スは宇宙(スペース)のス

[題名]:スは宇宙(スペース)のス
[作者]:レイ・ブラッドベリ


 叙情的な筆致で物語を紡ぐ、SF界きっての詩人ブラッドベリ氏の短編集です。
 本書の原題は"S Is for Space"で、別の短編集『ウは宇宙船のウ("R Is for Rocket")』と対をなすものですね。ただ、邦題はフリガナがないと収まりが悪いので、あまり良い訳とは言えない気がします(^^;) 「ロケット」の訳語に「宇宙船」を使ってしまったため、もう「ウ」が使えないのは仕方のないところですが……。
 作品の傾向として、『ウは宇宙船のウ』はロケットや宇宙を題材としたお話が多かったのに対し、本書ではややファンタジー/ホラー寄りの印象があります。作品を通じて、ブラッドベリ氏の価値観が訴えかけられているのも興味深いところです。

◎さなぎ

 外科医のロックウェルは、同じ医師のハートウェイに請われて奇病の患者スミスを診察します。スミスの全身は緑色のかさぶたに覆われ、一見もはや呼吸もせず心臓も動いていないように思われました。
 ところが、スミスの心臓は三十五秒に一回という非常に遅いペースで鼓動していたのです。変わり果てた姿ではあるものの、スミスは確かに生きていました。
 ロックウェルは推測します――この強固なかさぶたはさなぎなのではないか、この下でスミスは何か人類とは別の存在に生まれ変わろうとしているのではないか、と。

◎火の柱

 ウイリアム・ラントリーが墓の中から蘇ると、そこは二三四九年の世界でした。
 この時代では、もはや人々は迷信を信じなくなり、ホラーやファンタジーのように低俗なものは忘れ去られています。そして邪魔な墓場は次々と掘り起こされ、死体は焼却塔で焼かれて灰になっていました。
 最後の死者であるラントリーはそれを憎悪しました。そして、巨大な焼却塔を破壊して大惨事を巻き起こし、自らの僕を生み出そうと目論みます。

◎ゼロ・アワー

 モリス夫人の娘のミンクは、新しい遊びに夢中でした。ドリルという名前の相手と一緒に、異星人が地球を侵略する『侵略(インヴェーション)ごっこ』に興じているらしいのです。
 モリス夫人は自分が子供の頃もそうした「ごっこ遊び」に夢中になったことを思い返し、微笑ましく思いつつも娘を見守ります。
 ところが……。

◎あの男

 ハート船長の乗るロケットが無名の小惑星に着陸したにも拘らず、その都市の住人は誰一人として出迎えようとはしませんでした。憤慨した船長は部下のマーティンを町へ送り込みます。
 やがて戻ってきたマーティンは、酷くショックを受けた様子でした。都市の人々がロケットに興味を示さなかった理由は、その直前に「あの人」が町を訪れていたからだったのだ、とマーティンは報告します。

◎脱出する者の時間

 フィールズ先生に引率され、タイム・マシンで一九二八年のイリノイ州へとやって来た三人の子供達。それは、過去の野蛮な風習を教える為の授業でした。
 恐ろしげなサーカスや、両親が子供を育てるという奇妙な光景を目にして、彼等は目を丸くします。けれどもフィールズ先生の思惑に反し、子供達は過去の風習に惹かれ始めてしまうのでした。

◎孤独な散歩者

 二〇五三年のある日、レナード・ミード氏は一人夜道を散歩していました。
 月光の下、夜八時の路地には他に誰の姿もありません。それどころか、車すらも。皆は家に引きこもり、今頃はテレビに釘付けなのです。

◎別れも愉し

 ウイリーは、三年の間暮らしてきたイリノイ州フォックス・ヒルに別れを告げることになりました。近所の人々が、ウイリーが成長しないことを噂し始めた為です。
 十二歳の少年にしか見えないウイリーは、実のところ四十三歳でした。彼は子供のいない夫婦の家へしばし厄介になっては、数年後に別れを告げる、そんな生活をずっと繰り返してきたのです。

◎透明少年

 チャーリー少年の家族が彼一人を残して遠くの町へ出かけた後、チャーリーは遠縁の親戚である老婆の下へ遊びにきていました。
 老婆は様々な魔法を使う隠者で、それまで一人で暮らしてきました。しかし、老婆はチャーリーがそばにいてくれることをありがたく思うようになり、彼を引き止めるために、姿が透明になる魔法をチャーリーに施します。
 けれども、老婆には本当は魔法の力などなかったのです。透明になったことを喜ぶチャーリーに対し、老婆は少年の姿が見えない振りをし続けます。

◎ぼくの地下室においで

※『よろこびの機械』収録の『少年よ、大茸をつくれ!』と共通。

 ヒュー・フォートナムが土曜の朝に目を覚ますと、隣家のグッドボディ夫人が騒ぎ声を挙げていました。彼女は噴霧機から殺虫剤を生垣に振りまきつつ、空飛ぶ円盤の進攻を防いでいるのだと彼に告げます。賢いはずのグッドボディ夫人も老齢のせいで理性が衰えてしまったのかと、フォートナムは憂鬱な気分になりました。
 そのすぐ後、彼の家に速達小包が届けられます。それは息子のトム宛ての、きのこを自家栽培するためのキットでした。蛙や蛇よりはましだと妻のシンシアは言いますが、危険なものではないのかと案じている様子でした。
 昼近くになってフォートナムがマーケットへ行く途中、高校の生物学教師で友人のロジャー・ウイリスと出会います。ロジャーはフォートナムに、理由は分からないものの、何か前代未聞のことが起こりつつあるという予感を打ち明けました。フォートナムはロジャーが疲れているだけだと諭しますが、そうではなかったのです。
 その日の夕方、フォートナム家にロジャーの妻ドロシーから怯えた声で電話がかかってきます――ロジャーが家出してしまったと。

