呪われた村

[題名]:呪われた村
[作者]:ジョン・ウィンダム


 とある地方の村で起きた怪事件を描く、ホラータッチの異色侵略SFです。原題は"The Midwich Cuckoos"(『ミドウィッチ村のカッコウ』)。
 異星人・異生物による地球侵略と言うと、H・G・ウェルズ氏の『宇宙戦争』を嚆矢として、やはりウィンダム氏の『海竜めざめる』等様々なタイプのものがありますけれど、比較的派手な展開のものが多いように思われます。そうした中、本書のストーリーはやや地味ではありますが、その分じわじわと恐怖を募らせていく印象がありますね。
 平凡な村ミドウィッチで起きた奇妙な怪異。それはやがて、恐るべき事態へと進展していくのです。

 イギリスの片田舎ミドウィッチ。そこは取り立てて特徴のない、至って平凡な村でした。
 そこに居を構える作家リチャード・ゲイフォードと妻ジャネットは、ある年の九月二十六日、ちょっとしたお祝いのためにロンドンへと一泊二日の小旅行に出かけました。ところが、その間にミドウィッチでは大変なことが起きていたのです。
 二十二時十七分、ミドウィッチにいた者全員が、何の前触れもなく突如として意識を失いました。その異常事態は人だけに留まらず、家畜や野生動物、昆虫にまで及ぶものでした。
 明くる日、ゲイフォード夫妻がミドウィッチへ戻ってくると、その周辺では騒ぎが起きていました。ミドウィッチ内の人々と連絡が取れず、村へ入ろうとした車の運転手達が次々と気絶して道路が塞がれてしまったためです。事情の飲み込めないリチャード達もミドウィッチへ戻ろうとして気絶し、消防士達に長いフックで引っ張り出されて救出されます。
 ミドウィッチの中心から直径三・二キロメートルの範囲に、その謎のエリアは円形に広がっていました。そして、航空写真を撮影したところ、中心とおぼしき場所にスプーンの先を伏せたような白い楕円形の何かが確認されます。
 何が起きているのか分からず対処の方法も不明でしたが、二十八日の朝になると事件は唐突に終わりを告げます。ミドウィッチの人達は目を覚まし、いつの間にか楕円形の物体も消滅していました。
 火事や肺炎などで命を落とした十一人の村人を除けば、取り立てて後遺症もなく、怪事件は謎のまま終息したかに見えました。けれども、実際にはそれは恐るべき悪夢の始まりに過ぎなかったのです。
 事件から程なく、村人のうち子供の産める年齢の女性が全て妊娠していたことが判明します。女性達は当初、不義を疑われたりすることもありましたが、先の怪事件がその原因らしいと分かると、人々は村の名士ゴードン・ゼラピーを中心に一致団結して事態に立ち向かうことにします。
 やがて生まれてくる子供達。彼らは一見普通の人間のように見えましたが、人にはない異常な能力を有していたのです。
 そして……。

 本書の注目ガジェットは、ミドウィッチの子供達("the Children":Cが大文字)です。
 子供は男児三十人・女児二十八人の合わせて五十八人で、どの子も父親はおろか母親にも似ていません。皆互いにそっくりの姿をしていて、ほとんど区別が付かないようです。
 外見で最も特徴的なのは目で、虹彩が蛍光色を帯びたような独特の金色をしています。髪の毛はやや黒ずんだ金髪で、人種は判然としません。また、成長速度が極端に早く、九歳にして外見上は十六・七歳に見えるほどです。
 そうした点を除くと、肉体的にはそれほど普通の人間とはかけ離れていない模様です。自動車にはねられれば怪我をしますし、流感で命を落とす者もいます。
 子供達の超常的な部分は、その精神的側面にあります。一つは、ただ念じるだけで他者を操る能力です。たとえば、子供達が人々に対しミドウィッチから出ることを禁ずると、バスへ乗り込もうとしても体が動かず、車を運転していても足が勝手にブレーキを踏んでしまうといった具合に。
 もう一つは、子供達同士のテレパシー能力です。一人の子供が知ったことは他の子供達へ即座に伝わり、記憶が共有されます。この結果、子供達は外見上区別がつかないだけでなく、実際に内面もほぼ同一です。
 ただし、奇妙なことに男児と女児の間にはテレパシーが働かないようです。つまり、ミドウィッチの子供達は実際には五十八人の別個の人間ではなく、二人(?)の集合知性とでも言うべき存在ということになります。

 原題に示されているように、カッコウの托卵がガジェットのモチーフになっているようです。
 カッコウはツグミなどの巣に卵を産み付けるという習性があり、孵化したカッコウの雛は巣内のツグミの卵を外に捨ててしまいます。ツグミの親鳥は、自分が育てているのがカッコウだとは知らず、せっせと餌を雛に運び続ける訳です。
 ミドウィッチの怪事件は、「こうした托卵が人間に行われたら……」という思考実験になっています。親が子供に愛情を抱くというのは自然なことですが、それが誤りかもしれないというシチュエーションは正直かなり不快ではあるものの、同時に本能というものに関して考えさせられるところがあります。
 また、もう一点、取り替え子への言及も興味深いですね。日本ではあまり聞き慣れませんけど、西洋では「子供が妖精に取り替えられる」という古くからの伝承があったようです(シェークスピア氏の『夏の夜の夢』にも登場)。

 物語の構造としては、一人称の語り手たるリチャードが部外者であるために、今一つ臨場感がない点は否めません。村を離れていたことでゲイフォード夫妻はミドウィッチ怪事件に巻き込まれなかった上に、伝聞形式の情報が多いことから、出来事からやや距離を置いている感があります。
 もっとも、主人公を当事者にしてしまうと、色々な意味で生々しい部分が出てきて、お話が食われてしまうような気もします(^^;) 少し物足りない印象もありますけど、大局的な視点を持つSF作品としては妥当なスタンスかもしれません。

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