高い城の男

[題名]:高い城の男
[作者]:フィリップ・K・ディック


 本作は鬼才P・K・ディック氏による、我々の知る歴史とは異なる世界の有様を描いた〈歴史IFもの〉です。
 過去の出来事を振り返ってみたとき、人はしばしば「もし、あのとき別の選択がおこなわれていたらどうなったのか」と感じることがあります。残念ながら「歴史にIFはない」という言葉で言い表される通り、本当の意味で「別の歴史」のありようを知ることはおそらく不可能でしょう。
 けれども、物語という枠組みの範囲であれば、そうした制約に囚われる必要はありません。これが〈歴史IFもの〉と呼ばれる小説群で、一応SFのサブジャンルになるものですね。物語によってはパラレルワールドや時間旅行といったガジェットと結びつけられることもありますが、いわゆる「SFらしさ」は薄いものが多いようです。
 本作で描かれるのは、〈歴史IFもの〉の中でも特に人気の高い「第二次世界大戦で枢軸国側が勝利した世界」です。これが現実にあり得た世界かどうかという点には少々疑問符が付きますけど(^^;)、それでも密度の高い優れた小説であることは疑いありません。

 二つの勢力によって繰り広げられた第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利/連合国側の敗北という結果に終わりました。そして、世界は日本とドイツの二国に分割支配されることになったのです。(イタリアは連合国側へ寝返らなかったものの、事実上発言権を失っている模様)
 ドイツ第三帝国はナチスの支配下、かつてユダヤ人に対して行った非道をアフリカで繰り返します。更には高い技術力で惑星間ロケットを開発し、太陽系を我がものにしようという野望を抱いていました。
 一方、大日本帝国は太平洋共栄圏を、尊大な態度ではあるもののナチスよりは穏やかに統治していました。科学技術ではドイツに後塵を拝しており、未来への展望という点で劣ると見なされています。
 そして、両者は冷戦様に対立していました。
 物語は大戦終結の十五年後、東西で分割されたアメリカで始まります。太平洋岸第一通商代表団の田上信輔を核に、ドイツから密命を帯びて田上の下を訪れたバイネス、美術工芸品商会の店主ロバート・チルダン、工芸品の贋作を手がける職人フランク・フリンク、フランクの元妻ジュリアナといった人物達により、ドラマが織り成されていくのです。

 本書の注目ガジェットは、第二次大戦の勝敗が逆転した世界です。
 物語の舞台がアメリカということもあり、ドイツの内情に関しては直接言及されず、伝聞的に描写されます。その代わりに焦点が当てられるのは、アメリカを占領した日本の文化的側面ですね。
 日本によって支配されたアメリカ西部では、史実におけるGHQの占領政策を裏返したような奇妙な社会が誕生しています。日本人は西洋とは大きく異なる価値観を持ち、日本人と関わりを持つアメリカ人はその社会的な駆け引きを読み取ることに四苦八苦しているようです。
 また、中国由来の占いである易経が重要な意味を持っています。田上を始めとする登場人物達が、占いを立てて自分の置かれている状況、そして取るべき行動を読み取ろうと試みる訳ですね。この易経は本書の世界構造にまで影響しています。更に、作者のディック氏ご自身が、ストーリー展開を決める為に易経で占った部分もあるそうです。:-)
 正直なところ、作中での日本人はあまり日本人らしく感じられません。P・K・ディック氏に文字通りのリアリティを期待するのは筋違いなのでしょう(^^;) とは言うものの、中心的役割を果たす田上は多面的に描かれ、独特の現実感を持った存在に感じられるのは特筆すべき点です。真面目なシミュレーションではなく、あくまで物語を語る上での「異なる歴史」である訳ですね。

