ロボット市民

[題名]:ロボット市民
[作者]:イアンド・バインダー


 本作は、人工知性であるロボットと人の関わりを描いたSFです。
 ロボットという言葉は、チェコの作家カレル・チャペック氏の戯曲『R.U.R.』(一九二一年発表)において発明され、巨匠アイザック・アシモフ氏の〈ロボットもの〉(第一作『ロビー』が一九三九年発表)で一つの頂点を迎えます。二十年足らずの間ですが、人工知性体・ロボットは様々なSF作品に登場し、特に重要なSFガジェットの一つとして認められるに至ります。
 しかしながら、その登場の仕方はかなり類型的で、当時は「被造物たるロボットが、創造主たる人類に反乱を起こす」というパターンが非常に多かったそうです。これを、アシモフ氏は「フランケンシュタイン・コンプレックス」と名付けて揶揄しています。(今なお、このパターンは非常に多いですね(笑))
 『ロボット市民』(最初の短編が『ロビー』と同じ一九三九年発表で、こちらの方が少し先)は、冷たい機械という扱いだったそれまでのロボットとは異なり、心を持つ人工知性という形で新たなロボット像を作り出した先駆的作品です。ストーリー自体はさほど深みもなく、単純かつご都合主義的ではあるのですけど、ロボットの一人称主人公アダム・リンクが理性的かつ感情豊かなキャラクタとして描かれ、それまでのロボットSFとは異なる方向性が示されています。

 電子への感応性が高いイリジウムのスポンジを生み出したチャールス・リンク博士は、その物質を使ってロボットを作り始めました。それは単なる機械ではなく、心を持つ新たな生命体と言うべきものでした。
 二十年後、ロボットは完成します。当初は赤ん坊のようだったそのロボットは、鉄でできていながらも優しい心と高い知能を備えた存在へと成長していきます。博士は、そのロボットにアダム・リンクの名を与えました――自らの息子であり、新たなロボット種族の最初の市民となるよう願いを込めて。
 ところが、リンク博士は事故により命を落とし、しかも悪いことにその死に対する嫌疑がアダムにかけられてしまいます。
 この局面でアダムに友好的なのは、リンク博士の甥で弁護士のトム・リンク、そして新聞記者のジャック・ホールの二人だけでした。二人の奔走のおかげでアダムは身の潔白を証明し、死刑直前にそれを回避することができました。
 その間にアダムが火事や事故から人命救助を行っていたことから、世論の人々は殺人ロボットを見る目から、幾分好意的な方へ変化します。「ロボットの市民権獲得」というリンク博士の遺志を受け継いだアダムは、優れた頭脳を活かして科学コンサルタントとして生計を立てつつ人間社会の中で暮らし始めます。
 仕事は順調にはかどり、アダムは裕福になりました。ところが、秘書として雇ったケイ・テンプルが、高潔な紳士として振る舞うアダムに恋をしてしまいます。いかに人同様の心を持つとは言え、アダムの体は金属製であり、ケイの愛情を受けることはできません。
 どれほど人々の中に溶け込もうとも、結局のところ自分は孤独なのだと悟ったアダムは、絶望のあまり自殺を図ろうとします。そのとき、偶然出会った科学者ポール・ヒロリー博士に「もう一つロボットを作ればいいじゃないか!」と諭され、アダムは自らの伴侶となるべきロボットの制作を始めることにしました。
 アダムはまだ知りません――親切な協力者の振りをしたヒロリーが、恐るべき野心を抱いていることに。

 本作の注目ガジェットは、アダム・リンクです。
 アダムは頭脳にイリジウム・スポンジが使われたロボットで、人間以上の高い知能と豊かな感情を持っているのが特徴です。当人は作中で人間とは異なる旨の発言をしていますけど、実質的にメンタル面では人間そのものとして描かれています(^^;) アダムの人格形成はリンク博士の教育によるもので、アダム自身は己を男性だと認識しています。
 アダムの体は身長百七十八センチメートル、体重二百二十七キログラムの鉄製です。頑丈さと強い力、敏捷さを備えていますが、細かい作業は苦手なようです(この鉄製ボディの上にラバー・コーティングを施し、人間に変装することも)。また、機械であるという特性を生かして、必要に応じてより大型のロボットの体を自作し、それに頭脳を載せ替えたりもします。
 あらすじで触れた通り、アダムは自らの孤独を解消するためにもう一体のロボットを制作することになります。パートナーを女性の人格に育てたいと考えたアダムは、人工的なテレパシー発生装置を作り、それをケイに委ねて教育を任せます。イヴと名付けられたロボットは、体こそアダム同様の無骨な金属製ですけど、ケイの精神をコピーした女性的人格を持つことになります。

 作者のバインダー氏は、かなりメアリー・シェリー氏の『フランケンシュタイン』を意識していたようで、作中でもアダムが自分をフランケンシュタインの怪物になぞらえて嘆くシーンが幾度も登場します。
 ただ、徹底した悲劇である『フランケンシュタイン』とは異なり、アダムの創造主は立派な人物ですし、少数ですが人間の理解者もいます。何より、怪物が遂に手に入れることのできなかった伴侶を得たのが最大の違いですね。
 作中でアダム・リンクは善きものとして描かれ、彼の視点から人間を見ることで物語は人の不合理・不道徳に対する風刺的な側面を持ちます。ただ、こうした要素はやはり『フランケンシュタイン』にも存在する部分で、理不尽な迫害から憎悪の塊へと変貌してしまうフランケンシュタインの怪物と比べると、迫力では少々見劣りしてしまうのは否めないところです(^^;)
 もっとも、『フランケンシュタイン』はゴシック小説であり、生命創造を冒涜と位置付けて、容姿による差別や凄絶な復讐劇に軸足が置かれています。一方、『ロボット市民』は人造生命体そのものに焦点が当てられ、ロボットを新たな種族と捉えている点はよりSF的ですね。
 しばしば『フランケンシュタイン』の呪縛から脱却した最初の作品と評される本作ですけど、個人的にはそれに対するアンチテーゼでもあったように感じています。簡単に言ってしまえば、これは「フランケンシュタインの怪物が救われるお話」を意図して書かれた物語なのではないかと思うのです。

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