フランケンシュタイン

[題名]:フランケンシュタイン
[作者]:メアリー・シェリー


 言わずと知れた古典ホラーの名作、『フランケンシュタイン――あるいは現代のプロメテウス』("Frankenstein; or, The Modern Prometheus")です。
 その名前を知らない人の方が少ないくらい有名な作品ですから、あえてレビューする必要はなさそうな気もします(^^;) もっとも、一般的に抱かれるイメージは映画やマンガなど派生作品からの影響が強く、オリジナルとは食い違いのある部分も少なくありません。ここでは原作小説をSF的側面からレビューしてみることにします。
 詩人パーシー・シェリー氏の妻メアリー・シェリー氏が、ある経緯から執筆することになった怪談が本書で、発表は一八一八年です。一般的には、ゴシック小説(当時流行していた、幻想的・怪奇的要素を含む物語)と分類される作品ですが、人によっては最初のSFだと位置付ける場合もあります。
 本書で作り出される怪物は、その人工生命体という側面はあまり重視されていませんから、おそらくホラーと捕らえた方が自然でしょう。しかしながら、メアリー・シェリー氏ご自身が前書きで、科学的要素で物語のリアリティを強化している旨を述べており、SFの萌芽をここに見て取ることができます。また、SFの主要ガジェットであるロボットは、多くがフランケンシュタインの怪物のパターンを踏襲しており、その影響は計り知れません。

 物語は海洋冒険家のウォルトンが姉に宛てた手紙から始まります。
 時は十八世紀。北極航路の発見を目指す青年ロバート・ウォルトンの指揮する船は、しかし氷と濃霧のせいで停泊を余儀なくされました。そこで思いがけず、彼らは氷の上で衰弱し切った欧州人の男と出くわし、救助の手を差し伸べることになります。
 その奇妙な客人は、ある目的のために逃亡者を追いかけ、この北の最果ての地にまではるばるやって来たのだと言いました。彼が語った、不思議かつ恐ろしい話とは……。

 ヴィクター・フランケンシュタインは、ジュネーヴの裕福な名家に生まれました。高潔で名声の高い父と、優しい母、幼少より伴侶となるべく選ばれた少女エリザベスといった人達に囲まれ、ヴィクターは何一つ不自由なく育ちます。
 そんな彼は、少年期に魔術師アグリッパや錬金術師パラケルススの書に熱中することになりました。けれども、長ずるに従いそれらが打ち捨てられた学問であることを知り、彼の興味は自然科学の方へと移っていきます。
 十七歳になったとき、ヴィクターはインゴルシュタット(ドイツ・バイエルン州)の大学へ入学することになりました。この地で科学、特に化学に打ち込んだ彼は、その非凡な才能を開花させることになります。
 そうした学究の日々の中、ヴィクターは生命や人体に興味をかき立てられ、それを分析するうちに、ある驚くべき発見を成し遂げます。彼は生命発生の神秘、無生物に命を吹き込む方法を解明したのです。
 その秘密を元に彼が成そうとしたのは、人間の創造でした。ヴィクターは解剖室や食肉処理場から材料を得て、建物の最上階にある孤独な部屋にておぞましき作業に没頭し、遂に目的を達成します。
 しかし、自らの創造物が目を覚まし動き出した瞬間、それが醜く恐ろしい存在であることをヴィクターは気付きました。恐怖のあまり彼は部屋を逃げ出してしまいます。
 翌日、彼が恐る恐る部屋へ戻ったとき、そこはもぬけの空でした。ヴィクターは怪物が姿を消してしまったことにほっとし、喜びに手を打ちますが(なんという無責任……)、自分が成した冒涜に怯えて数ヶ月もの間寝たきりになってしまうのです。
 親友のクラーヴァルに介護され体力が戻ったヴィクターは、我が家へ帰ることに決めます。ところがその矢先、父からの手紙で幼い弟ウィリアムが殺され、召使いの娘ジュスティーヌ・モリッツが下手人とされていることを知りました。
 大急ぎでジュネーヴへ戻ったヴィクターは、そこで恐るべき醜悪な生き物――彼の生み出した怪物を目にします。ジュスティーヌが犯人というのは濡れ衣で、怪物こそが真の殺人者だったことを彼は悟りました。
 けれども、ヴィクターが真実を言い出せないまま(卑怯過ぎ……)、ジュスティーヌは処刑されてしまいます。その事実にふさぎ込む彼の元へ、遂に悪夢の元凶たる彼の被造物が姿を現しました。
 怪物はヴィクターをなじり、自らの受けた非道の仕打ちを語り聞かせます。そして彼に要求するのです――自分の孤独を癒す、妻となるべきもう一体の怪物を作れ、と。
 一旦はそれに従おうと決めたヴィクターでしたが……。

