ボシイの時代

[題名]:ボシイの時代
[作者]:マーク・クリフトン&フランク・ライリイ


 本書『ボシイの時代』は、人類の変革を促す超コンピュータ・ボシイを巡る物語を描いた、異色の社会派SFです。
 テーマとしてはボシイ関連の他に、テレパシイ能力を持つ主人公を軸とした〈ミュータントもの〉的側面もあります。とは言うものの、派手なアクションシーンがあったりする訳でもなく、どちらかと言うと地味なストーリーかもしれません。
 人の心を覗き見ることができるテレパスが主役を務めることもあって、お話は人間及び世論に対しシニカルなタッチで綴られます(メインの作者らしいマーク・クリフトン氏が、長らく身上調査を生業としていたことも影響?)。けれども、物語全体の流れとしては、それとは逆の希望が込められているというギャップが本書の魅力ですね。

 政府の要請から始まった、ホックスワース大学のサイバネティクス・プロジェクト。
 分野の垣根を越えて多数の専門家達が集まり、思考能力のあるコンピュータを作り出そうとしたこの計画は、当初は学者同士の相互不理解により頓挫すると見られていました。ところが不思議なことに、あるときを境に互いの嫉妬や偏見は捨て去られ、開発がスムーズに運び出したのです。
 その結果、入力された情報に基づきあらゆる問題の解決法を導き出すことが可能な超高性能コンピュータ、ボシイが誕生します。
 しかしながら、その存在は政府にとって望ましくないものでした。そして、政府に誘導された世論は、ボシイに対して猛反発を示すようになったのです。学者達がいくら「ボシイはただの機械に過ぎない」と説明しても、人々は納得せず、新聞はボシイを悪しき存在と断じて煽り立てます。
 そうした状況下で、計画の主導的立場にあったサイバネティクス科のホスキンズ教授と心身医学部長のビリングス教授、そして秘書の学生ジョウ・カーターが姿を消しました。魔女狩りのように人々が三人を探し求める中、彼らは浮浪者に身をやつしてスラム街に潜伏し、ボシイを独自に組み立てようとします。
 けれども、二人の教授は自分達が何を成そうとしているのかを本当には理解していませんでした。全ての中心は、世界でたった一人のテレパスであるジョウであり、ボシイのプロジェクトが成功したのも秘密裏に彼が学者達へ干渉したためだったのです。そしてジョウの望みは、彼と同じテレパシイ能力者を作り出すことにありました。
 完成したボシイは、スラム住人の老女メイベルに心身療法を施します。その結果、メイベルの肉体は若返り、そして……。
 ボシイは、果たして人類に何をもたらすのか――時代の変革が始まろうとしています。

 本書の注目ガジェットは、思考能力を持つコンピュータ・ボシイ("Bossy":雌牛あるいは仔牛の意味)です。
 その発端は政府官僚による開発命令で、飛行機の自動着陸を行うためのサーボ機構だったようです。誘導ミサイルを応用して、パイロットや地上クルーからの支配を受けず、どんな状況でも安全に飛行機を着陸させるシステムという、現実を無視したかなり無茶な要求仕様ですね(笑)
 この実現困難な命題に対し、ホックスワース大学では様々な分野の専門家を動員することになります。コンピュータや心理学だけでなく、音楽、繊維といった一見無関係なジャンルの学者まで駆り出される訳です。
 本来はそうした専門の異なる学者間で上手くコミュニケーションが取れるはずもなく、プロジェクトは頓挫するはずでしたが、奇跡的にトントン拍子で進みコンピュータが完成することになります。これはジョウがテレパシーを使い、学者達の調停を行ったためですね。
 完成したボシイはあくまで、命令に従い与えられた情報から解答を発見するだけの道具であり、自我意識を持つようなものではありません。しかしながら、二人の教授はおろかジョウすら予期しなかった思考能力の高さで、独自に多価物理学(複数の価値観を肯定する物理学?)を編み出すまでに至ります。

 さて、栄えある第二回ヒューゴー賞・小説部門を受賞した本作ですが、実のところ現在での評価は少々厳し目のようです。ヒューゴー賞受賞の最悪作品とまで評する人もいるほどです(^^;)
 批判の内容は「文章に締まりがない」/「キャラクタの性格付けが薄い」/「論理に説得力がない」といったものですが、これほど非難を浴びる最大の理由はおそらくライバルにあるのではないかと思われます。
 正確なノミネート作品は不明ですけど、前年の一九五四年に世に出たライバル作品としては以下のものが挙げられています。(敬称略)

・『鋼鉄都市』:アイザック・アシモフ
・『脳波』:ポール・アンダースン
・『重力への挑戦(重力の使命)』:ハル・クレメント
・『蝿の王』:ウィリアム・ゴールディング
・『旅の仲間』:J・R・R・トールキン
・『ラモックス』:ロバート・A・ハインライン
・『オブザーバーの鏡』:エドガー・パングボーン
・『地球人よ、故郷に還れ』:ジェイムズ・ブリッシュ
・『地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)』:リチャード・マシスン

 ものすごいラインナップですね(笑) これほどの「名作」の名に恥じぬ作品が、一九五四年に相次いで登場したことこそが真の驚きと言えるかもしれません。一九五〇年代がSF黄金時代であったことに改めて気付かされます。
 この並み居る強豪を抑えて栄冠を手にした傑作、と言うには少々力不足に思えるのも確かなのですが(^^;)、個人的にはそこまで悪い作品ではないと感じます。エンターテイメントとしては十分に魅力的な展開ですし、提示される未来はやや安易ではあるものの爽快な印象です。

 作中ではスーパーコンピュータ・ボシイが人類を新たなステージへと誘いますが、現実においても誰もが安価に超高性能コンピュータを手に入れられる時代となりました。もっとも、我々の目前にある機械は無謬とはほど遠い存在ですし、テレパシーや不老不死をもたらしてもくれませんけど(笑)、それでも以前では想像もつかない情報処理能力を個々人が手にしているのは間違いないでしょう。
 そうした、便利ではあるもののあくまで道具に過ぎないコンピュータを、私達は何に使うべきなのか――本書にある通り、それは人類に与えられた挑戦なのかもしれません。

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