヴィスの遠い親類である大金持ちのホーマー・ファーガスンは、変わり者ではあったものの優れた科学者でした。そのホーマーがある日、パーヴィスに電報で助けを求めてきたのです。
 彼が駆けつけてみると、ホーマーの屋敷にあった小屋が爆発で壊れてしまっていました。ホーマーは呑んべえであり、高い酒税に我慢がならなくなってウィスキーを密造しようとしたのです。ところが、その蒸留設備が爆発してしまい、それが税務署にも発覚してしまったというわけです。
 ホーマーとパーヴィスは思案し、それがウィスキーの蒸留設備などではなかったと言い逃れることにします――とんでもない大ボラをでっち上げて(笑)

◎海を掘った男

 パーヴィスが友人のアメリカ人弁護士の家に滞在していたとき、その友人がフロリダにある別荘へと彼を連れて行きました。別荘には友人手製の小型潜水艇があり、パーヴィスはいささか無理矢理気味に(^^;)遊覧潜水へと誘われます。
 二人が美しいフロリダの海底を堪能していたそのとき、彼等の頭上を一隻の船が通過します。それは船底にキールと同じ長さのトンネルが走っている奇妙な船でした。
 パーヴィス達は興味を引かれ、潜水艇でこっそりその船の後をつけることにします。しかし、その行動は船側から察知されていたらしく、二人は船に捕まってしまうのでした。

◎尻ごみする蘭

 ハーキュリーズ・キーティングなる人物の物語です。
 その勇ましい名前とは裏腹に(ハーキュリーズはヘラクレスの英語読み)、彼は小柄で気弱な、至って人畜無害な男でした。ハーキュリーズは蘭やサボテンの栽培を趣味とし、あまり社交的なタチではありません。
 ところが、彼の唯一の肉親であるヘンリエッタ伯母は、彼とは何から何まで正反対の性質を持った人物でした。大柄で派手好き、ジャガーを乗り回して葉巻を始終ふかしているといった、剛胆な女性です。
 不幸なことに、ハーキュリーズにとってヘンリエッタは迷惑以上の相手でした。彼女の大声や強烈な握手を恐れるあまり、次第にそれは憎悪へと変化していったのです。ヘンリエッタにしてみれば、甥っ子に抱くごく普通の愛情のつもりだったのですが。
 そんなある日、ハーキュリーズはふとしたことから奇妙な蘭を入手することになります。

◎冷戦

 パーヴィスのホラが、いかにもっともらしく聞こえるかを示すお話です(笑)
 一九五四年の春、フロリダ沖に氷山が流れ着くという記事が新聞を賑わしました。パーヴィスはガセネタだろうと大して気にも留めなかったのですが、後にアメリカ海軍の中佐に出会い、事の真相を教えてもらうことになります。
 それは実に奇妙な、しかし文字通りの『冷戦』の話だったのです。

◎登ったものは

 〈白鹿亭〉に「空飛ぶ円盤信者」が押し掛けてきたとき、それを撃退するためにパーヴィスがでっち上げた物語です。いかに反重力などというものがあり得ないものなのかを示すという意味で、実用的なホラ話かもしれません。:-)
 オーストラリアの核物理学者ケイヴァー博士(H・G・ウェルズ氏のSFにちなんだ仮名)は、新型原子炉の実験中、異常な事態に遭遇します。原子炉が突然停止し、何か見えない球状の壁で覆われてしまったのです。
 ケイヴァーとその同僚が調査した結果、驚くべきことが判明しました。なんと、原子炉は何らかの不可解な原理で反重力を生み出し、その中心が無重量状態になっているらしいのです。

◎眠れる美女

 シグマンド・スノーリングという名の、哀れな男性の逸話です。
 その突拍子もない名前(スノーリングはいびき、シグマンドは今ひとつ不明ですが勝利+口?)を幼少の頃よりからかわれ続けたせいで、シグマンドは本当に大いびきをかいてしまうという心身症を患っていました。彼のせいではないのですが、妻のレイチェルにとっては大問題でした。
 結婚生活の危機に陥ったシグマンドは、伯父のハイミーに相談します。なんとかいびきを止める方法はないものかと。(このハイミー伯父がなかなかの傑物です(^^;))
 ハイミー伯父はその依頼を受け、一ヶ月後シグマンドに薬を注射します。その薬のおかげで、シグマンドは確かにいびきをかかなくなるのですが……。

◎アーミントルード・インチの窓外放擲

 「窓外放擲(Defenestration)」なる、使い出のなさそうな単語を巡るお話です(^^;)
 オズバート・インチは妻のアーミントルードに対して、一つの不満がありました。彼女はいわゆる口から生まれてきた類いの人間で、朝から晩までのべつまくなしにおしゃべりし続けるのです。しかも厄介なことに、アーミントルードは自分がおしゃべりだということの自覚がありません。(時々いますよね、こういう人(笑))
 B・B・Cの音声担当技師であったオズバートは、自分の技能を生かして、ある装置を作り上げます。二人の音声を記録し、その語数をそれぞれカウントしていくというものでした。

 この『白鹿亭綺譚』は一人称で書かれたお話ですが、語り手の「わたし」はアーサー・C・クラーク氏その人です。つまり、クラーク氏ご自身も〈白鹿亭〉の常連として物語に登場している訳ですね。
 さらに、常連客の中にはジョン・ウィンダム氏(『トリフィド時代』作者)やジョン・クリストファー氏(〈トリポッド・シリーズ〉作者)のようなイギリスSF作家さんの名前が実にさりげなく出てきたりと、ファンサービスもばっちりです。
 本書はウィットに富んだ楽しいお話ですが、いささかスノッブ気味と言うか、衒学的な部分もあります。パーヴィスがある人物に対して「e^xの積分すらできないような男だった」と評すると、「そんな無知な人間が、この世にいるのか?」と聴衆の一人が驚いたり、オックスフォードやケンブリッジを田舎大学と切り捨てたり(笑)
 もちろん、そうした嫌味ったらしいネタも含めてこその『白鹿亭綺譚』です。理屈っぽかったりするものの、これは要するに酔っぱらいどもの馬鹿話なのですから。ニヤニヤしつつ大いに楽しんでしまいましょう。:-)

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