 本書の注目ガジェットは、怪物("the monster")です。
 怪物がどのように作られたかははっきりしませんけれども、その材料に人間や動物の遺骸を使っているようです。ヴィクターは化学専攻の学生ですが、少年期に錬金術へ傾倒したことが強調されており、おそらくはその双方の技術が使われているものと思われます。
 外見に関しての小説での記述はあまり多くありません。一般的に通用しているイメージ(額の秀でた、縫い目やボルトの付いた巨人)は主に映画によって作られたものですね。
 身長は二メートル四十センチ程度、その黄色い皮膚はミイラのようで、黒くつややかな長い黒髪を生やしています。ヴィクターは繰り返しこの怪物を「醜い」と表現しますが、実際にどのような醜悪さなのかは不明です。
 実は興味深いことに、ヴィクターは怪物が目を覚ます直前まで、その四肢や容貌を「均整が取れた美しいもの」と考えていたようです。命が吹き込まれたことで、その評価は逆転してしまう訳です。
 肉体は強靱かつ敏捷、その巨体に見合う怪力を有しています。寒さにも強く、極寒の北極でも活動に支障はないようです。また、食料はわずかな木の実で事足り、人間のように肉を必要としません。
 怪物の知能は非常に高く、感受性も豊かです。赤ん坊のような状態でヴィクターに見捨てられた後、たった一年程で知的な会話ができるまでに成長します。
 実際、こうして見るとヴィクターの生物創造は、ただ外見が醜く見えるという極めて主観的な点を除けば、大成功しているように感じられます。学生の身でありながらそんな偉業をあっさりと成し遂げてしまう辺り、さすがはマッド・サイエンティストの元祖と言えるでしょうか(^^;)

 登場人物として捉えた怪物も、かなり複雑な存在です。
 しばしば混同されることですが、「フランケンシュタイン」は怪物の創造主ヴィクターの姓であり、怪物自体の名前ではありません。作中でヴィクターは怪物のことを、悪魔("the daemon / the devil")・悪鬼("the fiend")・生き物("the creature":この言葉には「被造物」の意味も)のように様々に呼びつつも、固有名詞を使いません。彼にとって、怪物に名前を付けることすら厭わしいものだったのでしょうか。
 ヴィクターは一貫して彼を悪の権化と決めつけ、事実殺人を犯しているのですが、実際のところ怪物が直接手にかけるのは作中を通して三人だけです。他に、罪をなすりつけられたせいで死刑になったジュスティーヌと、一連の事件のせいで悲嘆のあまり衰弱死する人物がいますけど、それを含めても五人。いずれもヴィクターの関係者です。
 怪物自身の言によれば、その外見の醜さのあまり謂れなき差別を受ける前まで、彼は人々の愛情を信じていたようです。怪物は迫害から憎悪を募らせ、ついに殺人に手を染めてしまいますが、この時点で怪物は目覚めてから二年程度であったことも留意する必要があるでしょう。
 ヴィクターと怪物の対話場面では、ヴィクターが終始ヒステリックであるのに対し、怪物はできる限り冷静を保とうとしています。最終的に、怪物の復讐はヴィクターを己自身の相似形へと作り替えてしまうことで成就しますが、それは怪物の心を満たすことはありません。
 殺人者ではあるものの、同情せずにはいられない悲しいキャラクタです。

 一方、怪物の創り手であるところのヴィクター・フランケンシュタインには無責任な行動が目立ちます。
 人造生命を創り出したこと自体はともかくとして、見た目が醜いというだけで怪物を捨て、のみならずそのことを反省もしていないようです(後悔するのは怪物を作ったことだけ)。無実のジュスティーヌを救える唯一の人間であるにも拘わらず、自分に言い訳をして見殺しにしてしまいます。成すべき役目を放棄するケースは多く、悪いことは怪物に責任を転嫁してしまう傾向もあります。多くの読者がヴィクターを卑劣だと感じることでしょう。
 ところが、面白いことに作中では、ヴィクターは徳高き立派な人物と評価されます。冒険家ウォルトンは彼をほとんど崇拝していますし、さんざん裏切られた怪物ですらヴィクターを「人のなかの愛と賞賛にあたいするすべての選りすぐった見本のような人物」とまで称える始末です(^^;)
 十九世紀初頭と現代では価値観の違う部分がありますから、このギャップがどの程度メアリー・シェリー氏の意図したところなのかは分かりませんけど、おそらくヴィクターはとても見栄えのいい青年なのでしょうね。「姿形さえ良ければ、中身がどうあれ人に好まれる」というのは怪物とは対比的で、なんともやるせない気持ちになってしまいます。

