虚空のリング

[題名]:虚空のリング
[作者]:スティーヴン・バクスター


※このレビューには『時間的無限大』のネタバレがあります。ご注意ください。

 本作は超ラージスケールの宇宙史〈ジーリー・シリーズ〉を構成する作品の一つで、中でも物語の根幹に関る重要なエピソードです。歴史のタイムライン中で一番最後の時代が描かれることになります。ストーリーは『時間的無限大』の事件直後(過去側)から始まるため、できればこちらを先に読んでおくのがお勧めです。
 シリーズ名に載かれている通り、〈ジーリー・シリーズ〉世界を代表する存在が超越種族ジーリー("Xeelee")です。各エピソード中には人類を含め様々な知的生命体が登場しますが、その全てに対して比較にならないほどの遥かな高みに到達した、バリオン世界の王("The Baryonic Lords")と呼ばれる種族ですね。ジーリーは超絶テクノロジーを持ち、壮大なスケールのプロジェクトを押し進めていますが、その姿は謎に満ちています。
 人間の理解が及ばない超越者として描かれてきたジーリーですけれども、その謎めいた行動の目的が本作で明らかにされます。それは二百億年、更には時間を超えて繰り広げられた、不倶戴天の宿敵との生き残りをかけた戦いの歴史だったのです。

 千五百年先の未来へと通ずる時空の抜け道、ワームホール・インターフェースがマイケル・プールによって破壊された後――。
 プールの乗るスプライン船が時の彼方へ消える瞬間、わずかながら更に先の未来に関する情報が観測から得られました。その結果、(天文学的視点で)わずか数百万年後に宇宙は冷えきってしまうらしいことが判明します。本来ならば、太陽のような主系列星は百億年もの寿命を持ち、宇宙から明るい星々が消え去るのは遥か未来のことだと考えられていたのですが、それよりもずっと早く宇宙の終焉が訪れるというのです。
 人類の永続を願う宗教団体スーパレットは、これに対し二つのプロジェクトを押し進めます。一つは、マイケル・プールが〈コーシー〉号で行ったのと同じことをより大規模――五百万年未来への旅行を、ウラシマ効果で千年に圧縮――に行うことでした。人間そのものを遠未来に送り込み、同時に五百万年の長さのタイムトンネルを作り出そうという計画です。
 そしてもう一つは、太陽を老化させている原因の追及でした。
 ナノマシンを注入されて誕生した少女リゼールは、生まれ落ちたその瞬間から大人に匹敵する知識と知能を有していました。AS(非老化)テクノロジーの恩恵で人類が不老不死を得た時代に、リゼールは逆に一日で一年相当の老化を繰り返し数ヶ月で老衰してしまうという、それは非道の計画だったのです。人並みの人生が奪われたことを悲しみつつも、リゼールは肉体が滅ぶ前にバーチャル(コンピュータ上の仮想人格)と化し、太陽内部を探るインターフェースに意識を同化させました。
 太陽内部を観測するうちに、リゼールは暗黒物質が科学的予想以上の規模で太陽から熱を奪っていることを知ります。長い年月の後リゼールは、その暗黒物質が実は生命体であることに気付くのです。彼女はその生命体をフォティーノ・バードと名付けました。
 時は流れ去り、遥かな未来――人類が死に絶えた五百万年後の太陽系にて、帰還した宇宙船〈グレート・ノーザン〉とリゼールは邂逅を果たします。そして一行は、全ての鍵を握るだろう超越種族ジーリーに会うべく、彼らの推し進める超巨大プロジェクト〈リング〉がある銀河の彼方を目指して出発します。

