神の鉄槌

[題名]:神の鉄槌
[作者]:アーサー・C・クラーク


 巨匠アーサー・C・クラーク氏はあまり続き物を書かれない作家さんで、その著作は数多いにも拘らず、舞台世界を共有している作品がほとんどありません。その時々に盛り込みたいことを優先していたそうなので、あまり物語としてのバックグラウンドには注意を払われなかったのかもしれませんね。
 しかしながら、作品の枠を超えて複数のお話に登場する共通設定もいくつかあり、その一つが〈スペースガード〉です。
 初出は『宇宙のランデヴー』(一九七二年)で、隕石落下による大災害の教訓を得て設立された、地球近傍の天体を監視する組織です(監視の副産物として、太陽系へ来訪した人工天体ラーマを発見)。また、氏の最後の作品『3001年終局への旅』(一九九七年)にも登場し、ここでは宇宙を漂うフランク・プールを見つけます。いずれも、本来の業務とは別のものを発見している訳ですね。:-)
 さて、地球へ衝突する小惑星を描いた本作『神の鉄槌』(一九九三年)では、〈スペースガード〉の本分で活躍――とはいきません。不幸な偶然により、〈スペースガード〉は監視すべき相手を見逃してしまうのです。ストーリー上の都合もありますけど、天体の軌道予測がいかに難しいものなのかを改めて考えさせられます。

 時は二一〇九年末。人類が宇宙へ進出し、月や火星へ植民するようになった時代です。
 火星に住む医師でアマチュア天文家のアンガス・ミラーが、一つの小惑星を発見しました。ほとんど手作りの道具しか持たない彼が地球のライバル達に先んじることができたのは、火星という地の利に加え、悪運とも言える偶然が重なったためでした。
 その小惑星は、表面が煤まみれで非常に暗く、かつ地球から見て長らく天の川の中に隠されていたのです。ミラー医師はたまたまそれが空の暗い領域へ差し掛かったところを観測し、発見に至ります。
 発見者であるミラー医師は、近々生まれる予定の娘の名前をその小惑星に付けようと考えていましたが、その望みは叶えられませんでした。何故なら、その天体は一年を待たずして地球へ衝突することが程なく判明したからです。
 アステロイドは破壊の女神カーリーの名を与えられ、その危機に対処すべくロバート・シン船長の率いる宇宙船〈ゴライアス〉がそこへ向かわされることになりました。もしカーリーが地球へ落下すれば、地上にいる人類がほぼ全滅という大災害を引き起こしてしまいます。発見が遅れたため、とにかく時間との勝負です。
 〈ゴライアス〉は木星の衛星エウロパで水素を補給後、カーリーへと接近し、その上にマスドライバー『アトラス』を設置しました。『アトラス』はロケットのお化けで、カーリーに与える加速は小さいものの、長期間に渡って稼働し続けることができます。これにより、カーリーの軌道は地球から逸れる――はずでした。
 しかし、ここで誰も予想していなかったことが起こります。それは、カーリーを「神の与えたもうた試練」と考える狂信者の仕掛けた破壊工作でした。
 果たして地球の運命やいかに。

 本書の注目ガジェットは、小惑星カーリーです。
 カーリーはピーナツの殻型をした、最大長千二百九十五メートル、最小幅六百五十六メートル、質量二十億トンのアステロイドです。表面は黒い煤で覆われており、このせいで発見が困難になったとされています。
 外形をイメージしてみると、惑星探査機はやぶさの調査で有名になった小惑星イトカワを三倍ほど拡大(質量比では約五十七倍)した感じでしょうか。
 カーリーが地球へ落下する際のエネルギー量は、TNTの爆発力に換算して二兆トン、広島に投下された原子爆弾の十億倍とされています。
 ちなみに、六千五百年前に地球へ落下して恐竜を絶滅させたと言われる隕石は、推定される直径十キロメートル、エネルギーはTNT換算でおよそ百兆トンと考えられています。それに比較すれば少々規模は劣るものの、いずれにせよ地球規模の超巨大災害であることには違いありません。
 作中の時代である月や火星に植民が行われたような未来に「カーリーのような小惑星が未発見のままということがあり得るだろうか」と、疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。けれども一説には、カーリーと同等の一キロメートル級小惑星は何百万個もあるだろうと言われています。しかも、小惑星は他の天体の引力に強く影響され、軌道が安定しません。
 どれだけ科学が進歩しても、全小惑星の厳密な軌道予測は非常に困難な訳ですね。

 「地球へ落下する小惑星」という〈パニックもの〉的な題材を扱いながらも、本書では地球上の出来事の描写が全くと言っていいほどありません。パニックが起きているらしいことがわずかに触れられているのみで、破滅に瀕した人々が何を感じ、どう行動したのかという物語的な側面はばっさりカットされています。小惑星落下というガジェットに特化した、クラーク氏らしい作品と言うべきでしょうか(^^;)
 もっとも、作品が鳥瞰視点でのみ進行するということではなく、ロバート・シン船長の半生を振り返る部分にも大きくページが割かれています。作中の未来がどんな世界なのかが、シンの歩んできた道のりを通じて読者に提示される形です。
 この未来では、人間の脳に直接情報を送り込む〈ブレインマン〉と呼ばれる装置が発明されており、現実と比べて遜色のない仮想現実が実現しているようです(この装置のために、多くの人間は剃髪している模様)。便利そうな道具ですが、これを活用する宗教が登場している辺りは皮肉です。

 天が落ちてくることを心配した杞国の人の話が『列子』にあり、この故事から「杞憂」という言葉が生まれたとされています。この方は諭されて安心したそうですが、実際のところ隕石が大災害をもたらす確率は想像よりもかなり高いようです。
 一九九四年、木星へシューメーカー・レヴィ第九彗星が衝突するという天文イベントが起きました。このときのエネルギーはTNT換算で六兆トンとのことです。もちろん、木星は地球よりずっと大きいサイズですから一概には同一視できないものの、人類が天体観測を始めてから(「天文学的」には(^^;))それほど時間が経過していないにも拘らずこうした事件を目撃することになったという点は、なかなかに興味深いです。
 一方で一九九二年、NASAは米連邦議会の要請により、小惑星落下の危険性と地球近傍天体の監視を纏めた"The Spaceguard Survey"(『スペースガード調査』)という報告書を提出しています(この報告書冒頭にクラーク氏と『宇宙のランデヴー』への言及あり)。また、国際天文学連合における話し合いの結果、一九九六年にはスペースガード財団が現実に設立されることになりました。SFが現実になったものの一つであり、クラーク氏の慧眼には「さすが」と言わざるを得ませんね。

この記事へのコメント

  • X^2

     2029年に地球に衝突するのではと言われた小惑星Apophisは、その後の軌道計算で少なくとも2029年の接近では衝突しない事が確実になりましたが、その後の軌道は予測困難という事です。一説によると、2029年の接近時に静止衛星の幾つかと衝突し、それによってわずかに軌道が変わるために、その後の接近で地球衝突の可能性があるとか。
     このクラスの小惑星の場合は、人工衛星クラスの物体との衝突でも、長期的には無視できない軌道の変化が起こるようですね。
    2010年02月27日 18:03
  • Manuke

    最近だと、小惑星2010 AL30のニアミスがありました。小さなものだと見逃す可能性も高くなりそうです。
    アポフィスの場合はTNT換算で五億トンとのことですから、人類滅亡とは行かずとも相当な被害が予想されますね。
    本書のように、発見が遅れるようなことがなければいいのですが……。
    2010年02月28日 01:14
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