 フランケンシュタインの怪物は、「人間が作り出した生命」という設定ではあるものの、実際には作中での心理描写は人間そのものです。彼の受ける迫害は、昔からある「醜さ故に虐げられる者」のバリエーションの一つと言えます。
 けれども、怪物の持つ人工知性体という属性は、それまでになかった「人工物が知性を持ったときに、人はそれとどう向き合うのか」という方向性を確かに仄めかしています。この辺りが「SF的」と称される所以ですね。
 本作においては、人工知性体を作り出す行為が神への冒涜とされ、怪物は存在そのものを否定されてしまいます。しかし、科学技術の進歩により機械(コンピュータ)が知覚力を持ち始めているのは事実です。その延長線として、現実として人工知性と呼べるものが誕生しうることは想像に難くありません。
 二十世紀に入って、作家カレル・チャペック氏によりロボットの概念が生み出されたとき、『フランケンシュタイン』はそこに大きな影を落とすことになります。ロボット黎明期のSF作品のほとんどが、ロボットを創造者に逆らうものと描いたようです。怪物同様、否定すべき存在としてしか扱われなかった訳ですね。
 しかしながら、ロボットは人工物です。ヴィクターのような愚か者でなければ、拒絶するぐらいなら最初から作らなければいいはずです(^^;) そのあまりの類型的繰り返しにうんざりした若き日のアイザック・アシモフ氏が、「人類に反乱を起こさないロボット」のためにロボット三原則を編み出したことで、SFはようやく『フランケンシュタイン』の呪縛から解放されることになります。(とは言いつつ、未だに反乱パターンは多いですけど(笑))
 こうした、ロボットを拒絶すべき存在と捉える傾向は西洋的価値観から来るものと指摘されることもあり、必ずしもその全ての原因が本書にあるのではないかもしれません。けれども、それだけの影響を与えたのだとしても不思議はない、非常に強烈な印象の物語であることは間違いないでしょう。時代を超えて高く評価されうる、傑作の一つです。

この記事へのコメント

  • むしぱん

    NHK「100分de名著」で本書についてやっていたのをちょっと観て、未読でしたので読んでみました。

    昔TVで観たフランケンの映画では、ボリス・カーロフ演ずる怪物が「フンガー」くらいしか言わなかったのが、原作では口が達者な雄弁怪物であることが意外でした。さらに「若きウェルテルの悩み」や「失楽園」などをたしなむ読書家だったとは。

    私も主人公はしょーもないなーと思いながら読んでましたが、Manukeさんの書かれてるとおり、怪物の表面は醜いけど中身は清い、ヴィクターは表面は整ってるけど中身は醜いの、対照的な関係だったのですね。なるほどでした。

    作者の狙いは「怪物の孤独」なんでしょうけど、怪物の望みどおりにメスの怪物も作ってあげて、その後に怪物コミュニティが人里離れたところで密かに繁栄していくような話も読んでみたかったように思います。(笑)
    2015年02月28日 19:52
  • Manuke

    とても寂寥感のある結末ですからね。
    だからこそ名作とされるのでしょうけど、もう少し救いがあっても……と思わざるにはいられません。

    もしかしたら、ヴィクターなんぞに頼らず怪物が自力でなんとかした方が早かったのかもしれないです(^^;)
    極寒の奥地に、誰にも知られないそんなコミュニティがひっそりと生まれた、なんて想像してみるのも面白いかもしれません。
    2015年03月01日 00:39
  • X^2

    非常に有名な文学作品であっても(むしろそれが故に)、多くの人がダイジェスト版やジュブナイル版その他でしか知らない作品というのがあるものですが、この作品もその一つでしょう。実際私もこの記事の後で原作小説を始めて読んで、それまで持っていたイメージが覆されました。「宇宙戦争」とかも、映画しか知らない人の方が多かったりして。
    2015年03月14日 00:29
  • Manuke

    私もジュブナイル版は小学生の頃に読んだのですが、完訳版は成人してからです。
    有名すぎて原作があまり読まれていないというのは、ゴシック小説だと『吸血鬼ドラキュラ』辺りも該当しそうです。あれは、手紙や日記の形で綴られていくのが面白いですね。
    2015年03月14日 23:43
  • むしぱん

