遙かなる地球の歌

[題名]:遙かなる地球の歌
[作者]:アーサー・C・クラーク


 本書『遙かなる地球の歌』は、巨匠A・C・クラーク氏が科学的リアリティを重視して描き出す、人類が恒星間宇宙へと進出した未来の物語です。
 クラーク氏は元々、同名の短編を以前(一九五八年)に書き上げており、本作はその長編版(一九八六年)に相当します。基本となるストーリーはほぼ同様ですが、味付け方法が異なるために全く違う傾向のお話になっているのは興味深い点ですね。
 冒頭に収録された『覚え書』によると、クラーク氏はスペースオペラ全盛のSF映画・テレビ界隈に刺激されたとのこと。そうした作品群を否定はしないものの、超光速が実現する見通しはまずなさそうであり、それらはSFと言うよりもファンタジーに類するのだと感じられたようです。
 つまり本書は、「光速度は決して超えられない」という現代物理学の立場に沿って書かれた宇宙SFです。科学考証という制約下にあっても、立派に宇宙を舞台とした物語を描くことができるという証ですね。もっとも、登場する社会は少々クラーク氏の理想主義を反映し過ぎている気はしますけど(^^;)
 地球の滅亡から二百年後――植民惑星サラッサ上空に、一隻の宇宙船が姿を現します。それは滅亡した地球が最後の瞬間に送り出した、百万人の冷凍睡眠された人々を乗せた恒星船マゼラン号でした。

 二十一世紀初頭、世界は死刑宣告を受けました。太陽ニュートリノの観測結果から、およそ千年の後に太陽が爆発を起こし、地球は滅亡してしまうことが判明したのです。
 とは言うものの、千年後に到来する危機に対して反応を示す者は多くありませんでした。大多数の人々は肩を竦め、日常の仕事に戻ってしまいます。
 しかし、滅亡の時が刻一刻と近づくにつれ、さすがにそれを無視する訳にはいかなくなってきます。人類の絶滅を防ぐため、太陽系外の惑星に無人の自動播種宇宙船を送り込み、そこで遺伝子から再生した動植物と人間を誕生させようという計画が持ち上がりました。成功率は必ずしも高くありませんでしたが、人類は運命に抗うために宇宙船を送り続けたのです。
 そうした系外惑星の一つに、太陽系から五十光年離れた惑星サラッサがありました。二七五一年に地球を出発した自動播種宇宙船は、三一〇九年にサラッサへ到着します。惑星サラッサは表面のほとんどが海に覆われた陸地の少ない星でしたが、そこで生まれた人々はサラッサの主要な島二つの上に植民地を形成することに成功したのです。
 西暦三六二〇年、予測されていた通りの爆発が起き、地球は滅亡します。故郷の惑星を失ったサラッサ人は、その後は誰の助けを借りることもなく、小規模ながらも平穏で豊かな社会を築いていくのでした。
 そして、物語は三八二七年から始まります。平和に暮らす惑星サラッサの上空に、突如として宇宙船が出現したのです。サラッサを植民可能な更地と間違えた自動播種宇宙船か、はたまた異星人の到来か――動揺するサラッサ人の前に、その乗組員が姿を見せました。
 それは地球滅亡の寸前に発明された、強力な量子駆動を備えた恒星船マゼラン号でした。マゼラン号は冷凍睡眠された百万人の人間を乗せて、サラッサから七十五光年離れた惑星セーガンIIへ向かう途中、事故による補給のためにサラッサを訪れたと言うのです。
 サラッサ人にとっても、そしてマゼラン号乗組員にとっても予想外だった(アンテナ故障により通信が途絶え、サラッサ入植者は全滅したと思われていました)この邂逅は、果たして双方に何をもたらすのでしょうか。