 本書の注目ガジェットは、フォティーノ・バード("Photino birds")です。
 天文学における銀河の観測結果から、私達の住んでいる宇宙は恒星や星間ガスといった目に見える物質を合計したよりも遥かに重い質量を有するらしいことが判明しています。この見えない質量の元となるものを、暗黒物質(ダークマター)と呼びます。暗黒物質の候補はいくつかあるものの(ブラックホール、ニュートリノ等々)、現実の宇宙物理学ではまだ明白になっていないようです。
 作中では、暗黒物質の正体は超対称性理論から予言される超対称性粒子、光子(フォトン)の鏡像であるフォティーノだとされています。フォティーノは、通常物質(バリオン)とは重力以外では相互作用をほとんど起こさず、この結果通常物質と暗黒物質は宇宙の同じ場所を占めながらも互いにほぼ関わりを持たない世界を形成しています。しかしながら、全くの無関係ではない点が悲劇を生むことになります。
 フォティーノ・バードはその名の通りフォティーノで形作られた生命体で、四十数メートルほどの長さのレンズ状をしているようです(間接的にしか見えないので詳細不明)。その生態はほとんど明らかにされず、単一種なのか複数の種があるのかも不明です。知性の有無も明示されていませんけれど、ジーリーと互角以上に渡り合うことから、おそらくは相当に高度な科学知識を有しているものと思われます。
 フォティーノ・バードはそのライフサイクル中に大きな重力井戸を必要とし、通常物質の密集した恒星中心を活用しています。彼らにとって超新星爆発はカタストロフであるため、全宇宙・全銀河中に存在する恒星全てに対し超新星を起こさないよう意図的に老化させる(!)という超々巨大プロジェクトを実行することになります。これこそが、宇宙が冷えつつある原因です。
 バード達は必ずしも宇宙を滅ぼす邪悪な種族ではなく、そもそもジーリー以外のバリオン生命体の存在を知らない節があります。リゼールに気付き彼女を助けようとしたらしい場面もあり、本来は温和な生命なのかもしれません。けれども作中では、バリオン生命とフォティーノ・バードは本質的に相容れない存在として、両者の対決は避けられない運命にあります。
 フォティーノ・バードがバリオン種族の脅威となる最大の理由は、恐らくその個体数ではないでしょうか。全宇宙の恒星を老化させてしまうということは、本当に文字通り星の数ほど(おそらく数桁上)存在するものと目されます。
 つまり、〈ジーリー・シリーズ〉宇宙の本当の主は超種族ジーリーではなく、無論地球人類でもなく、フォティーノ・バードだった訳です。

 真打フォティーノ・バードの登場により、〈ジーリー・シリーズ〉の奥に秘められた真の歴史が明らかになります。作中の宇宙は、バリオン世界の王ジーリーと暗黒物質生命フォティーノ・バードによる、生き残りをかけた戦いの舞台なのです。
 我々になじみ深い恒星が輝く宇宙はフォティーノ・バードにとって暮らしにくく、逆にバードにとって快適な冷えきった宇宙ではバリオン生命は生きられません。宇宙を改造しようとするフォティーノ・バードと、それに対抗しようとするジーリーは、銀河や宇宙ひもを互いの武器とした空前絶後の戦争を繰り広げています。
 そして、両種族の戦いの中心となるのが、ジーリーが建設した銀河規模の構造物〈ボールダーのリング〉です(ボールダーは接近調査した人物の名前)。一九七〇年代以降、我々の銀河から数億光年離れた場所にある何かが周囲の銀河を重力で引き寄せているらしいことが分かり、この重力異常はグレート・アトラクターと名付けられました。作中では、ジーリーの〈リング〉こそがグレート・アトラクターの正体なのだとされています。銀河を引っ張るほどの大質量構造物というのは、ちょっと度肝を抜かれますね(^^;)

 一方、この二種族に比べ地球人類は矮小な端役です。百万年の苦労の末、遂にジーリーに次ぐ存在となりながら、見当違いかつ無謀にもジーリーに戦いを挑んで滅ぼされるという愚かしさが人間らしいと言えるでしょうか。(地球人がどこまでも人間臭さを引きずるという構図はシリーズ各所で見られ、隠れたテーマなのかもしれません)
 物語はリゼール視点に加え、宇宙船〈グレート・ノーザン〉の乗員視点でも描かれますが、たった千年(笑)の航海で内乱や文明退行が起きるなど、やはり人間的弱点から脱却できないようです。
 こうした要素が諦観と無力感を強く醸し出し、本書の魅力の一つとなっています。壮大なスケール感と相まって、読後はしばし呆然となること請け合いです。

この記事へのコメント

  • nyam

    暗黒物質は通常物質とほとんど相互作用しないのに、超新星爆発はだめですか? うーん?
    グレートアトラクターは宇宙の死を加速しない? うーん?
    時間旅行できるなら、フォティーノバードは除去できない? うーん?