    フランケンを読んだあと、怪奇物続きということで「ドラキュラ」をちょうど先週読んだところでした。
    中盤でようやく登場してくるヴァン・ヘルシング教授に対して「そんなにもったいぶらなくても、早くみんなに説明してあげればいいのに」などと思ってしまうようなつっこみどころは満載でしたが、それまで書かれてきた吸血鬼小説の集大成的位置づけになっただけのことはある、丁寧なすじ運びの話でした。ちなみに狼男ものの古典てのはあるのでしょうかね?(フランケン、ドラキュラとくれば、怪物くん的には次は狼男なので。笑)

    私にとって映画だけ観てて小説読んだらびっくりしたのはトリフィドです。映画「人類SOS」は最後、トリフィドは海水に弱いことが判明するので、小説でも海水のエピソードがいつ出るかと思いながら読んでたら最後まで海水の「か」の字も出ないまま終わってしまい大変驚きました。あとでネットを見たら、海水のエピソードは映画制作の終盤でいきなりつけたされたようです。小説の終り方だと根本的解決がないから映画的にはオチがほしかったんでしょうけど・・・そういうことだったのかあと納得しました。
    2015年03月15日 20:42
  • Manuke

    > そんなにもったいぶらなくても、早くみんなに説明してあげればいいのに

    それは私も思いました(^^;)
    若干、価値観の違いを感じるところもありますけど、間違いなくこちらも名作ですね。
    ちなみに、さらにルーツと言われる『吸血鬼カーミラ』も持ってはいるのですが、「積ん読」で長年熟成中です(笑)

    > ちなみに狼男ものの古典てのはあるのでしょうかね?

    以前調べたのですが、こちらはキーと言えるような文学作品はなさそうです。
    まあ、『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』と違って、狼男は遙か昔からある伝説ですしね。
    2015年03月17日 20:08
  • むしぱん

    X^2さんの書かれている「非常に有名な故に、ダイジェスト等の方が出回ってしまっている」例で思ったのは「ガリバー旅行記」です。絵本は誰でも見て知っているけど、なかなか岩波文庫などの完訳版まで手を出すのはちょっと敷居が私には高く感じられてました。でもAmazonの書評をみると高評価のようですし、青空文庫にも既に入ってることがわかりましたので、近く試してみようかと思いました。

    私も「ドラキュラ」のあとがきを読んで、「カーミラ」をアマゾンでポチり、昨日、本が届いたところでした。(笑)
    でも「ミニスカ宇宙海賊」を読み始めたところなので、Munukeさんのようにカーミラを長期熟成させるか、ボージョレ扱いでさっそく封を開けるかは、ミニスカの面白さ如何となりそうです。
    2015年03月19日 21:32
  • Manuke

    『ガリヴァー旅行記』ですか。
    あれは確かに名作ですが、もの凄くブラックなお話でもあるので、お気を付けください(^^;)
    面白いんですけど、読み終えた後に気持ちが荒みます(笑)
    (なので、あんまり読み返す気にならないという……)

    > 私も「ドラキュラ」のあとがきを読んで、「カーミラ」をアマゾンでポチり、昨日、本が届いたところでした。(笑)

    おおっ。
    一度積んでしまうと、なかなか崩す気になれなくなりがちですので、勢いで読んでしまうしか(^^;)
    2015年03月21日 00:00
  • むしぱん

    いろいろ読みました。

    「ミニスカ一巻」。宇宙艦同士で交戦する前の、事前の電子戦に重要性を置いた話でした。

    「カーミラ」。あるお屋敷のお嬢様が、女性吸血鬼に気に入られてしまい、恐怖に震えるお話。

    「ガリバー」。Manukeさんの「気持ちが荒む」とは何だろうと思ってましたが、なるほど。作者のいまひとつの品性が出てしまってる感じですね。青空文庫で無料で読めたのでよしとします(笑)。
    2015年04月04日 18:00
  • Manuke

    『ミニスカ~』はタイトルがあんまりなので、なんとなく敬遠してました(笑)
    アニメの方はちょっと見て、思ったほど悪くはないと感じたので、そのうち読んでみますね。

    『ガリヴァー旅行記』は、スウィフト氏の晩年のことを考えると、ガリヴァーの心情がどこまでフィクションだったのかという疑問を覚えてしまいます。
    名作には違いないのですけど、これを子供向けにするのはどうなんだろう、という気がひしひしと(^^;)
    2015年04月07日 01:04

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