キンズマン

[題名]:キンズマン
[作者]:ベン・ボーヴァ


 本書『キンズマン』は、宇宙に心惹かれた一人の青年を描いた近未来小説です。
 年代は二十世紀後半、NASAのスペースシャトルに続き米空軍が独自の小型シャトルを開発し、ソビエト連邦と宇宙での覇権を競っている時代です。執筆以後の時代変化から、もはや厳密な意味での未来小説とは言えなくなってしまいましたが、それでも「あり得たかもしれない未来」だと感じさせてくれる骨太の世界設定ですね。
 本書で綴られるのは、ひたむきな宇宙への渇望です。周囲の人々が彼を理解せずに逃避だと非難し、それが一面の事実だと認識しつつも宇宙と月面に恋い焦がれることをやめられない、不幸な、そして幸福な男の生き様がここにあります。

 アメリカ西部、クエーカー教徒一族の裕福な家庭に生まれたチェット・キンズマンは、しかし全てを捨てて空軍に入隊しました。彼を駆り立てたのは、宇宙飛行士になるという子供の頃からの夢です。
 父親は彼が人殺しになったのだと糾弾しました。更には、士官学校に入っていたせいで母親の死に目に会うこともできなかったのです。しかし、そうしたことに傷つきながらも、キンズマンは自分が目指すのは宇宙であり、決して人殺しにはならないのだと自らに誓います。
 そして訓練過程において友情や恋愛を経験しつつ、キンズマンは宇宙飛行士としての実績を積んでいきます。やがて彼は、空軍所属の宇宙飛行士二十名の中でも優秀な伊達男として認められるまでになりました。
 ある日の深夜二時、キンズマンは非番のところを緊急で呼び出されます。ソビエト連邦が正体不明の人工衛星を打ち上げたという情報が入ったためでした。それは弾道ミサイルを撃ち落とすことが可能なビーム兵器を装備したABM衛星の可能性があり、放置すればアメリカのICBMが無力化されてしまいます。それを確かめるために、キンズマンは衛星軌道上に送られることになったのです。
 ロケットで衛星軌道へと到達後、宇宙服を着て衛星に接近した彼でしたが、時を同じくしてソビエト側も衛星に人間を送り込んできました。船外で格闘になり、相手を殺してしまうキンズマン。
 そのとき、彼が敵のヘルメットの奥に見たものは……。

 本書の注目ガジェットは、宇宙往還機です。
 前述の通り、作中の世界では米ソ対立が続いており、その競争が宇宙開発の原動力となっています。本作は元々一九六五年から一九七九年にかけて執筆されたチェット・キンズマンを主人公とする中編群を纏めたもので、当時の世界情勢を鑑みれば順当な未来予想図だったのではないでしょうか。
 宇宙開発を主導する機関としては、作中には当然NASAも登場していますが、ペンタゴン側から見るとNASAは民間人の組織であり、より軍事的な宇宙開発のために空軍は独自の宇宙船・宇宙飛行士を擁することになります。
 キンズマンが訓練生時代に使うシャトルはNASAのもので、描写から推測すると現実のスペースシャトルと同じもののようです。本書収録作の具体的な執筆年は分からないのですが、スペースシャトル・コロンビアのファーストフライト(STS-1)が一九八一年ですから、おそらく計画や試作機などを元に想像を駆使して描かれているものと思われます。
 一方、空軍の開発した宇宙船マンタは、名前の通りエイのようなデルタウイングの三人乗り小型シャトルです。固体ロケットブースターで打ち上げられ、発進決定から衛星軌道到達まで数時間というフットワークの軽さが売りです。マンタは細長いロケットの先端に取り付けられた形で打ち上げられることから、日本で検討された無人シャトルHOPEのような宇宙船でしょうか。(作中ではソビエト側もほぼ同様の宇宙往還機を開発している模様)
 また、終盤にはNASA開発の新型シャトルも登場します。下段となるリフターが上段となるオービターを背負った形で水平に離陸し、大気圏上層で分離してオービターだけが衛星軌道を目指します。到達高度などはかなり異なるものの、民間企業Scaled Compositesの宇宙船SpaceShipOneがこれに近い形のフライトを行っていますね。

 物語前半では(親子の確執などはあったものの)比較的気楽な人生を送っていたキンズマンですが、事件以後は心に傷を抱え込み、苦悩することになります。
 しかし、挫折して自信を失い、後悔の闇に溺れそうになりながらも、キンズマンの軸は決してブレません。その瞳は変わらず、宇宙そして月面へ行くことのみに向け続けられます。
 作中ではキンズマン自身が、自分と同じく月に取り憑かれた人間を“月気違い(ルーニク:"Lunik")”と呼んでいますが、彼は周囲の人々からその衝動を理解してもらえません。キンズマンは父や友人、そして空軍関係者からも逃避行動だと非難されつつ、それでも月を目指すことをやめることはできないのです。
 己が夢に人生を、そして魂すら捧げた一人の青年の、ただひたすらに熱い物語です。

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