レンズの子ら

[題名]:レンズの子ら
[作者]:E・E・スミス


※このレビューには前巻までのネタバレがあります。ご注意ください。

 本書『レンズの子ら』は、〈レンズマン・シリーズ〉の四作目にして締めくくりとなるお話です。
 二十億年前に起きた二銀河の接触に端を発する文明同士の争いは終局を迎え、いよいよ最後の戦いの火蓋が切って落とされることになります。
 アリシア人の遠大な計画によって生み出された第三段階レンズマン、キニスンとクラリッサの子供達が、全銀河文明を守るためにボスコニアへ挑みます。銀河パトロール隊の前に立ちはだかるのはブラック・レンズマン、さらにはボスコニアの名目上の頂点プルーア人。
 そしてついに、真の敵である超種族エッドール人との戦いがその後に控えているのです。

 前作『第二段階レンズマン』における戦闘が終わり、第一・第二銀河系はともに平穏な時期を迎えています。
 キニスンは銀河調整官という銀河パトロール隊の最高位のポストに就任し、その平和を守るべく働いていました。また、彼とクラリッサとの間には五人の子供が生まれています。長男のクリストファー、そして二組の双子の娘カレン、キャスリン、カミラ、コンスタンスです。
 ところが、クリストファーがレンズマン養成クラスを卒業する間近になった頃、両銀河に不穏な動きが見られ始めます。一連の事件を調べたキニスンは、こう判断を下しました――ボスコーンの再興、と。
 キニスンは歴代最高の成績を修めて卒業したクリストファーをグレー・レンズマンに任命し、この問題の指揮に当たらせます。そしてキニスン・ウォーゼル・トレゴンシー・ナドレックの第二段階レンズマン四人は、様々な事件を調査するために宇宙の各地へと散るのです。
 けれども、キニスン達が知らない要素がその裏には隠されていました。クリストファー及び彼の妹達は、第二段階レンズマンを凌ぐ超能力の持ち主、第三段階レンズマンだったのです。クリストファーは統合者として、妹達は各々四人の第二段階レンズマンの能力を受け継ぐものとして。
 そして、アリシア人が現銀河文明に対してその存在を秘匿してきた最後の敵エッドール人が、とうとう彼等レンズの子らの前に姿を現します。

 本書の注目ガジェットは、超種族であるアリシア人とエッドール人です。
 この両者、長い進化の果てに物理的な不死性を獲得しており、精神攻撃以外では殺すことができません。また、どちらも自分の惑星に強固な精神シールドを張り巡らせています。つまり、互いに手詰まりな状況なのです。アリシア人は自分達の能力をひた隠していたため、エッドール人は自分達に匹敵する敵の存在をずっと知らなかったようですが。(ちょっと卑怯(笑))
 ただし、アリシア人はこの宇宙で生まれた生命であるのに対し、エッドール人は異次元からの来訪者のようです。アリシア人はどちらかと言うと学究の徒であり、精神のみを信奉し、他種族にあまり関心を抱いていない様子ですね。一方、エッドール人は好戦的かつ支配欲の強い種族で、物質と精神の双方を重視しています。アリシア人社会の構造は不明ですが、エッドール人は至高者の元、能力の高さで区分された独裁体制を取っており、これがそのままボスコーンの組織構造に受け継がれているようです。同じ高みにありながら、方向性はずいぶん異なるわけです。
 もっとも、アリシア人は決して善なる存在ではなく、同時にエッドール人も悪そのものではありません。事実、エッドール人が支配するボスコニアは、キニスン登場以前には銀河文明よりも発展していたようです。また、本書ではアリシア人のメンターが人間の示す愛情を理解できないという場面も出てきます。
 この超種族の対立という壮大なバックボーンを備えるが故に、〈レンズマン・シリーズ〉では単なるスペースオペラの枠を超えた奥行き感を味わうことができます。この物語が長く愛されている一因かもしれません。
 ところで、エッドール人は自分の支配欲を満たすためにボスコニア文明を築き、また銀河文明の形成にも一役買っている節があります。ところが、アリシア人がこの二十億年の間にしたことと言えば、第三段階レンズマンの育成を除けばエッドール人の邪魔ぐらいのように見えるのです。果たして、どっちがマシな種族なんでしょうね?(^^;)

