火星年代記

[題名]:火星年代記
[作者]:レイ・ブラッドベリ


 本書『火星年代記』は、二十六のエピソードから構成される幻想的なオムニバス小説です。
 ブラッドベリ氏の描かれる世界は叙情的で、火星を舞台とするものの作風はファンタジー寄りです。SF的設定よりもイメージや心情に重きが置かれています。また、いくつかのお話に同じ人物が登場しますが、基本的に各短編の関連性はあまり強くありません。
 しかし、これらの作品群がまとまることにより、一つの物悲しくも美しい情景が浮かび上がってきます。穏やかな火星人と対比する形でそこに描き出されているのは、生き急ぎ、そして死に急ぐ人間達の姿です。

 物語は一九九九年(後の版では三十一年後の二〇三〇年に改訂)から始まります。
 火星の空虚な海のほとりには一組の夫婦が暮らしていました。あるとき、妻イラは奇妙な夢を見ます。それは身長が百八十センチメートルもある、青い目をした巨人が空の方から銀色の乗り物で降りてくるという不思議な夢でした。彼は自分が地球から来たと言うのです。
 当初、夫のイルは馬鹿げた妄想だと相手にしませんでした。けれどもイラは夢に傾倒していき、イルはその男に嫉妬し始めます。
 やがて、夢の中でその男が降りてくるという日を迎えたとき、イルは恐ろしい武器を手に取り、イラを家に残して着陸場所へと向かいます。そして……。
 その後も地球人は第二の、そして第三の探検隊を火星へと送りますが、いずれもそれぞれの理由により地球人達は火星着陸後に命を落とします。それでも地球は火星に人間を送り込むことを諦めようとしません。
 第四の探検隊が火星に辿り着いたとき、そこは廃墟と化していました。それまでの探検隊が持ち込んでしまった水疱瘡に感染し、全ての火星人は死んでしまったのです。後にはただ荒廃し切った町と、真っ黒でカサカサの薄片となった火星人の死体が横たわるのみでした。
 そして、地球人の移民が始まります。ある者はホットドッグ・スタンドを開くために。またある者は、子供を失った悲しみから逃れるために。黒人達は自由を手にするために。手つかずの土地へと、無数の人々が様々な思いを抱いて押し寄せたのです。
 彼等は火星人のものだった土地を踏みにじり、自分勝手に名前を付け、樹木を植え、そこを自分達の居場所へと作り替えていきます――まるで、いなごの群れが全てを蹂躙するかのごとく。

 本書の注目ガジェットは、火星人です。
 作中に登場する火星人は地球人よりも小柄で繊細、金色の瞳と褐色の肌をしているという他は、あまり容姿に関する具体的な説明はありません。おそらくは地球人とさほど変わらない姿をしており、ファンタジー作品に登場するエルフのようなものと個人的にはイメージしています。また、テレパシー能力が発達し、他人に幻覚を見せることができます。
 この物語の主要なテーマとして、物質文明に毒された現代人に対する批判が挙げられますが、火星人はこれに対する理想の姿として設けられているようです。芸術や宗教を生活と混ぜ合わせる術を知り、地球人が「百年も前にストップすべきだった所で、ちゃんとストップ」した存在だと説明されます。彼等は次々と押し寄せる苛烈な地球人に抗う力を持ちませんけれども、それすらも受け入れてしまう達観した種族です。
 もう一つ興味深いのは、火星人の持つ時間感覚です。エピソード『二〇〇二年八月 夜の邂逅』では、地球人トマス・ゴメスが野営中に火星人と出会うシーンが登場するのですが、二人はお互いに触れることができません。それに加え、火星人にはトマスの見ている荒廃した世界ではなく、運河に葡萄酒をたたえた豊かな火星が見えています。
 火星人が絶滅してしまったことを知るトマスは相手を過去の亡霊だと考えますが、これに対し火星人は、トマスこそが過去の亡霊かもしれないと主張します。自分がトマスより一万年前の過去の存在なのか、あるいは一万年後の未来の存在なのか、二人がそれぞれの世界で生きていることに比べれば大した問題ではないというわけです。

 本書の特筆すべき点は、そのイメージの美しさです。
 ロケット噴射の熱が冬のオハイオ州にもたらすもの『一九九九年一月 ロケットの夏』、火星へ着陸した探検隊メンバーが出くわす懐かしい人々『二〇〇〇年四月 第三探検隊』、ブラッドベリ氏の別作品『華氏四五一度』ばりの焚書に憤った愛書家のグロテスクで痛快な復讐『二〇〇五年四月 第二のアッシャー邸』、一人火星に取り残された男のコミカルな逸話『二〇〇五年十二月 沈黙の町』、主を失ったことを知らずにサービスを続ける自動化住宅の話『二〇二六年八月 優しく雨ぞ降りしきる』、そして最終エピソード『二〇二六年十月 百万年ピクニック』と、時にユーモラス、時にホラーチックな雰囲気を醸しながら、幻想的な情景が強い寂寥感を生み出しています。
 科学考証にこだわるハードSFとは対局の場所に位置しますが、その美麗さにおいて一つの頂点を極めたとも言える、名作SF未来史です。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/108243302

この記事へのトラックバック