 本書の注目ガジェットは、太陽ニュートリノです。
 ニュートリノは物理学者ヴォルフガング・パウリ氏が存在仮説を立て、エンリコ・フェルミ氏に命名された素粒子です。フェルミ氏はイタリアの方ですので、この電気的に中性な新粒子命名にあたって、中性子を表す"Neutrone"と、「小さな可愛らしいもの」を示す接尾辞"-ino"を組み合わせてニュートリノ("Neutrino")としたようです。(逆に接尾辞"-one"は偶然イタリア語で「大きなもの」を示し、これを差し替えた駄洒落のようです。お茶目な方ですね(^^;))
 ニュートリノはその性質上、他の物質とほとんど相互作用しないという特徴があります。このため、例えば地球のような巨大な岩の塊も、やすやすと通り抜けてしまいます。
 太陽ニュートリノとは、巨大な核融合炉である太陽の中で発生したニュートリノのことを指します。太陽は超巨大かつ超高密度なガスの塊で、中心では水素の核融合反応が起きていますが、そこで発生したエネルギーが外に伝わるまで実に数十万年という時間がかかります。ところが、前述の通りニュートリノは他の物質を貫通してしまうため、今現在(厳密には八分程前)の太陽中心の状態を知る手がかりとなる訳です。
 作中では、太陽から飛来するニュートリノの数が理論値よりも少ないことを発端に、太陽内部で異常が起きていることが判明します。太陽がノヴァ化する原因が表面に現れるまでには時間がかかりますが、ニュートリノの観測でそれを事前に察知したということですね。
 実はこの「理論値よりも少ない」という部分、フィクションではありません。太陽ニュートリノ欠損問題と呼ばれ、長らく物理学者の方々を悩ませてきた謎です。現在ではニュートリノ振動によるものと決着したようですが、かつては実際に「太陽内部で核融合反応が止まっているのではないか?」という説も存在したようです。

 本書はクラーク作品の中では珍しく、人間描写にもかなり注力がされています。他の作品では理性的な登場人物が多く、あまり恋愛感情に関るような行動を見せないために、非人間的だと批判されることも多いようですが、『遙かなる地球の歌』では二つのコミュニティの接触や個人同士の関わりに多くのページが割かれています。
 もっとも、クラーク氏ご本人の理想を反映してか、サラッサは宗教や暴力とは無縁の温和な社会を形成しており、現実的と言えるかどうかは微妙ですね(^^;) 人類が再出発するにあたって、旧態然とした迷信や諍いを排除してしまえたら――との願いが込められているのかもしれません。

 短編版『遙かなる地球の歌』との最も大きな違いは、長編の方が太陽ニュートリノや量子駆動、更には異星知的生命体との接触といったSFガジェットをいくつも取り込んだバラエティ溢れる物語であるのに対し、短編の方はほぼ純粋なラブストーリーである点でしょうか。恒星船がわずかな間植民惑星サラッサを訪れ、そして去っていくという基本展開は同じであり、短編版に含まれる恋愛要素は長編版にもほぼそのまま存在するのですけれども、その重要度はかなり薄められています。個人的な感想ですが、この恋愛要素に関しては短編版に軍配を上げたいところですね。
 とは言え、それ以外の要素に関してはやはり長編版の方が遥かに充実しています。特に、マゼラン号がサラッサに立ち寄るきっかけとなった補給物資の宇宙への引き上げ方法は、短編版が空想的なものに留まるのに対し、長編版はなかなかに壮大で、しかもストーリーに大きく関ってきます。
 地球の滅亡という大破局に端を発する、太陽系外惑星を舞台とした異文化接触。度肝を抜くような展開はありませんが、一つ一つの要素が丁寧に描かれたお話です。

この記事へのコメント

  • nyam

     なんだかとても懐かしいシチュエーションですね。
    アシモフやハインラインと違って、クラークはSFの直球ど真ん中と言う感じがします。
     本編は読んでないのでコメントは控えますが、星野 之宣「2001夜物語」を思い出したのは私だけ???
    2008年07月29日 20:37
  • Manuke

    そうですよねー。
    ハインライン氏はストーリー、アシモフ氏はトリックやどんでん返しで魅せてくれますが、クラーク氏の肝はまさに科学と技術ですから。
    この人の作品はSFの王道という気がします。

    > 本編は読んでないのでコメントは控えますが、星野 之宣「2001夜物語」を思い出したのは私だけ???

    ごめんなさい、『2001夜物語』は読んでないです。
    星野之宣氏で読んだことがあるのは、『未来の二つの顔』ですね。
    あれは原作を上手くビジュアル化した良作でした。巻末のオマケも含めて(^^;)
    2008年07月30日 23:11

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