 執筆時の時代背景に関しても留意が必要かもしれません。
 本書が刊行されたのは一九六二年で、現実世界では日本が戦後の急激な経済成長を遂げつつある時代です。敗戦国として経済が崩壊した時点から、世界有数の経済大国へとのし上がる中間点に相当します。一九五〇年代の「日本製イコール粗悪」のイメージは根強いものの、工業的には模造品レベルから脱却し始めています。
 おそらくは諸外国において、日本という国をどう捉えるべきか、再認識が求められる時期だったのではないでしょうか。そうした中、「異なる歴史」というガジェットを通じ、敗戦国というレッテル抜きで日本を語った本書がどう受け止められたのか、興味深いところです。
 面白いことに、作中の人物達にとってアメリカは誇るべき力を失った国であり、アメリカ人は日本人に対して劣等感を覚えています。これは執筆当時の現実世界における力関係を裏返した形に当たる訳で、そうした観点が相対的なものでしかないことを架空世界から垣間見せてくれるのはSF作品の醍醐味ですね。その後の時代の変遷により、「裏返し」と言い切れない部分が存在することも含め、感慨深いです。現時点での認識もまた、今より後の時代では変化してしまうのかもしれませんから。

 題名の『高い城の男』(原題:"The Man in the High Castle")は、本作に登場する小説家を示しています。
 作家ホーソーン・アベンゼンが出版した小説『イナゴ身重く横たわる』は、「第二次世界大戦で連合国側が勝利した世界」を描いた物語です。つまり、作中では架空の歴史を扱った〈歴史IFもの〉のSFとなっているわけですね。
 日本とドイツの敗北を扱っているため、ドイツ第三帝国支配下にあるアメリカ東海岸では発禁となっています(日本支配下の西海岸ではお咎めなし)。アベンゼンはナチスの報復を恐れ、〈高い城〉と名付けられた要塞のような屋敷に身を隠します。これが題名の由来です。
 『イナゴ身重く横たわる』の内容は、私達の知る歴史とも異なる世界です。戦争で勝ったのは連合国ですが、ソビエトは覇権を握ることに失敗し、共産主義は蔓延しません。代わりに、世界はアメリカとイギリスにより二分割されます。あくまで、作家アベンゼンの空想によって構築された虚構世界という扱いです。
 この多重構造は本書の根幹にも関わり、お得意の「本物と偽物」という対比構造と絡んで、ディック氏ならではの観念的な世界観へと昇華していきます。他作品ほど難解な印象はありませんけど(^^;)、単なる「あり得たかもしれない歴史」に留まらない、読み応えのある〈歴史IF〉SFの力作です。

この記事へのコメント

  • nyam

    お久しぶりです。
    いまちょうど、「ユダヤ警官同盟」を読んでいますが、そのあとがきで本作が取り上げられていて、ちょっとしたシンクロニシティを感じました。

    『高い城の男』は、ラスト近くの、ユダヤ人が売れないアクセサリを作り続けるシーンで、いつも涙してしまいます。やっぱ、商売人は不景気がこたえるなあ。
    2009年05月10日 20:39
  • Manuke

    お久しぶりですー。
    私も技術屋の端くれなので、フランクのキャラクタには共感を覚えてしまいます。
    色々ないきさつを経て田上の手に渡った銀の三角が、なかなかに意味深ですね。
    2009年05月11日 00:38
  • RAS

    現実の歴史世界でも、歴史修正主義にすがったり、チート設定の架空戦記小説に熱中したり、はたまた日本とは縁もゆかりも無い風水占いに頼り行動する人が出現していることを考えると、今再読しても違う意味でも面白い本ですね。
    実は、我々の世界はディックの創作物の中に存在しているに過ぎないのかもしれないと妄想してしまいます。
    2015年07月25日 17:10
  • Manuke

    読者を現実と非現実の狭間に引き入れるのが、ディック作品の神髄ですしね。
    我々の世界が創作物だとすると、作者はあまり趣味のいい方ではなさそうですが(^^;)
    2015年07月26日 23:47
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