ミクロの決死圏

[題名]:ミクロの決死圏
[作者]:アイザック・アシモフ


 一九六六年に公開された人体内探検の名作SF映画『ミクロの決死圏』のノベライズ作品です。
 作者がSF界の重鎮であることに加え、本書の刊行が映画公開より半年前だったこともあり、本書が映画の原作であるとの誤解を受けることもあるようですが、あくまで映画の脚本が先で、小説版はそれを元に書かれたものですね。小説化にあたって若干のキャラ付けやエピローグの追加等は行われているものの、大筋は映画と同じストーリーです。
 しかしながら、ハイスピード展開のせいで説明不足になっている部分、そして映画の中に登場する非合理的な部分に関して、原作の味わいを損なわないようにフォローがなされているのは見事です。また、白眉となる幻想的な人体内の情景描写に関して、映画にはビジュアル面で及ばないものの(当然ですね(^^;))、その分丁寧かつ正確な解説により読み応えのある内容になっています。生化学者でもあるアイザック・アシモフ氏の面目躍如と言えるのではないでしょうか。

 時は冷戦時代、アメリカとソビエトが互いを敵とし、対立している状況です。
 ここで、チェコの高名な科学者ヤン・ベネシュ博士がアメリカに亡命しました。優秀な秘密情報部員チャールズ・グラントに守られ無事にアメリカへ到着したベネシュでしたが、安全な場所へ向け車で移動中、体当たりで突っ込んできた妨害者の乗る車と衝突事故を起こし瀕死の重傷を負ってしまいます。
 一方、一仕事を終えて休んでいたグラントに、突如として司令部へ来るよう命令が下されます。シャワーを浴びる暇もなく連れ出された彼は、CMDFなる謎の組織へ到着しました。そこでグラントはアラン・カーター大将から、ベネシュが重体になっていること、脳血腫の治療の為に彼の力が必要なのだと言い含められます。
 脳外科に知識がある訳でもないグラントは混乱しますが、CMDF医学部長マイクルズ博士がその理由を説明しました。CMDFとは綜合ミニアチャー統制軍の略であり、人間を縮小する技術を極秘裏に開発中なのだと。その技術を利用して、原子力潜航艇プロテウス号に乗り込みマイクロメートル単位まで縮小し、ベネシュの体内から治療を行うのがオペレーションの目的だったのです。
 縮小のタイムリミットはわずか六十分。それを過ぎればプロテウス号一行は再び元の大きさへと戻ってしまい、ベネシュも(おそらく乗組員も)死亡してしまいます。グラントはそんな恐ろしげな作戦はご免被りたいところですが、一介の諜報員である彼に選択権はありませんでした(^^;) その彼に追い討ちをかけるごとく、マイクルズは妨害工作の可能性を口にします。乗組員の中に敵の手先が紛れ込み、ベネシュ蘇生を邪魔しようとするかもしれない(とカーター大将が考えているだろう)と言うのです。
 かくして、行動方針決定者兼無線係のグラント以下、プロテウス号設計者でパイロットのウィリアム・オーウェン大佐、生理学者で神経質なマイクルズ博士、脳外科医で変人のピーター・ローレンス・デュバル博士、そしてデュバルの美人助手コーラ・ピータースンら五名による、奇妙で幻想的なミクロ潜航作戦が開始されます。彼等はまだ、その行く手に待つ数々の困難を知りません。

 本書の注目ガジェットは、物質縮小技術です。
 文字通り物質を小さく縮めてしまうというもので、プランク定数が変化することで物体を構成する原子そのものが小さくなるとのことです。縮小にはタイムリミットが存在し、縮小率が大きくなる程その時間は短くなってしまいます(ベネシュは縮小状態を無限に維持する方法を携えて亡命したのですが、彼の命を救わない限りその知識は得られない訳です)。また、これは小説版のみの設定のようですが、縮小されたプロテウス号内では外よりも時間の流れが速くなります。
 この物質縮小に関して、原作映画にはいくつか疑問に感じる箇所がありますけど、アシモフ氏はそれらに関しても解決方法を提示してくれます。
 そのうち一つは、プロテウス号のバラスト内空気が漏出してしまい、肺から空気を補給する場面です(縮小していない空気は取り込めないのではないか、漏出した空気は復元時ベネシュの肉体を傷つけないのか等)。説明を付け加えることで、上手く問題を回避しています。
 もう一つは、ネタバレになってしまうので詳細は避けますが、終盤のプロテウス号本体に関する部分です。これは映画とは若干食い違ってしまう部分なのですけど、非常にエレガントな解決策ですね。
 その他、本作中では縮小技術を使い、無人のロボットに体内のケアを行わせるという案が登場しています。医療用ナノマシンを先取りしたアイディアに感じられますが、サイズ上の制約で複雑な構造が困難な本来のナノマシンに対し、縮小されたロボットは何でもありです。惜しむらくは、縮小技術が架空のもので、実用化される見込みがない点ですね。:-)

 映画のノベライズというものは完全なオリジナル作品よりも低く見られがちですが、本書はそうした偏見を跳ね返すのに十分な良作小説です。
 元々、原作映画自体が評価の高い作品であるのに加え、巨匠アイザック・アシモフ氏が緻密にフォローし(ブラウン運動への言及はさすがです)、かつ豊富な人体・免疫機構の知識に基づいた解説を加えることで、単独のSF小説としても通用するレベルに達しています。
 ただ、原作付きということで、アシモフ氏としては今一つ自分の作品だと感じられない部分があったようです(「タフでハンサムな腕利きスパイ」というのはアシモフ作品らしからぬ主人公かも(笑))。この辺りの鬱憤は、二十年後に執筆された(続編ではない)オリジナル小説『ミクロの決死圏2』で晴らされることになります。

この記事へのコメント

  • nyam

    こんにちは。
    この作品はなんといっても題名が良いですね。「決死圏」ですか。造語?
    実は映画しか見ていないのですが、強い印象を受けました。例えば、肺には岩石のようなタバコのやにがごろごろしてました。
    わたしが喫煙しないのはこの映画のせいでは?と思っています。
    2009年09月05日 21:14
  • Manuke

    原題は"Fantastic Voyage"ですけど、邦題の方がインパクトがありますね。
    レビュー前に映画も見直したんですが、やっぱり名作だと思います。さすがに特撮技術は劣るものの、このくらいSF的設定が活きている映画って滅多にないんじゃないかと。

    > わたしが喫煙しないのはこの映画のせいでは?と思っています。

    分かります。自分の肺の中があんな状態だったらと思うと……(^^;)
    教育的効果も侮れないですね。
    2009年09月06日 00:06
  • ホンダ アシモ
    2009年10月07日 21:17

この記事へのトラックバック