◎遠くて長いピクニック

 トマス一家はロケットで地球を離れ、火星へ魚釣りにやってきました。
 二人の弟は無邪気に喜んでいたものの、兄のティモシーは両親が時折見せる深刻な様子に気付いていました。けれども、心配させないようティモシーも明るく振る舞います。
 一家の乗るボートが水をたたえた運河へ出発した後、火星へのロケットが爆破されました。後からやってきた者に彼等が発見されることがないよう、パパがそう仕組んだ為です。
 それは後戻りのできない、長い長いピクニックの始まりでした。

◎泣き叫ぶ女の人

 十歳の少女マーガレット・リアリーは店でアイスクリームを買った帰り道、空き地を通りました。すると、地面の中から女の人の叫び声が聞こえてきたのです。
 それは自分を掘り出してくれるよう懇願する女性の声でした。マーガレットは大急ぎで家へ帰り、両親に状況を説明しますが、二人はそれがマーガレットのおふざけだと思い信じてくれません。
 マーガレットはようやくパパを説き伏せ、空き地へと連れて行ったものの、地中から声は聞こえてきませんでした。パパは興味を失い、家へ帰ってしまいます。
 しかし、パパが立ち去った後、再び悲鳴が聞こえてきたのです。

◎微笑

 核戦争で文明が滅びた未来。年は二〇六一年と言われているものの、それが本当かどうか知る者もいません。
 村では、祭りの日に過去の文明の遺物が晒され、村人はそれを破壊して憂さを晴らすということが行われていました。人々は過去の文明を動かしていた者達を憎んでいたのです。
 そしてその日の祭りで、トム少年の目の前に晒されたのは――美しい笑みを描いた一枚の絵でした。

◎浅黒い顔、金色の目

 ビタリング一家とその仲間達は、原子爆弾で破滅しつつある地球を逃れ、火星へとやってきていました。やがてラジオのニュースで、ニューヨークに爆弾が投下され、他のロケットは全て壊滅したとの知らせが入ります。
 独力で火星を開拓していくことを強いられた彼等。しかし、ある日ビタリングは気付きます。地球から持ってきた作物の姿がおかしいことに。牛の頭に三本目の角が生えてきたことに。
 そして、自分達の容貌すら変化しつつあることに。

◎市街電車

 その日は電車の最後の運転日でした。トロリー電車は遅過ぎるからと、バスに取って代わられることになったためです。
 運転手のトリンデン氏は、通りの中ほどで電車を止め、辺りの少年少女達に声をかけます。今日が最後の運転だから、誰でも無賃乗車でどうぞ、と。

◎飛行具

 西暦四百年のお話です。
 ある朝、ヤン皇帝の下に従者の一人が大慌てでやってきました。人間が空を飛んでいるというのです。
 半信半疑ながらヤン皇帝が案内をさせると、確かに一人の男が紙や竹でできた翼をつけ、高笑いを挙げながら空を飛んでいました。

◎イカルス・モンゴルフィエ・ライト

 月ロケットの初飛行を控えた前の晩、ロケット操縦士のジェデディア・プレンティスはある夢を見ました。
 それは大空へと無謀かつ果敢な挑戦を続けた先達の夢でした。夢の中で彼はイカルスに、モンゴルフィエに、そしてライト兄弟になって空を目指します。

 収録された短編のうち、『遠くて長いピクニック("The Million-Year Picnic")』は連作短編集『火星年代記』にも収められています(最終エピソード『二〇二六年十月 百万年ピクニック』)。繊細で穏やかな火星人とその生き方を描いた、一連の作品群ですね。
 また、『浅黒い顔、金色の目』も同じ世界観を共有しているようです。オリジナルである一九五〇年版『火星年代記』には含まれないものの、二〇〇五年版では追加分として収録されています。(『遠くて長いピクニック』と内容が若干矛盾するような気も(^^;))
 個人的なお勧めは、SFホラー『ぼくの地下室においで』です。侵略テーマSFでありながら具体的な異常場面は登場せず、ともすればフォートナムの気の迷いと解釈することもできます。じわじわと密かに日常が侵されていく様が秀逸です。

 先の『火星年代記』二作を含め、本書の収録作には伝統的価値観の肯定と現代文明への批判(特にテレビ)という傾向があるように思われます。いくつかの未来描写では、名作『華氏四五一度』を思わせる状況が設定されているのも興味深いところです。(『火の柱』にある火葬への嫌悪感は、現代日本人には少々ピンと来ませんが(^^;))
 ロケットやタイムマシンのように未来的なものと、一九二〇年代頃の古き良きアメリカのようにノスタルジックなものといった、一見すると相反するようにも思えます。けれどもその両者への深い愛情は、おそらくブラッドベリ氏の少年時代を通じて結びついているのでしょうね。

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