 この作品の読み方としては少々邪道ではありますが、キニスンが例によってその力を使って変装する人物の中に、なんとスペースオペラ作家が出てきます。このシブリー・ホワイト、愚劣な作品を書く低俗作家として多くの人に軽蔑されているようです。
 スペースオペラの大家として名高いドク・スミス、色々と思うところがあったのかもしれません(^^;)

この記事へのコメント

  • X^2

    > アリシア人は決して善なる存在ではなく、同時にエッドール人も悪そのものではありません。

    ドグ・スミス自身は「善対悪」として書いていたのだと思うのですが、現在の目から見るとまた別の見方が出来ますね。
    やや我田引水になってしまいますが、Sci-Fi TVシリーズのBabylon5が、ある意味このレンズマンシリーズのテーマの現代化版になっています。
    2008年11月23日 21:54
  • Manuke

    エッドールは作中では絶対悪として描かれているように見えますね。(世相を反映している?)
    ただ、アリシア人はそうでもないような……。

    もの凄く用意周到(笑)なところや、ひたすら露出を避ける辺り、そして地球人的愛情を解さないことを鑑みるに、実はアリシア人ってナドレックの種族に近い存在なのじゃないかと思うのです(^^;)
    特に深い根拠はないのですが、そんな風に妄想してみるのも面白いですね。
    2008年11月25日 00:24
  • 絶倫超人8マン

    巻末のクリスの手記が再び日の目を見るに至った
    遠未来の「脅威」とは、一体如何なるものであろうか?
    よもや、アーサー・C・クラーク氏『都市と星』にて
    描かれた憎悪の化身”狂った精神”ではあるまいか??
    2016年05月26日 04:28
  • Manuke

    あはは。ヴァナモンドが第三段階レンズマンになっちゃったり?(^^;)

    個人的には、実はエッドール人は滅んでいないのではないか、などという空想をしています。
    一応、「自己の惑星に束縛されていた」という記述はあるものの、なにしろ肉体的には不死の超種族ですから、中にはエッドールを離れることができた一団がいておかしくはないかな、と。
    とは言うものの、また脅威がエッドール人というのも芸がないですから(笑)、「放浪エッドール人が異次元で遭遇した純粋知性体に対抗するため、銀河文明に助けを求める」なんてのはどうでしょう。
    (微妙にパクリくさいのはお目こぼしください。:-))
    2016年05月28日 00:50
  • 絶倫超人8マン

    早速のレスありがとうございます。m(__)m
    つい数日前に、幸運にも小隅氏訳版の
    レンズマンシリーズ一式(”渦動破壊者”を除く)
    を古本屋で入手して、約20年ぶりくらいの再読を
    始めたところであります。

    ヴァナモンドについては、おそらく
    「第四段階ラスト・レンズマン」にして
    「最後の死者」と位置づけられるべき存在と
    成り行くでありましょう・・・・・・。

    ・・・・そういえば「レンズの子ら」での、キャスリンが
    メンターの"教育"を受けるくだりで、メンターが
    「この銀河文明は、どうやらおまえたち五人をもって
    終結のときを迎えるものと思われる」と発言して
    いるのも、レンズマンシリーズと「都市と星」との
    ストーリー上の連想に関して妙に符合的であるように
    思えてしまうのですが、流石に我田引水が
    過ぎるでしょうか?(^^;

    なお"エッドール人の離反者"については、
    リゲル人やパレイン人の例を鑑みると
    大いにあり得る話かと思われます。(^^)
    2016年05月29日 23:46
  • Manuke

    先日のゴールデンウィークに、久しぶりに神保町古書店街に足を伸ばして、銀背版の『天の光はすべて星』その他数冊を買いました。
    あそこは、目に付いた本が片っ端から欲しくなってしまうので、ある意味拷問ですね(笑)
    私は地方都市住人なんですが、近くでなくて良かったような……(^^;)

    > ・・・・そういえば「レンズの子ら」での、キャスリンが
    > メンターの"教育"を受けるくだりで、メンターが
    > 「この銀河文明は、どうやらおまえたち五人をもって
    > 終結のときを迎えるものと思われる」と発言して
    > いるのも、レンズマンシリーズと「都市と星」との
    > ストーリー上の連想に関して妙に符合的であるように
    > 思えてしまうのですが、流石に我田引水が
    > 過ぎるでしょうか?(^^;

    いやいや、それもアリだと思います。
    『都市と星』(または『銀河帝国の崩壊』)は想像の余地が大きいお話ですしね。
    個人的には、不滅の都ダイアスパーも絡めたいところです。:-)
    2016年06月01日 01:25

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