    わからんことだらけですが、本編で出てくる長寿法は少子化→平均寿命の上昇と関係ありますか?
    2010年06月09日 22:43
  • Manuke

    フォティーノ・バードに関しては色々と謎のままですね。なにしろフォティーノ・バード自体が観測困難な上に、もう一方の当事者であるジーリーが劇中に姿を見せませんから。
    (仮にフォティーノ・バードが重力井戸を必要としなくなれば……というのは、別のエピソードのネタになっています)

    グレート・アトラクターはあくまで数億光年程度の局所的(^^;)重力異常ですし、宇宙全体の寿命にはそれほど影響を与えないんじゃないかと思います。
    ただ、フォティーノ・バードが〈ボールダーのリング〉を攻撃したのはそれが理由なのかもしれないですね。安定した宇宙を望む彼らには邪魔な存在だったのかも。

    ASテクノロジーは、リゼールの老化加速に使われたナノボットと同系統のものを人体に注入し、逆に老化を食い止めるようです。ただ、完全に若さを保つという訳には行かないらしく、千年も生きると味覚が消滅したりと色々な不都合が発生しています。
    個人的には、リゼールのようにバーチャルになってしまった方が気は楽そうです。:-)
    2010年06月11日 01:21
  • nyam

    >あくまで数億光年程度の局所的(^^;)重力異常

    うーん、まいりました。規模が大きすぎて想像がつきません。

    >ASテクノロジー
    ではなく、宇宙船の中で行われていた長寿法です。結婚年齢をどんどん遅らせるというものです。なんとなく日本の状況と似ているような気がして...。

    あと、シルバーゴーストのシリーズも刊行されると良いですね。
    2010年06月11日 21:07
  • Manuke

    あ、ごめんなさい。ウヴァロフの行った方ですね。
    晩婚化が進むと、確かにシチュエーションはちょっと似ているかも。ただ、作中のように優生学的な強制はありませんから、強い淘汰圧にはならないように思います。
    いずれにしても、遺伝子に影響が出るのは少なくとも何万年も先の話でしょうし(^^;)
    2010年06月12日 01:04
  • 恒星が冷えて困るのは現代の地球レベルの文明からダイソン球に依存した文明までじゃないかな。
    ジーリー級の技術があれば冷えた恒星から必要な資源を汲み出して質量エネルギー変換するほうが、出力調整の効かない天然恒星の核融合エネルギーをあてにするより、かえって便利かつ省エネで、バリオン生命にとっての宇宙の寿命が伸びる気がする。
    2013年02月02日 04:34
  • Manuke

    ジーリーぐらいだと、縮退炉ぐらいお手のものっぽい気がしますしね(^^;)
    ただ、展開に沿って考えると、ジーリーはもっと更に未来、それこそ『時間的無限大』の未来の果てすら見据えてそうですから、「ちょっとぐらい」(笑)寿命が延びる程度じゃ満足できないのかもしれません。
    時間的な限界の存在しない、定常宇宙論的な世界を目指していたのかも。
    (若干『タイム・シップ』も入ってます(^^;))
    2013年02月03日 00:31
  • RAS

    ニーヴンのリング・ワールド、堀晃のバビロニア・ウェーブ、小林泰三のパーセク・マシン等々、SF作家は(そしてファンも)超巨大構造物が大好きですよね。
    2013年06月30日 19:08
  • Manuke

    やっぱり超巨大な人工物はロマンですから。:-)
    ダイソン球殻のように存在自体が他の星から観測可能な構造物があれば、周囲の知的生命体の文化に影響を与えそうに思います。ジーリーぐらい圧倒的存在だと、厭世的になってしまいそうですが(^^;)
    2013年07月01日 00:31

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